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辺りが騒がしい。
かしましい鳥の囀り。
庭先を掃く雑司女の無遠慮な喋り声。
それに、西の対を新築している工人が仕事を始めたのだろうか、遠くで槌を振うような音もする。
ああ、もう夜が開けたのか。
嫌な夢を見た。
道端で亡者を拾った咎で、地獄の責め苦にあわされるとは。
堀河は欠伸をしながら身体を伸ばし、ゆっくりと畳の上に身を起こした。
すると、目の前に据えられている帳台が、嫌でも目に入る。
帳の上がったままの帳台の中では、昨夜の男が昨夜のままの姿で寝ていた。
寝不足の堀河の頭は混乱し、絶望的な気分が襲って来る。
夢じゃない……
やはり自分はとんでもない厄介を背負い込んでしまったのだ。
堀河は恐る恐る帳台に近づき、中を覗き込んでみた。
男はぐったりと茵の上に横臥していたが、息遣いは意外に安らかだった。
浅黒い顔に、濃い眉とわりあい通った鼻筋。
乱れた蓬髪に覆われてはいるものの、明るい朝の光の中で初めて見る男の顔は、そう見苦しくはなかった。
堀河はそっと手を伸ばして、男の額へ触れてみた。
左のこめかみに、三日月型に並んだ目立つ三つのほくろがある。
堀河はそのほくろに指を触れ、それから掌で額を覆ってみた。
熱はないようだ。
その時、男は急にすうっと目を開けた。
堀河は驚いて後ずさった。
男はぼんやりと堀河の顔を見る。
堀河は勇気を振り絞って男に話しかけてみた。
「そなた、名は何という?」
男はじっと堀河の顔を見つめたまま、それには答えずに言った。
「ここは?」
「ここは三条西殿。恐れ多くも今上の御母君様であられる待賢門院様の御所じゃ。わたくしは、女院様に仕える女房で堀河という」
そして、もう一度訊ねてみた。
「そなたの名は?」
男は自分の頭の中を見渡しているかのように視線を空にさ迷わせていたが、やがて首を振って言った。
「覚えておらぬ」
「そんな馬鹿な。自分の名を覚えておらぬはずがあるまい」
だが、男は堀河が何度訪ねても首を振るばかりだった。
まさか、牛に突き当たった時に、頭でもひどく打ったのだろうか。
それとも、何か名も言えぬような厄介なわけでもあるのか。
堀河はますます男が胡散臭くなり、こんな男を助けてしまった自分を呪った。
だが、とにかく男は命を取り留めたようだ。
ここは何とか元気になってもらって、一刻も早くここから出ていってもらうしかあるまい。
堀河はそう覚悟を決めた。
幸い、この男のことを知っているのは、昨夜供をしていた者たちを除いては自分一人。
何とか隠しおおせるかもしれない。