第111話 星の嵐
グレーンフィーン領に、「星の嵐」がやって来る……。
トビーは、リゼットをグレーンフィーン伯爵家のカントリーハウスで降ろすと、直ぐに各家庭へ「星の嵐」への備えを説いて回った。
……少しでも不安があれば、グレーンフィーン家のカントリーハウスへ行くようにと。
リゼットも、到着の挨拶もそこそこに避難者の受け入れ準備を手伝った。
義弟妹たちは、屋敷の周辺の物を取り込んだり、雨戸を閉めたり、それぞれが出来ることをして「星の嵐」に備えた。
やがて、年寄りや子どもを連れた母親など、続々と避難者がカントリーハウスへやって来た。
夜になり、びしょ濡れになりながら、「星の嵐」への備えを終えた男たちもやって来て、エントランス、応接室、リビング、客間……ほぼ全ての部屋が人で埋まっていった。
女たちはネリーの取り仕切る台所で、一緒に食事の用意をし、子どもたちも配膳を手伝った。
小さなグレーンフィーン領にこれだけの人がいたことにリゼットは驚いたが、みな顔馴染みのようで、初めて迎える「星の嵐」の脅威に団結していた。
***
「お嬢様も大変なときに里帰りしたね」
「お嬢様がタルールで『星の嵐』を経験してて、備えについて色々教えてくれて助かったよ」
ご近所の避難してきた主婦の皆さんと、食後の洗い物をしているとき、そう話しかけられたリゼットは、
「いえ、私も古代エアデーン人の建てた家に住んでいたから、実際の『星の嵐』は初めてで……。もっと知ってたら良かったんですけど……」
と、逆に謝った。
義妹になった十二才のアニーが、空になった皿を運びながら、唐突に話しかけてきた。
「ねぇねぇ、お姉ちゃんのことは、『リゼ姉様』って呼べってトビー兄ちゃんが言ってたけど、それでいいの?」
「えっ! 呼んでくれるの? ありがとう! アニー」
リゼットは手に泡が付いていなければ、アニーを抱き締めたかった。
「リゼ姉様が『お嬢様』なら、みんな、アニーのことも『お嬢様』って呼んでよね!」
ご近所の主婦たちに皿を渡したアニーが、ふんぞり返ってそう言うと、同じく皿を運んで台所にやって来た十三才の義弟のボビーが、
「アニーがリゼ姉ちゃんみたいな『お嬢様』になれたらな~」
と茶化した。
「もぅ! ボビーの意地悪!」
アニーは、ボビーをはたこうとして、うまく避けられ、二人は追いかけっこをしながら出ていった。
リゼットは「ケンカはダメよ~」と呼びかけつつ、弟や妹たちが自分のことを姉と呼んでくれたので、自然と笑顔になった。
そこへ疲れた顔のトビーが空いた皿を持ってきた。
「何笑ってんだよ」
「トビー、ありがとう! アニーは『リゼ姉様』って呼んでくれたわ!」
「あいつもお前みたいな『伯爵令嬢』にしなきゃいけないしな」
「あ、また『お前』って言った!」
トビーはしまった、と口を押さえた。
「ところで、普通、『星の嵐』はどれぐらいで終わるんだ?」
騒がしかった台所が、一瞬静まり返った。皆、トビーのその質問の答えが知りたくて、口を閉じ、聞き耳をたてたからだ。
リゼットは緊張しながら話した。
「いつもアレクシスが『神の石』を見て教えてくれてたんだけど、大体半日から丸一日ぐらいかな。その時々で、風が強い『星の嵐』の時もあれば、雨が多い『星の嵐』の時もあるけど……。あ、一瞬雨がやんで、風だけになる時があるの。それは『星の嵐』の中心には、雲がないからなんですって」
皆が初めて知る『星の嵐』の知識だった。だが、トビーの目がスッと細くなった。
「アレクシスって、元婚約者のセイレーン・アレクシス? そいつ、そんなことも出来んの? ふーん」
何故か機嫌を悪くしたトビーは、台所から出て行った。
トビーと入れ替わるように、次々と食べ終わった皿を持った人がやって来て、リゼットはなぜトビーが急に不機嫌になったのか、深く考えることはなかった。
その後も、色んな人に話しかけられたので、夕食の片付けが終わる頃には、リゼットはクタクタに疲れてしまった。
***
その夜、リゼットは、義妹のアニー、七才のミニーと、三人でひとつのベッドで眠った。ベッドで眠れるだけ特別扱いだった。
避難してきた領民の殆どが雑魚寝だが、みな文句も言わず、譲り合っている。
家の外の様子は、雨戸が閉まっているから分からない。
激しく打ち付ける雨の音と、雨戸を揺さぶる風の音は、夜になってその大きさを増してきた。
すぐ近くで聞こえるのは、寝付きのよい義妹達の寝息……。
そして、部屋の外から聞こえてくるのは、怯えてしくしく泣く子どもと、子をあやす母親の声……。
何の前触れもなく、わずかに灯していた魔電気の明かりが一斉に消えた。起きていた誰かが「停魔電だ」と言った。
魔電気が止まるとポンプも止まるから、水も止まる。だから、食料だけでなく、水の用意が必要だったのかと、知識として知っていたことの意味を理解した。
……皆、水をお風呂に貯めて備えているだろうか。カントリーハウスで貯めておいた水は、避難してきた領民の分まで足りるだろうか……。
リゼットは、「星の嵐」を初めて迎える領民のことを思い、無事にやり過ごせるよう祈った。
その時、家の外でバキバキっと大きな音がした。
リゼットはハッとしてベッドの上で起き上がったが、妹達は今の大きな物音にも目を覚ますことなく、熟睡している。
部屋の中は停魔電の為、空調が止まり、だんだん暑くなってきた。すぐ隣で寝ている妹達の体温も高い。
リゼットは狭いベッドから起き出して床に座り、壁にもたれ掛かった。
その気配を感じたバロンが近寄ってきて、リゼットの膝の上に乗って来た。
雨戸がガタピシ激しく揺れ、異常な雨と風の音に、バロンも小さく震えている。リゼットはバロンの震えを止めようとずっと撫でていた。
どれぐらいそうしていただろう。
視界が急に明るくなった。リゼットは突然の眩しい光に目を閉じ、そのまましばらく目を開けることが出来なかった。
魔電気が復旧したのかと思ったがそうではない。空調の音は戻って来てはいないからだ。
家の中からは、リゼットと同じように動揺する皆の声が聞こえてくる。
やがて光が和らいだ感じに、ゆっくりと目を開けると、部屋の北側の壁にもたれていたリゼットの顔を照らしていた光は、ゆっくりとリゼットの膝の上から、足先のほうへ動いていた。
よく見ると光源のない線状の光は、部屋全体をゆっくりと横切るように移動していた。
光のカーテンはそのまま窓際のベッドで寝ている義妹達の体の上をゆっくりと通過し、やがて部屋から消えていった。
そして再び部屋は暗闇に戻っていった。
先程までバロンを震え上がらせていた雨風の音がやみ、静寂が辺りを包む……。
リゼットは、その光のカーテンの不思議な色に見覚えがあった。
──魔光幕?
そう、タルールの外国人居住区ジンシャーンの中央に位置する、古代エアデーン人の建てたエアデーン王国駐タルール大使館公邸、通称「ドーム」を包んでいた光の色だ。
リゼットは急いで窓を開け、その外側の雨戸を開けた。
先ほど部屋の中を通過した魔光幕は、グレーンフィーン領に大きく広がっていた。辺り一帯を明るく照らしながら、ゆっくりと南の海の方角へ移動していた。
魔光幕の向こうではまだ「星の嵐」の風で木々が大きくしなり、激しい雨が降っているが、魔光幕のこちら側では、晴れ渡った穏やかな夜空に、大きな明るい丸い月が浮かんでいる。
高台にあるカントリーハウスの二階、南側にあるこの部屋からは、移動する魔光幕の幻想的な光のカーテンがよく見えた。
いつの間にか、ジャックやネリー、トビーもリゼットの後ろに立っていた。リゼットはこの不思議な光景を皆で静かに見つめていた。
やがて海に到達した魔光幕の帯は、そのまま真夜中の海を明るく照らしながら、グレーンフィーン領の沖合いへ十数クローム進んだ辺りで動きを止めた。
明るく輝く光の帯の向こう側がまだ「星の嵐」の只中にあることを、魔光幕を通して伝わる波のうねりだけが伝えていた。
カントリーハウスに避難していた領民の殆どが、先ほどの明るい光で目を覚ましていた。
光の通過とともに嵐がやんだことを知り、窓を開けた。
停魔電で蒸し暑くなっていた室内に、湿気を含んだ穏やかな風が吹く。
静かな月の光に明るく照らされたカントリーハウスの庭の木は、根本から倒れていたり、塀が崩れていたりして、つい先ほどまで「星の嵐」が縦横無尽に破壊していった跡が、くっきり残っていた。
その月の方から呼ばれた気がして、リゼットはひとり、視線を上に上げた。
月の中に一点、黒い影が見えた気がして、リゼットはパチパチと瞬きを繰り返す。
トビーは、リゼットが上空を一心に見ているのに気付き、自分もその方向を見上げた。
〈つがい様~! リゼット様~!〉
グレーンフィーンの祝福を持つ者は、ハッキリとその思念を聞いた。
リゼットはふらりと誘われるように、部屋を出た。ジャックやトビーも後から追いかける。
家の外に出ようとして、厳重に戸締まりをした玄関のドアに苦戦するリゼットを手伝い、ジャックがドアを開けてやると、リゼットは嵐の跡が色濃く残る屋外に出た。
明るい月の中に、大きな翼を広げた角翼竜が浮かんで見えた。




