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長い間、待賢門院は何かに憑かれたように筝を弾いていた。
堀河も、その美しい音色に聞き惚れながら、白銀に染まる庭の景色を眺めていた。
ふいに、傍らの呉竹の群れが揺れた。
さらさらと音を立て、黒い影のようなものが竹群を抜け出したかと思うと、階の傍らに走り寄って畏まる。
堀河はびっくりして声を上げようとした。
黒い影はさっと顔を上げると、しっと音をさせて唇に指を押し当てる。
月光の中に浮かび上がったのは、可愛らしい桜子の顔だった。
といっても、今は女童装束ではなく、小奇麗な童水干に髪を後ろできりりと結んだ童子の姿である。
「桜子!」
堀河は驚いて、ついそう言ってしまった。桜子は苦笑した。
「堀河様、もうその名はご勘弁くださいと申し上げたでしょう」
人声に気づいたのか、几帳の陰の待賢門院は筝を弾くのを止め、音もなく御簾の内にすべり入った。
堀河は待賢門院の方を気にしながら、小声で言った。
「どうしたのじゃ、こんなところに。ここは、待賢門院様の御前。みだりに近づいてはならぬ」
「えっ、女院様がおられたのですか。がっかりだ。もう少しで、お顔が拝せたのに」
「これ、何と恐れ多いことを」
堀河は桜子をたしなめた。
下仕えの女童では、待賢門院のお側には近寄れない。
桜子は絶世の美女だと言われている待賢門院を一目見てみたかったのだろう。
やはり、男の子か。
堀河は苦笑して溜め息をついた。
だが、なぜこんなところまで桜子がやってきたのか、堀河は気になった。
「わたくしに何か用か?」
そう言いながら、堀河は御簾のうちに目をやる。
待賢門院はまた奥の几帳の陰に隠れて、知らぬ振りをしてくれているようだ。
堀河は階を数段下りて、桜子の側に近寄ると問うた。
「もしや、鴨院の男のことで何かわかったのでは?」
桜子は頷いて言った。
「はい。あの後、実能様があちこちに手を配って、いろいろなことがわかりました。それに、少々気になることもございますので、念のために堀河様にもお知らせをと、実能様が」




