第110話 嵐の予兆
「アンナ、リゼットの話、どう思った?」
夫婦の寝室で、部屋の明かりを落としたあと、ベッドの中でサミュエルは、寝支度を終えて、隣で横になったアンナに尋ねた。
「どう? って貴方、こんな素敵なラブロマンスの末に婚約したのに、頑固な伯父には勝手に破棄されて、使命感に燃える恋人には放っておかれて、リゼが可哀想で可哀想で……」
「違う、セイレーン・アレクシス殿下のことだ」
「殿下のこと? 格好良いってリゼは何回言ったかしら? エドウィン殿下に似ていらっしゃるなら、さぞかし美男でしょうねぇ~って貴方、どうしたんですか? 難しい顔をして……」
恋愛脳のアンナには、サミュエルの引っ掛かりなど、思い付きもしないのだろう。
「アンナ、これは私の推測だ。誰にも話さないと約束できるか?」
サミュエルはお喋りなアンナの夫を、伊達に長年やっていない。
口外してはいけない話は、まずアンナと約束させてから切り出すことにしている。
様々な失敗の末、アンナは「口外してはいけない話は、予め確認して欲しい」と頼み、そのルールはずっとこの夫婦の間で守られてきた。
アンナは久し振りの夫からの前振りに、聞かない方がいいような気がしたが、好奇心に負け、うなずいてしまった。
「アレクシス殿下は、すでにハイラーレーンなのではないか?」
「……な、何ですって!」
「しーっ、声が大きい」
アンナは慌てて自分の口を自分の手で塞いだ。
「先ほどリゼから聞いた話では、殿下はアンドリュー国王陛下の崩御前に、タルールへ渡っている。まるで発覚を恐れるように……」
「でも、それだけじゃあ……」
ハイラーレーンは、成人を迎えたセイレーンの中から選ばれる。セイレーン・アレクシスは当時未成年、十四才だったはず……、とアンナは思った。
サミュエルもそう思っていたが、それでは説明がつかないことがいくつもあった。
「まず、思念通話の距離が長い。熱中症で死にかけているリゼットの弱い思念通信を、かなり遠くから受信している。双方がそういう祝福を持つならともかく、弱ったリゼットの発信を拾うのは、かなり特殊なことだ」
サミュエルは「神の祝福者:レーン」だが、アンナはそうではなく、そのあたりのことは、よく知らなかった。なので、黙って夫の話を聞いた。
「決定的なのは、リゼットがサラリと言ったセリフだ。アレクシス殿下が『ワンチェシー王子から、自分が捕まったことを聞いて助けに来てくれた』と……」
「……そう言えば、そう言ってましたね」
「儂も聞き流してしまっていたが、タルール人と思念通話が出来るのは、グレーンフィーン、そしてハイラーレーンだけだ」
「……えっ!?」
「このことは、まだ誰にも言うなよ……」
驚くアンナから視線を外して、サミュエルは暗い天井を見上げた。
「フム、エドウィン殿下が、ハイラーレーンとなった息子をジーラント帝国ではなく、タルールに置いたのは、ロナルドの助けとなる存在としてだったのかもしれないな……。実際、タルールの毒を見つけたり、凄い活躍をされたようだし」
エドウィン殿下は、ジーラント帝国のタルール入植にあたり、学生時代の親友のロナルドに協力を求めてきたのだった。
「どうしてタルールの王は、ロナルドを牢に入れたんでしょうねぇ……」
アンナは素朴な疑問を口にした。
「……そうだな。帝国総督は、タルール撤退を余儀なくされて、ロナルドを逆恨みしたんだろうが……。まぁ、ロナルドはいつも『タルール人はバカで可愛い』と言っていたからな。おおかた、バカなタルール人の王は、帝国総督に騙されたんだろうよ」
「……ロナルドは、タルール入植に反対していたのに……。ロナルドのせいじゃないのに……」
アンナはロナルドの無念を想い、目を閉じた。
「ロナルドは、アレクシス殿下にとっても父親代わりだったようだし、アレクシス殿下は、ロナルドの死に加担したタルールの王が許せなかったんだろう。だが、グレーンフィーンの者達は、代々、不思議とタルール人好きに生まれつくからな。リゼットも殿下を止めたようだし……。リゼットが殿下を止めた? ハイラーレーンを……?」
サミュエルは、口を覆い、それ以上の仮説を妻に聞かせるのをやめた。
アンナは夫が何に引っ掛かって、言葉を失っているのか分からなかった。
──自身の暴走を止められるリゼットを、アレクシス殿下が逃がすはずはない──
サミュエルは、リゼット側が婚約を破棄してなお、アレクシス殿下が放置している理由が分かったような気がした。
……彼にとっては婚約破棄など、いつでも覆せるものなのであろう。
……だが、リゼット自身はアレクシスに放置されて、参っている。その原因は、彼らの婚約を破棄させた自分にある……。
サミュエルの弱った心臓が、ドクンドクンと忙しく音をたて始めた。彼はこれ以上、姪の結婚について、口出しすべきでないと悟った。
隣でアンナがサミュエルの背中をさすり、心配そうに見ている。
「……大丈夫。ロナルドの代わりに、リゼの花嫁姿を見る前には死ねないからな」
「そうですよ。孫の顔だって見なきゃダメですからね」
「……ああ、そうだな」
サミュエルは薄く笑って、妻を安心させようと引き寄せ、抱き締めた。
***
すべてを話し、気が楽になったリゼットは、別荘での滞在を思ったより楽しく過ごせた。伯父も伯母も、リゼットの結婚のことについては何も言わなかった。
リゼットは料理のレパートリーを広げるべく、アンナから教えを受けた。
また、伯父の畑にあるハーブを自分でも育ててみようと、種を少し分けてもらい、種まきの時期や、水やりのコツなどを教えてもらった。
伯父の顔色が、時折冴えないのが気になるが、別荘での穏やかな時間は、あっという間に過ぎた。
***
リゼットが伯父夫妻の別荘に到着してから二日後、レイマーフォルス領の高台に建つ別荘に、再びトビーがやって来た。
リゼットは準備は出来てはいたが、予定より早い迎えに、伯父夫妻との別れの挨拶がバタバタと慌ただしいものになったのを少し残念に思った。
馬車が動き出し、リゼットは後ろを向いて、二人に手を振った。
坂道を下ってしばらくして、伯父夫妻の姿が見えなくなったので、リゼットは前を向いて座り直した。
新グレーンフィーン伯爵の養女となってから、初の里帰りである。ワクワクしてきたリゼットは、改めてトビーにお礼を言った。
「お迎えありがとう。こんなに早く来てくれるとは思わなかったわ。朝早かったんじゃない?」
だが、トビーはこれに答えず、険しい顔をして前を見つめた。
「レイマーフォルス領に入ったあたりから、急に風がやんだ」
「え?」
「グレーンフィーン領の方を見ろ」
そう言われてリゼットは、遠く海の方を見つめた。
海岸沿いに植えられているヤシの木々が風で大きくしなり、ここからでも、白い大きな波しぶきがはっきりと見えた。
「……『星の嵐』が来るの?」
「……分からない。王国は、『星の嵐』から守られているはずだ。現にこの辺りは守られている。急ぐぞ。」
トビーは馬の手綱をピシリとしならせた。二人を乗せた小さな馬車は山道を下るスピードを上げた。
残念ながら、リゼットが身構えなければならないほどのスピードは出なかった。
「下りは馬に負担がかかるから、これ以上は出せない」
「ええ。無理はさせない方がいいわ」
山道を下りきり、少し進んだところで、空気の層が変わった。
ブワッとリゼットの髪が急になびき、頬に強い風を感じた。
「間違いないわ、この風。『星の嵐』の前の日よ。タルールではこういう風が吹いた翌日は、『星の嵐』が来るから学校がお休みになるの」
「どうすればいい? タルールでは皆どうして備えてた?」
「え?」
「ここに『星の嵐』が来るのは初めてなんだ。みんな戸惑っている。何をすれば、被害が防げる?」
真剣な眼差しに、リゼットは帝国人の友人達から聞いた話を、一生懸命思い出した。
「私は古代エアデーン人の遺物であるドームの魔光幕の中で守られていたから、よくは知らないの。帝国人の皆の話では、家の外に置いてある物はすべて家の中に取り込んでおくの。植木とか、外飼いの犬とか。物干しとかは下ろして……。雨戸は閉めて、無ければカーテンをするの。窓ガラスが割れることがあるから……」
「風でガラスが割れるのか?」
「風で飛んで来たもので、割れることがあるんですって。だから家の外になるべく物は置かないで……。ごめんなさい、船をどうすればいいかは分からないわ」
「係船のことは親父が何とかしてるはず。他に知ってることは?」
トビーは真剣だ。リゼットは、他には……と記憶を探り、「星の嵐」の休校前に、教師が生徒に注意していたことなども、一生懸命、思い出すままに話した。
「海の様子が気になっても、絶対に近づいちゃダメ。お風呂に水を貯めて、食料を用意して。とにかく家でおとなしくやり過ごすの。あっ、ジンシャーンにはなかったけど、海のそばや、低い土地の家や、風で飛ばされそうな、頑丈ではない家に住んでいる人は、丈夫そうな家に避難しておいた方がいいわ」
「分かった。古い、ヤバイ家のヤツは、グレーンフィーンの屋敷に避難だな」
馬車は強い向かい風の中を、グレーンフィーン領のカントリーハウスへ向かって進んだ。




