第103話 グレーンフィーン家 2
翌日、エドウィンは紹介したい者がいると、お茶の時間にリゼットを招待した。
夜会で足を痛めたリゼットは、まだ一人では歩けない状態だったが、介助の者まで手配されていては断ることも出来ず、伯母と共に招待を受けた。
馬車から降りると車椅子に乗せられ、セントレナード公爵邸の庭園に案内された。
庭園に設けられたガラス張りの温室の屋根が見えてくると、明るく賑やかな子どもの声が聞こえてきた。
三月にしては暖かい、優しい春の陽射しの中、庭では四人の子どもたちが、追いかけっこをして遊んでいた。
温室の中のテーブルセットを囲んでいた人影は、車椅子のリゼットと伯母のアンナの登場に気付くと、立ち上がって迎えた。
「やぁ、リゼット。足の調子はどうだい? 無理に呼び出してすまないね。レイマーフォルス前子爵夫人も、忙しいところ申し訳ない」
そう言って二人に近付いたエドウィンは、リゼットには身を屈めて両頬にキスを、夫人にはハンドキスの挨拶を交わした。
ジャックたち一家は、その貴族達の洗練されたやり取りを、ポカンと眺めていた。
「紹介するよ。こちら、リゼット・グレーンフィーン・レイマーフォルス嬢。伯母上のアンナ・レイマーフォルス前子爵夫人。そして、こちらジャック・タイラー氏」
「初めまして。リゼットです」
リゼットは自分からは近づけないので、車椅子に座ったまま手を差し出した。
ジャックは作法が分からず、普通の握手の角度で手を出した。リゼットもすぐに切り替えて普通に握手した。
エドウィンは紹介を続けた。
「妻のネリー夫人」
「あ、ネリーは存じておりますわ。グレーンフィーンのカントリーハウスを管理してくれているジョンの娘さんよね?」
「は、はいそうです! お嬢様!」
ネリーはリゼットに覚えてもらっていたのが嬉しくて、ニコニコしながら握手した。
「そして、息子の……」
「トビーだ」
「初めまして、リゼットです」
詰まったエドウィンに替わって、トビーが自ら名乗った。
リゼットはトビーにも手を差し出し、トビーはふて腐れながらリゼットと握手した。
エドウィンは「早速だが……」と本題に入った。
「リゼに来て貰ったのは他でもない。ジャックは、グレーンフィーンの祝福を持っていたんだ! 漁をしていて、星の嵐に遭ってタルールに流れ着いて分かったんだ。今回、神殿で子どもたち全員診てもらって、五人の子どもたち全員にグレーンフィーンの祝福が受け継がれていると分かったんだ!」
リゼットは、驚きのあまりしばらく声が出せなかった。
「……嘘」という、リゼットの小さな呟きをトビーは聞き逃さなかった。
トビーはすぐさま「嘘じゃねえ!」と大きな声を上げ、立ち上がった。
だが、顔を覆って泣き出したリゼットの前に、彼はストンと腰を下ろした。
「よかった……、よかった……。私一人じゃなかった……」
そう言って泣くリゼットの背中を、エドウィンは優しく叩いた。
その涙の意味が分からないという顔をしているトビーに、エドウィンは優しく説明した。
「リゼットはね、グレーンフィーンのただ一人の生き残りだからと、血を繋ぐために、婿となる結婚相手を見つけ、子孫を残すよう言われて、婚約を破棄させられたんだよ」
トビーは相変わらず憮然としていたが、アレクシスとの結婚を反対しているアンナまで、少しもらい泣きしていた。
ジャックは、すべてを悟り、身を固くしながら言った。
「つまり、エドウィン様は、俺にロナルドの跡を継いで、グレーンフィーン伯爵になれと……」
エドウィンは、察しの良いジャックに、心の中で感嘆した。
「……そう言うことだよ、ジャック。彼女が婚約を破棄させられた相手というのが私の息子、セイレーン・アレクシスなんだ。王族は立場上、婿にはなれないだろう? だから……」
「そんなっ! 俺みたいな、親父がどこの馬の骨かも分からねぇ奴が、そんなお貴族様になんざ、なれるわけがねぇ!」
ジャックは、エドウィンの言葉を遮って叫んだ。
神々に与えられた祝福を保つための、王国貴族の特殊な慣習を知らないジャックが戸惑うのは無理もない。
エドウィンは穏やかに説明した。
「グレーンフィーンは、王族と同じぐらい特殊な祝福だ。エアデーン貴族は、男女関係なく爵位は祝福の力の強い者が継承する。神殿に残る過去のグレーンフィーン家の判定記録を見ると、祝福の強さはリゼが歴代の中でも飛び抜けて強い。本来ならば、リゼが継ぐべきなんだろうけど、彼女はもう、うちの息子がベタぼれでね……」
それを聞いて、リゼットは鼻をグズグズさせながら照れた。
エドウィンは苦笑いをしながら、まるでリゼットとアレクシスとの婚約が、解消されていないかのような前提で続けた。
「リゼがグレーンフィーンを継いだら、アレクシスとリゼの二人目の息子が生まれ、成人するまで、グレーンフィーン伯爵位が空位になってしまう……。他に継ぐ資格を持つ者がいるならば、やはり土地柄、タルールに対して行動を起こしやすい、グレーンフィーン領に住む男性が継承するのが望ましいんだ」
エドウィンの中では、二人の結婚は、周囲の反対がどうあれ、規定路線だった。
ジャックは、故ロナルドと一回り年が離れていたが、兄のように慕っていた。狭い領地なので皆、顔見知りだ。
「ロナルドは、タルールが好きで、冬は毎年タルールに遊びに行くようなヤツだった。気さくで、皆から慕われる良い領主だった。エドウィン殿下みたいな王族ともダチで……、とにかくすげぇ人だった。俺にとっては憧れの兄貴のような存在だったんだ。俺はただの漁師だ。さっきみたいなお貴族様の挨拶なんて、寒気がして出来る気がしねぇ。お嬢様にはわりぃが、そんな俺が、伯爵? とかありえねぇよ……」
自信無げに断るジャックに、それまで黙っていたリゼットが、
「ジャックさん、今、グレーンフィーン領はずっと領主が不在で、港の設備が古くなっていて皆が困っていると聞きました。領地の管理なら、ジャックさんは漁師なので、皆の気持ちがお分かりになるでしょうし、父よりも上手に出来ると思うんです! どうか、どうかお願いします! 私の代わりに、父の跡を継いで下さい。グレーンフィーン領の皆のために! お願いします!」
と、頭を下げて懇願した。
ジャックは、領主のお嬢様であるリゼットのことを、彼女が生まれたときから知っていた。
ロナルドがタルールに出かけるたびに、見送りに来てはレイマーフォルスの伯父に引き取られていく幼いリゼットを何度か見かけたことがあった。
ジャックの中では、リゼットの印象は、そんな寂しげな小さな後ろ姿だった。
そのリゼットお嬢様が、自分に領主になって欲しいと、頭を下げたまま動かない。
ロナルドは不在がちな領主だったが、それでもタルール赴任前は領民のため働く、良い領主だった。
だが、リゼットの言うように、領内の公共事業を指揮する領主が長期不在である影響は至る所に見られ、そろそろ放置出来ない状況になってきている。
ネリーもトビーも、自分がどう返事するか待っている。
ダメ押しで、エドウィンが口を開いた。
「私の息子のセイレーン・アレクシスは今帝国にいて、彼女を迎えに来れない状況なんだ。そうしているうちにリゼットが、他の男と結婚させられてしまうかもしれない。息子はその時どうするか……、私は想像するだけで恐ろしいんだよ。……二人の為にも頼むよ、ジャック」
ジャックのこめかみに汗が流れた。
彼の人生最大の決断は、ネリーにプロポーズした時が最初で最後だと思っていたが、……たった今、上書きされた。
「あ~、もぅどうなっても知らねーぞ! 俺に学とか品とか、そういうのを絶対に求めんじゃねーぞ! そういうのは、トビーに仕込んでくれ!」
「えっ、オレ?!」
急に話を振られたトビーが面食らい、裏返った声を上げた。
「ありがとうございます! ジャックさん、トビー! ネリーも!」
涙の跡を残しながら、リゼットはぱぁっと薔薇色の笑みを浮かべた。
ジャックはその笑顔を見て、照れ笑いし、ネリーは夫の腕に抱きついた。
トビーは目線をそらし、顔を赤くしながら、ふて腐れるしかなかった。




