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その時、寝殿の御簾の奥から衣擦れの音がした。
堀河が驚いて階から見上げると、御簾の巻き上げられた長押の辺りに、待賢門院が立っていた。
待賢門院は桧扇で顔を隠すこともなく、月光の下にその白い面を晒している。
月明かりに輝くその顔は、神々しいまでに美しかった。
まるで、遥かな浄土からこの世に降り来った弥勒菩薩の化身のようだ。
その清らかに美しい額から、濡れたように輝く髪が流れ落ち、葡萄染の袿の裾を豊かに蔽っている。
いつも見なれているはずなのに、堀河は思わず待賢門院に見とれてしまっていた。
桜子はぼんやりと口を開けて待賢門院を見つめたまま、言葉も出ないようだ。
待賢門院は階の傍らに腰を下ろすと、その夢のような美貌と甘い声に似合わぬ、はっきりとした口調で言った。
「鳥羽院が、鴨院の源義親を操っておられるのか」
堀河はその口調に押されるように答えた。
「はい、お恐れながら」
待賢門院はしばらくの間白銀の庭を眺めていたが、やがて強い輝きを帯びた眼で堀河を見つめると、真顔で問うた。
「そなた、その義親という男が本当に好きか」
堀河はいつになく真剣な待賢門院に押されるように、つい恥ずかしげもなく答えた。
「はい。何ものにも替え難いほどに」
待賢門院は澄んだ目で、またしばらく堀河を見つめると言った。
「これから、一つ文を書く。それを持って、鳥羽院の元へ行くがよい。そして、それを鳥羽院に見せ、そなたがどれほどその義親をいとおしく思っているか説いてみよ。そなたの熱意が功を奏すれば、鳥羽院はおそらくそなたに男を返してくださるであろう」
「それはどういうことでございます?」
「よいから、行け。その文にあることは、わたくしと鳥羽院との問題。そなたは何も聞かず、ただ自分の思うところを訴えるだけでよい」
「でも……」
「そなたは、その義親とやらに逢いたかったのではないのか」
「いえ、もちろん」
「それなら、逢うておくがよい。わたくしのように、後悔はするな」




