第104話 新たな風
新たな「グレーンフィーン:星の理解者」の祝福を持つ一家が見つかった……。
現在、エドウィン王子の預かりとなっているグレーンフィーン伯爵の爵位や領地は、その家長ジャック・タイラー氏に返還される予定である……。
そのことは、リゼットの養父であるサミュエル・レーン・レイマーフォルス前子爵にも、魔電報で知らされた。
サミュエルは、エドウィン王子の元に急ぎ現れた。
エドウィンはサミュエルを応接室で迎え、サミュエルに握手しながら、
「ご無沙汰しております、前レイマーフォルス卿。遠いところ、ありがとうございます。紹介します。彼が新グレーンフィーン伯爵に叙任される予定の、ジャック・タイラー氏です」
と、手続きのために一人、王都に残っていたジャックを紹介した。
「はっ、初めまして。ジャック・タイラーと言いま、いえ、申します」
「サミュエル・レーン・レイマーフォルスだ。リゼットの伯父であり、現在は義父だ」
サミュエルは、憮然とジャックと握手をした。漁師の男の手はゴツゴツしていて、貴族の手ではなかった。
あと少しで義娘が継ぐ予定だった爵位と領地を、いきなり現れた漁師に掠め取られることに、サミュエルは腹を立てていた。
「フン、あと一ヶ月、タルールでゆっくり過ごしていれば良かったものを……」
サミュエルは我慢ならずに、そう切り出して、エドウィンに訴えた。
「リゼットは女ですが、歴代グレーンフィーンの中でも強い祝福の持ち主です。帝国語も操り、この星の全ての者と意思疎通出来る、まさに『星の理解者』の名に相応しい娘だ。それをこんな……」
「お気持ちは分かりますよ、ですが、これはリゼットが望んだことなのです」
エドウィンは、サミュエルがジャックを傷付けるようなことを言い出す前に、話を引き取った。
だが、それについてもサミュエルはフンと鼻を鳴らす。
「リゼットは、ただ他の男と結婚したくないだけでしょう。恐れ多くも、セイレーン・アレクシス殿下のことをまだ諦めていないようだ、と妻のアンナが申しておりましたからな」
「それについては、私は息子の味方ですよ。孤独なセイレーンである息子を、リゼットは異国の地で癒してくれたのでしょうから……」
サミュエルは、これを聞き、幼かった頃のリゼットが、孤独な王子を優しく癒し、慰めている様子を想像して、かぶりを振った。
──やはりセイレーン・アレクシスは駄目だ!
サミュエルは、本人の父親を前にして、不敬にならないように、言葉を選びながら言った。
「儂は、あの娘に普通の……、普通の幸せな結婚をさせてやりたいだけです。あの娘は、タルールで世間知らずのロナルドに育てられて、世の中を知らなすぎる……」
サミュエルはただ、リゼットのささやかな幸せを望み、王族のアレクシスとの結婚は、「普通の幸せな結婚」とはならないと思っている……。
エドウィンは、このように線を引かれる辛さを、王族として何度も経験してきたが、……反論せずに引き下がった。
「……よしましょう。今日はその話をしたいのではありません。取り敢えずリゼットはジャックの登場で、たった一人のグレーンフィーンとして、伯爵家を再興するために婿を取り、子孫を残さねばならないという重責からは、解放されたのです。このことは、卿の仰る『普通の幸せな結婚』にも繋がると思われませんか?」
そう言われて、サミュエルも憮然と答えた。
「……まぁ、確かに。だが、リゼットは、グレーンフィーン伯爵家の由緒正しい令嬢だ。なのに……」
ジャックは余計な口を挟まず、黙って聞いているが、いつサミュエルの怒りの矛先がジャックに向いて、血の気の多そうなジャックと揉め始めるか分からない。
そうなる前に、エドウィンは、今日の用件を伝えることにした。
「卿が釈然としないお気持ちも分かります。そこでご相談なのです。リゼットはグレーンフィーン女伯爵になる権利を放棄しましたが、本家のグレーンフィーン伯爵家の血を引く彼女を、元通り『グレーンフィーン伯爵令嬢』と呼ばれる身分にしてやりたいのです」
「それは、セイレーン・アレクシス殿下と結婚するときに、前子爵令嬢の身分では不都合だからですかな?」
エドウィンはグッと堪えながら、「違います」と言おうとした。
だが、ジャックはこのやり取りに、猫の皮を被り続けられなくなった。
「前子爵令嬢より、伯爵令嬢の方が身分が上なんだろ? 嬢ちゃんがどんな相手と結婚するか知らねーが、付けられる箔は付けといた方がいいってことだろ? つまり、レイマーフォルスの大旦那との養子縁組を解消して、リゼをオレの養女にするってことなんだな? 俺は全然構わねーぜ?」
相変わらず察しの良いジャックは、付け焼き刃の丁寧語も忘れて、サミュエルに迫った。
サミュエルはこの漁師の勢いに、しばらく固まっていたが、やがてニヤリと笑って言った。
「確かにどんな相手にとっても、私の養女であるより、元の肩書きである伯爵令嬢に戻してやる方が良いでしょうな。……但し、条件があります」
「……条件?」
エドウィンが聞き返した。
「あの娘の資産です。あの父娘はタルールで、たった二人しかいない通訳として苦労し、挙げ句、ロナルドは命を落とした。リゼット自身も、何度もタルールの暑さにやられて倒れたと聞いている。ロナルドが得ていた俸給や、遺族に与えられた見舞金などロナルドの遺産は、全てあの娘のものです。あの娘の持参金です。決して新グレーンフィーン家や、領地運営のために使用しないことをお約束頂きたい」
威勢の良かったジャックは、ここで言葉に詰まった。
「そ、それについては自信がねぇ。なんせウチは大所帯だ。金はいくらあっても残らねぇ。ネリーは俺に金を持たせたらすぐ酒に変わっちまうってんで、稼ぎは全部ネリーが握って、俺はネリーから小遣い貰って酒飲んでんだ」
ジャックの正直すぎる告白に、エドウィンもサミュエルも苦い笑いを浮かべた。
だが、ジャックの正直さ、善良さは、やはり彼もロナルドと同じ、グレーンフィーンなのだと、エドウィンもサミュエルも、妙に納得させられた。
エドウィンは、リゼットを可愛がっているサミュエルが、自身との養子縁組の解消をもっと渋るかと思っていたが、彼はどこまでも、リゼット本人の幸せを望む、良い伯父なのだと分かった。
「分かりました、前レイマーフォルス卿。彼女の資産は現在、私の顧問弁護士に管理させています。これを十八才の成人まで預かることになっていましたが、成人した後はリゼット個人と管理契約を結ばせることにして、さらに結婚するまで契約を継続させましょう。それを養子縁組解消の条件とされれば、卿の希望は叶うのではないですか? もちろん、リゼットも成人した後は、自分の自由に使うことは可能です」
エドウィンの提案に、サミュエルも妥協するしかなく、ジャックも
「うん、嬢ちゃんの金だもんな。その方がいい。ネリーには黙っとくぜ」
と鷹揚にうなずいた。
***
翌日、新たな「星の理解者:グレーンフィーン」の一家が見つかったことが、王都エアデーリャの新聞紙面に大きく掲載された。
現在、エドウィン王子が後見人となって預かっているグレーンフィーン伯の爵位と領地は、前伯爵ロナルドの遺児のリゼット嬢ではなく、今回グレーンフィーンと判定されたジャック・タイラー氏に返還されると公表された。
後日、国王オリヴァールは、ジャック・タイラーを新グレーンフィーン伯爵に叙任し、故ロナルド・グレーンフィーンの所有していた領地を授ける勅書を下した。
叙任式はなく、書面による手続きのみで行われ、面倒な儀式を免れたジャックは、大いに安堵した。
ジャックは、タイラー姓を改め、ジャック・グレーンフィーンと名乗ることとなった。
そして、その妻ネリーの両親が執事として長い間仕えてきたグレーンフィーン伯爵家の、新たな主人となった。
リゼットの相続に関する全ての手続きも、エドウィンを保証人として進められた。
リゼットは新グレーンフィーン伯爵の養女となることで、本家グレーンフィーンであった身分を保証され、その姓から「レイマーフォルス」が抜け、元の「リゼット・グレーンフィーン」に戻った。
長らく領主不在だったグレーンフィーン領に、新たな風が吹き始めた。
***
四月、リゼットは十八才になった。
現レイマーフォルス子爵ベンジャミンから、リゼットたちのもとに一通の手紙が届いた。
手紙には、領地の別荘に一人戻ったサミュエルが、体調を崩し倒れた、とあった。
現在は容態は落ち着き、本邸で面倒を見ているが、サミュエルは畑の世話もあり、体調が戻ったら別荘に帰りたいと言っているらしい。
ベンジャミンは、父親の希望を叶えてやりたいが、今回はたまたま近所の領民が通りかかって発見が早かったものの、やはり一人暮らしをさせるのは心配である。
母のアンナに出来れば父親の面倒をみて欲しい、とその手紙で頼んでいた。
レイマーフォルス領の別荘に戻るかどうか迷うアンナに、リゼットはこれを機に、レイマーフォルス家のタウンハウスを出ると告げた。
レイマーフォルス家のタウンハウスは、それほど大きくなく、ベンジャミン夫妻は、リゼットの結婚のかかった社交を優先して、社交シーズンを領地で過ごしてくれていた。
だが、本来は、彼らの社交のためにある家だ。
リゼットは、もうレイマーフォルス家の人間ではなくなったし、幸い貿易省で働いており、自分と犬だけならば、自活できる収入もある。
仕事も楽しくなってきたところだし、王都エアデーリャで賃貸物件を借りて、一人暮らしをすると伯母のアンナに言った。
グレーンフィーン前伯爵のロナルドは、ジーラント人がタルールにいる限り、王国に帰れないと思っていたらしく、グレーンフィーン伯爵家のタウンハウスは、処分されてしまっていたからだ。
アンナは未婚の貴族女性であるリゼットが、平民のように一人暮らしをすることに反対だったが、この話に同僚のジェニファーが食い付き、結局二人で王都郊外の小さな家を借りて、シェアハウスをすることにした。
バロンがいるから、小さくても庭が欲しかったリゼットは、ジェニファーの申し出を喜んだ。
アンナも、リゼットが一人暮らしをするのでないならば、と了承し、夫の待つ領地の別荘に帰っていった。
***
シェアハウスへのバタバタとした引っ越しも、どうにか終わった。
リゼットの部屋の机の上には、相変わらず、犬のぬいぐるみ「コロン」が飾られている。
リゼットは、「コロン」の首輪となっていた、組紐に繋がったアレクシスとの婚約指輪を、再び自分の首にかけた。
それは、婚約者ではなくなった自分にはもう、身に付ける資格はないと思って、ずっと外していた指輪だった。
グレーンフィーン家を再興させるのは、自分ではなくなった。もう無理に婿を取る必要はなくなり、アレクシス以外の人と結婚しなくてもいい……。
その重圧から解き放たれた今、リゼットは堂々とアレクシスの帰国を待ち、彼のことを想っていても、許されるような気がしたからだった。
今でも婚約は破棄されたままで、正式な婚約者ではないけれど、心は婚約者でいたときと変わっていない。
四月になってもまだ雪深いジーラント帝国の山奥で、新たな魔鉱脈を見つけるため頑張っているであろうアレクシスに、気持ちだけでも繋がっていたくなった。
アレクシスのくれたグリーン・ガーネットの婚約指輪は、王都で働きながら、彼の帰国を待つリゼットの心を、彼女の服の下で、そっと支え続けていた。




