二十話 ケアレスミス
佐藤さんは城の客室で目を覚まし、ベッドから体を起こす。右腕に視線を落とし、裾をめくった。
黒い紋様がある。
やはり、あれはただの夢ではなかったか……
「ふっ。変な悪魔だ。あの神様も大概だが――天才と変人は紙一重か。良い例えだ。」
腕の紋様を見ながら、鼻で笑った。
部屋の小窓から、日が注ぎ込んでいる。
身なりを整え、部屋から出ると、メイドが待機していた。
「おはようございます。サトー様。他の皆様は既に起きられ、朝食をとっておられます。ご案内しますがよろしいでしょうか?」
無言で頷くと、朝食の用意されてある部屋へ案内された。
「おはようなのですよー。」
ペトラが口に、パンを目一杯頬張っている。パンの香ばしい匂いが食欲をそそる。こんなにがっついているペトラは初めて見るかもしれない。余程パンが美味しいのだろうか。
まだ熱さを感じるパンにバターを塗り込むと、溶けて染み込み、何とも言えぬ芳醇な香りが広がる。
よく見るとリーシャまで口を膨らませている。まるでリスだな――ロザリーだけは、上品に食べているようだ。
リーシャは何か言っている様だが、口にパンを詰め込みすぎて全く何を言っているのか聞き取れない。
「少し落ち着いたらどうだ?」
とは言え、その美味しそうな朝食を自分も早く食べたいと思い、席につくなり、すぐにパンを手に取った。拳ほどの大きさのパンにバターを塗り、かぶりついた。
その時だ――
部屋の扉が勢いよく開いた。
佐藤さんは扉に一番近い事もあってか、びっくりしてパンを咥えたまま、音のした方向に顔を向けた。
「貴様ら誰に許可を得てここでを食事している。ここは部外者が入っていい部屋ではない。即刻部屋から出ろ。」
扉の前には、リーシャと同じくらいの年頃の男の子がローブ姿で立っている。佐藤さんは目の前の男の子が何やら怒っている様子なので、言われた通り、パンを咥えたまま部屋を出ようとした。
すると、男の子はすぐ近くに飾られていた剣を取って、サトーの行手を阻み、喉元に突き出した。
「貴様ふざけているのか。私を誰だと思っている。まさか私の事が分からんなどと、ぬかす気ではないだろうな。」
とりあえず、誰かは全く分からぬが何か喋らねばまずい。更に機嫌を損ねてしまった様だ。サトーは口に入りきらないパンを、無理矢理押し込んだ。
その瞬間、その少年は喉を貫くつもりで剣を押し付けた。
だが、喉元に剣は届いていない。目の前の男は剣先を片手で、しかもたった指二本で剣を抑えている。いくら押しても引いても、剣がピクリともしない。
「貴様!!!何を――」
少年が怒り狂った声を上げたその時、その後ろから更に大きい怒号が飛んできた。
「馬鹿者がっ!!!」
その人は皇帝陛下だった。少年の首根っこを掴み、後ろに投げ飛ばした。
佐藤さんは、剣を摘んでいた指先から、スッと力を抜いた。
「この方は!この皇帝である私が直々に招いたのだ!!なんて事をしてくれたんだ、このバカ息子はっ!!」
あの優しげの感じる声の皇帝陛下と同じ人とは思えない程、顔を真っ赤にし声を荒げている。
なるほど、皇太子だったのか。
佐藤さんはようやくパンを飲み込み、口の中をスッキリさせた。陛下の斜め後ろにはストラウスもいた。見るからに困った様子で、頭を手で押さえている。
寝ぼけた頭でもようやく理解できてきた。皇帝は皇太子に、この部屋に客を招く事を伝えていなかったのだろう。
この部屋は皇族にとってか、皇太子にとってかは分からぬが、特別な部屋の様だ。俺たちに気づいた皇太子が退室しろと言った……が、パンを口にしたまま出ようとした俺に、腹をたてたのだろう。
「お怪我はありませんか?何とお詫びしてよいか……大変申し訳ありません……」
ストラウスが近づいてきた。佐藤さんは苦く笑いながら大丈夫だと伝えた。
皇帝の怒りは鎮まらず、自分の息子に向かって大きな拳を振り下ろそうとしていた。
「く、クロヴィス皇帝陛下っ!どうか落ち着いて下さい。私も悪いのです。皇太子とは知らず、少々失礼な態度をとってしまいました。どうか、それくらいで……」
余りの怒り様に、サトーも若干ビビっている。穏やかな人ほど怒ると怖いと言うが、怒られている本人はたまったもんじゃないだろう……
そう言えば、昔は気の強い人だったが、歳をとって丸くなったって話をペトラがしてたな。
佐藤さんは皇帝が歳をとったこの時代に、転生できて助かったと思った。
「サトー殿。謝罪が遅れて申し訳ない。剣を抜いた時点で許される事ではないが、どうかこの私の顔に免じて息子を許して頂けないだろうか。」
今度は、顔色から血の気が引き、冷や汗が頬を伝っている。皇帝という立場から強気の姿勢を見せていたが、もしサトーが怒り狂って剣をとろうものなら――と考えているのだろう。現在、帯刀はしていないが。
力の差だけを考えればそれだけの差がある。ここが合戦のできる戦場であれば、多少話は変わってくるだろうが、十や二十、束になったところで勝てるとは考えづらい。視界から身体ごと消えるような動きをする男なのだから。
「陛下!どうか頭を上げて下さい!私は何も気にしていませんので。」皇帝に頭を下げられるなど、こっちが冷や汗を流したいところだ。
今の佐藤さんにとっては、剣で突かれようとも、急所であればある程容易く止められる。
なので、あまり気にしていない。ちょうどそれを実感したところだ。
「皇帝ともあろう者が下々に頭を下げるなど!!何を考えているのですかっ!!」
皇太子が声を発すると、ストラウスがまた苦しそうな顔をして頭を抱えた。
「し、暫しお待ち下さい。」
ストラウスは金色の装飾が施された豪華な扉を、両手で隙間を埋める様に、しっかりと閉めた。
奥から皇帝の怒鳴り声が漏れてくる。朝食はすっかり冷めてしまい、リーシャ達は顔を見合わせて、ただ苦笑いをした。
何でこんな状況になったんだ……この部屋に問題があるみたいだが、豪華さはどこを見ても、豪華すぎて差はあまり分からん……
程なくして、ストラウスだけが部屋に戻ってきた。
「サトー殿……大変申し上げにくいのですが……あの事を隠したままではどうしても皇太子が納得されず、手を焼いておりまして……秘密を話す事はできないでしょうか?」
ストラウスが少し俯きながら話した。
「あー。うー。別にいい――」
「ダメよ。」
リーシャが割って入り、言葉を止めた。
リーシャがサトーのすぐ隣まできて、耳打ちをする。
「皇太子だからって話せないわ。あくまでストラウスさんと皇帝陛下を信用して話をしただけなのよ?ほんとにバカなんだから。」
耳打ちでまで罵倒されるとは思わなかった。
佐藤さんは少しだけ傷ついた。一応センチメンタルな心を持っているらしい。
「申し訳ありません、それは流石に無理があります。あくまでストラウス殿と、皇帝陛下を信用してお話をしたのです。皇太子だからと言って話すわけにはいきません。」
佐藤さんに代わって、リーシャがハッキリとした口調で丁寧に断った。
「確かに。おっしゃる通りですね。失言でした。お忘れください。」
「皇太子がこの部屋を使っている事に対して腹をたてた様ですが、この部屋になにか?……」
佐藤さんは、あまり気にしていない様子で理由を聞いてみた。ストラウスがあまりにも申し訳なさそうな表情なので、見ているこちらが困ってしまいそうだ。
「この部屋は、皇帝陛下が対等な立場と認めた者しか招かない部屋です。皇后様が、陛下や皇太子の為に描いた絵画が飾ってありますが、皇后様は亡くなられており、皇太子はこの部屋自体を、形見の様に思っておられるのではないかと。」
「対等な立場と言いましたが、皇帝陛下と対等な者など今まで身内以外おりませんでしたので……」
「なるほど。そうでしたか……」
部屋を見渡して沈黙した。
なんだ、この重い空気は……出たい。と言うか、もう城から出たい。そうだ!書庫を見せてもらうんだった!この空気は耐えられん!!
「あの、差し支えなければ書庫を見学してもよろしいでしょうか?」
「でしたら、陛下にその旨伝えておきます。城を出られる前に少し話をして、送り出したいと仰っておられましたので。」
四人はストラウスに礼を告げて、書庫に逃げ込んだ。
リーシャは近くに誰もいないのを確認して口を開いた。
「あの皇太子は絶対ダメよ。絶対話しちゃダメ。自分の事なんだからちゃんと考えてよ!」
一回りも年下の子に説教されるハメになるとは……確かに浅はかだったが、絶対にダメな理由が分からん。
佐藤さんは、人を見る目がない――とまでは言わないが、誰が良くて誰が悪いという判断が得意ではない。
「き、気をつけるけど、そうゆうのは苦手なんだなー。」
佐藤さんは、リーシャの機嫌が悪そうなのを察して笑って誤魔化そうとした。
これじゃ板挟みじゃないか。ここにも伏兵がいたとは……
「何で笑ってんのよ、分かってるの?私の言ってる事。」
なんだこのオカンみたいな態度は!勘弁してくれ!分かってるけど、わかんねぇんだって!!
大体人をちょっと見ただけで、こいつはダメあいつは良いみたいな判断出来るわけないだろっ!
勿論こんな事を正直に口にすれば、リーシャの口に油を注ぐ様なものなので、声には出せない。
「ほんと!分かってる!気をつけるよ。ちょ、ちょっと一人で色々見てくるっ!」
落ち着いてと言う様に、リーシャに手のひらを向けて、逃げる様に後ろに下がった。
その頃、具体的な説明をしようとしない父に対して、皇太子は苛立ちを隠せず、自室に閉じ込められながらも、状況を把握しようとしていた。
もしや私も知らない何かを、あの下賤な者に握られているのではないか。あんな奴らが母上が残した部屋に入っていい訳がない。
皇太子は向ける当てのない怒りを、拳に押し込めながら考える。
かなりの強者らしいが、大体国と一個人が釣り合う筈がないのだ。
サトーと言ったか。
しかも、王族を馬鹿にする様な不遜な態度。万死に値する。私が皇帝なら直ぐにでも首をはねてやるのに……
弱みを握られているのなら、尚更始末せねばなるまい。私は父のようにはいかんぞ。いつの日か必ず痛い目を見せてやる……
佐藤さんは王族などに対する、礼儀作法を意識していたが、皇帝陛下と打ち解けた為か気が緩んでいたのだろう。通常そんな事をすれば、相手の性格次第でもあるが、即刻打ち首になってもおかしくはない。
皇帝が下々に深く頭を下げるなど、常軌を逸している。そもそもこの状況がおかしい為、何故皇太子はこんなに怒り狂っているのか――と考えるかも知れないが……
怒り狂うのも、普通に考えれば当然である。
これは佐藤さんにとって、転生してから今までの最大のミスと言えるだろう。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
ここまで書き進めてきて、思っている事があるのですが......タイトルがどうも内容と合っていない気がしてきたのです。
どう思われますか?笑
佐藤さんの力である悪魔。たけしはかなり重要な立ち位置で本来ならタイトルにもそれとなく挟みたい所なのですが、最初の段階では謎であるので......難しい!!......