第97話 覚悟
季節は移ろい、ジーラント帝国に秋の気配が訪れる。
ジェニファーの短期留学が終わる九月末、一緒に帰国することにしていたリゼットは、アレクシスの母ミランダと短い滞在の名残を惜しんでいた。
ジェニファーとは、ダリヤーム川の河畔にある国境の街、北フォークシャスで落ち合うことになっていた。
そこまで角翼竜ヴェータで送ってくれるというアレクシスが迎えに来るのを、コネーハヴェ離宮の屋上でミランダと待っていた。
『いよいよ帰るのね、寂しくなるわ』
『お手紙書いても良いですか?』
『手紙は苦手なの。返事が連絡事項でよければね』
それを聞いて、リゼットはふふっと笑って、
『そんなところまで同じなんですね』
と言った。ミランダはアレクシスと同じと言われて不満そうだ。
そんなミランダがふと真顔になって、リゼットに尋ねた。
『貴女、本気でアレクシスの、王族、いえセイレーンの妻になる覚悟はあるの?』
リゼットはその質問には直接答えずに、言葉に詰まりながら話し始めた。
『私は来年春には十八才の成人になります。その時に、名ばかりなんですが、正式にグレーンフィーン女伯爵となることになっているんです。王国の南の外れのヴォリアーシャ地方に、小さな領地とカントリーハウスがあって、今は老執事夫妻が管理してくれています。私はそこを一緒に守ってくれる人を見つけて、結婚するよう、養父に言われているんです』
ミランダは、以前リゼットが言っていた『三年後には迎えに来て』の意味を知った。
『でも、もしアレクシスが私を迎えに来てくれたとしても、アレクシスには田舎領主になってもらう気はありません。というか、アレクシスはセイレーンです。継承順位は公式には発表されていませんが、……現行法でも聖王位継承権は、本来ならば第一位だと聞きました』
ミランダは、リゼットの言葉を聞き咎めた。
『私もそこが気になっていたのよ。私は王室典範が改正されて、ハイラーレーン・エレオノーラ様に代わって、セイレーン・オリヴァール様が国王陛下になったことしか知らないのだけど、王国では祝福の力の強さで、継承順位が変わるのでしょう? その部分も改正されたの? アレクシスの継承順位が公式には発表されていなくて、本来ならばって、どういうこと?』
リゼットも新王室典範の内容は、最近習ったことだが、アレクシスの継承順位が発表されていない理由までは、分からなかった。
『分かりません。ただ、王位継承順位は長子優先で、聖王位継承順位は、祝福の力の強さで決まると習いました。ですが、私と一緒に帝国に来た神官のウィリバート様は、聖王継承順第一位のセイレーン・マグノリア様より、アレクシスの方が、セイレーンとしての力が強いと思われているようです』
ミランダは、スッと目を細めた。
元夫エドウィンが、当時まだ十四才のアレクシスを、タルールに「逃がした」のは、その辺りに理由があるのだろう。
恐らく、オリヴァールは聖王位を、ジーラント人の血を引くアレクシスではなく、自分の娘のマグノリアに継がせたいのだ。
──ジーラント人のわたくしのことを、散々罵って、暗示支配しようとした、あの男ならばやりそうなことだわ……。
ミランダは、自分の顔が自然と険しいものになっていたらしく、リゼットが怯んで黙ってしまったので、彼女に謝って、話の続きを促した。
『現聖王陛下のハイラーレーン・エレオノーラ様は、ずっとエクレタ離宮でご静養中ですし……。聖王継承順第一位のセイレーン・マグノリア様は、まだ未成年でいらっしゃるので……』
『アレクシスは王都に戻ったら、聖王の仕事を代理で行う可能性があるってこと?』
リゼットはミランダの質問に、こくりとうなずいた。
ミランダも離宮でずっと静養中なので他人のことは言えないが、「星の支配者:ハイラーレーン」にずっと静養されていては、王国も困っているだろう。
……だが、自分の娘に聖王位を継承させたいオリヴァールが、アレクシスのことを認めるだろうか……。
『……でも私は、ただのアレクシスと一緒にいたいだけなんです』
リゼットは悲しげに笑って、やっとミランダの問いに答えた。
『だから王族、セイレーンの妻になる覚悟があるかと尋ねられても、……正直、そんな覚悟はないです』
リゼットは戸惑いながらも正直に言った。
リゼットは、これでミランダに婚約指輪を返さないと言われても、仕方ないと思った。
ミランダは呆れたように、笑った。
『……そうなの。正直ね』
『すみません』
『覚悟はあるって言った方が、指輪を返してあげやすいのに、覚悟がないなんて……』
『……すみません』
ミランダはため息をついた。
リゼットには「祝福の副作用」という、とんでもない持病があるのに、この小さな体がそれに耐えきれるのだろうか……。
『貴女が住もうとする世界は伏魔殿。あの子の愛だけでは、貴女にはきっと乗り越えられないと思うわ』
やっぱりそうなのか……とリゼットの目が潤む。
『でもね、貴女たちを見ていて思ったのだけど、貴女に依存してるのは、あの子の方よ。例え国王陛下が貴女のことを認めないと言っても、あの子は絶対に貴女を離さないでしょうね』
──なんせ息子は、この娘を得るために、魔鉱脈まで見つけたのだから!
『……そうでしょうか?』
自信無げに小さく呟くリゼットの瞳が潤んでいる。
『ホラ、いちいちメソメソ泣かない! 女は簡単に泣いてはダメ! あの子の隣にいたければ、もっと強くなりなさい!』
そう言うと、ミランダはリゼットの背中をバーンと叩いた。
『いっ! ったぁ……』
リゼットは腰を折ってジンジンする背中をさする。先ほどとは別な種類の涙が浮かんできた。
涙で滲んだ薄目を開けると、目の前に組紐で吊るされた緑の石の指輪が浮かんでいた。
『川の石って言って悪かったわ。王国から宝石鑑定士を呼んで見てもらったの。グリーン・ガーネット。この星では貴重な宝石よ。大事になさい』
そう言って組紐をリゼットの首にかけてやり、先ほど叩いた背中を、優しくさすってやりながら抱き締めた。
***
やがてヴェータに乗ったアレクシスが迎えに来た。
リゼットが服の下に指輪をしまう様子を、アレクシスは空からしっかり見ていて、ミランダが指輪をリゼットに返したこと、また、彼女が普段そのようにして指輪を身に付けていたことを知った。
アレクシスはリゼットと荷物を角翼竜ヴェータに固定すると、彼女が世話になったと礼を言い、ミランダにまた来ると告げた。
リゼットも最後は笑って、ミランダにお礼と別れを告げた。
ミランダは遠ざかる角翼竜を見送りながら、これから待ち受ける困難を、二人が乗り越えられるよう、祈らずにはいられなかった。




