第108話 リゼットの想い 1
トビーが帰り、レイマーフォルス家の別荘に、気まずい沈黙だけが残っていた。
耐えられなくなったリゼットは、黙りなさいと言われたけれど、口を開いた。
「伯父様、あんなトビーの優しさにつけこむような言い方は、トビーが可哀想だわ。トビーにも選ぶ権利があるのに……」
「だから無理やりではなく、道中二時間、自然にお互いのことを知る機会を与えただろう」
ここへ到着した時の、リゼットとトビーは良い雰囲気のようにサミュエルには見えた。
だからサミュエルは、二人は上手く行くだろうと思ったのだ。
だが、リゼットは改めて、アレクシスとの婚約を破棄したサミュエルを責めた。
「伯父様はアレクシスを知らないから! 彼は絶対に婚約破棄なんて認めていないと思うわ!」
「どうかな? ……殿下は、お前が帰国してから、一度も手紙を寄越さないんだろう?」
「う……。それはそうだけど……」
リゼットは、言葉に詰まった。
帝国で公の存在となったアレクシスに、リゼットは度々手紙を書いたのに、彼からは一度も返事がなかった。
エドウィン殿下から、アレクシスは手紙が壊滅的に苦手だとは聞いていたけど、まさかアレクシスが一通の手紙も寄越さないとは思わなかった。
押し黙ったリゼットに、サミュエルは厳しい口調で言った。
「お前が帰って来たのは昨年の十月、婚約破棄したのは、今年の一月だ。もう半年以上経つのに、何の反応もない。これがすべてだ! アレクシス殿下が本当にお前を愛しているなら、文句のひとつでも言ってくるはずだ!」
「だって、今、彼は新しい魔鉱脈を見つけに……」
リゼットは、反論したが、サミュエルがたたみかけた。
「ハッ! たとえ魔鉱山にいたとしても、今では魔電報だって通じるんだろう? 雪崩が起きたことも、それですぐに伝わったと聞いたぞ? 手紙でも魔電報でも、何でも連絡手段はあるのに、自分の都合ばかりで、お前のことは三年以上もほったらかしだ! リゼット、いい加減、目を覚ましなさい!」
そう言われて、リゼットは顔がくしゃりと歪み、瞳がじわじわと潤んでくるのを感じた。
何も……、何も反論できない……。
リゼットは、「夏以降に迎えにゆく」の、約束ひとつでほったらかされている。
その約束も、二人だけで交わした約束で、何一つ、伯父を納得させられるものはない。……それに、今はもう、約束の夏だ。
リゼットは、涙をこぼしながら伯父夫婦の前を通りすぎ、この別荘で自分の部屋として宛てがわれていた二階の部屋に駆け込んだ。
扉を背にして、部屋の鍵をかけると、服の下から指輪を取り出した。
……そう、伯父サミュエルの言うように、アレクシスからはこの半年、何の反応もなかった。
最後に彼に愛されていると感じたのは、もうだいぶ遠い記憶になってしまった。
──もう私は愛されていないの?
そんなことはない! と頭では分かっているけれど、そう考えると、涙が止まらず、胸が苦しく、ひきつったような嗚咽で呼吸が辛くなってきた。
アレクシスからもらった緑の婚約指輪が、涙で滲んで見える。
リゼットの知っているアレクシスは、深い愛情でリゼットを満たしてくれるアレクシスだ。リゼットには、もう自分を愛していないアレクシスが想像できない。
だけど、端から見れば、この半年の放置状態が、婚約破棄の肯定と見られても仕方がなかった。
──目を覚ましなさい、かぁ……。
彼の愛を信じるべきか、現実を見るべきか、選択すべき時期が来ているのかもしれなかった。
***
リゼットはそのまま、ここへ養女として来た時のように、部屋に引き籠ってしまおうとしたが、……やめた。
王族で、亡命王子などと噂されるアレクシスはダメだという、伯父の気持ちも分かる。
心臓に持病を抱える伯父は、自分が生きているうちに、何とかリゼットを嫁にやりたいと考えてくれている。
リゼットの年齢の貴族の子女で、まだ結婚相手が定まっていないことは珍しく、また特殊な体質のことも心配してくれていることは、リゼットにも十分に分かっていた。
──意見が違うからと言って、相手のことまで否定してはいけないよ──
とは、父ロナルドの言葉だ。
ロナルドは、その言葉を信条に、意見の違うジーラント人と、タルール人の間に入って、双方に寄り添って、解決策を考えてきたのだろう。
今ここで理解してもらえないからと諦めて、部屋に閉じ籠ってしまったら、お父様にがっかりされてしまうと思った。
その晩、リゼットは伯父夫妻に話を聞いて欲しいと切り出した。今まで説明していなかったアレクシスと自分の関係を、包み隠さず話そうと決めた。
サミュエルもアンナも、リゼットが再び部屋に引き籠ってしまうのではと心配したので、黙って彼女の話を聞くことにした。
***
「アレクシスは、私がタルールのジンシャーン居住区に住み始めて一年たった頃、エドウィン殿下に連れられてタルールにやって来たの。……私は子どもだったから、タルールに社会勉強しに来た、エドウィン様の子どもとしか思ってなくて……。王子様の息子で、やっぱり王子様だとは知っていたけれど、その事を隠して過ごしているうちに忘れてしまっていたわ」
リゼットは、何も知らされず過ごしていた、懐かしい日々を思い出しながら話し始めた。
「アレクシス殿下とは、ロナルドと三人で一緒に住んでいたのかい?」
サミュエルは尋ねた。考えてみれば、当時十四才の王子を一人暮らしさせるなどあり得ない。
「ええ。居住区内に遺されていた古代エアデーン人の家は、もともと他人同士が住んでいたような作りだったの。王国人でも暮らせるような魔電気完備で、各個人の部屋にバスルームがついていたり、快適だったわ……」
アンナはリゼットを引き取った当初、風呂のない別荘暮らしを嘆いていたことを思い出した。
各個人の部屋にバスルームだなんて、当時風呂のなかったこの別荘とでは、それはそれは落差があったことだろう、と改めて思った。
「お父様は実の息子のようにアレクシスを可愛がっていたし、アレクシスもお父様を最初は伯爵って呼んでたのに、一年も過ぎると呼び捨てにしてたわ。だんだん家族のような関係になっていったと思う……」
リゼットは、ロナルドの前で頑なで、大人びた応対をしていたアレクシスが、だんだん気安い態度に変わっていくのを嬉しく思いながら見ていたのだった。
「アレクシスは、しょっちゅう意地悪なことを言って私をからかってくるけど、帝国語を教えてくれたり、倒れた私を心配したり、本当は優しい人で……。ペールっていう、帝国人の間で大人気の球技をやっているアレクシスは、本当に格好良くて……。後に帝国第三皇子とわかるヴィクトル殿下とは親友になって、二人で女の子達の人気を二分してたわ。私はそんなアレクシスを遠くから眺めるのが好きだったの……。でも、多分アレクシスの方が先に、私を好きになっていたんだと思う……」
「どうして分かったの?」
初めて聞くリゼットのロマンスに、興味津々のアンナは、前のめりになって聞いた。
「アレクシスは私に過保護で……。最初は、暑さにすぐ倒れる私に運動を禁止したりして、ひ弱な私を心配してくれているだけかと思っていたけど、帝国人の男友達とちょっと話していたら、暗示支配して、私に近づけないようにされたりして……」
「まぁ! セイレーンってそんなことが出来るの?」
リゼットはうなずき、アンナは目を輝かせるが、サミュエルは渋い顔をした。
……そのエピソードから分かることは、セイレーン・アレクシスは、独占欲が強く、嫉妬深い少年だった、ということだからだ。
──リゼットを、トビーと結婚させようとしていることについて、セイレーン・アレクシスはどんな反応をするだろうか……。
続きます。




