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西山は一面の雪に覆われていた。
穏かな山々は粉を振りかけたように白く霞み、山野辺の木々には満開の白い桜花が華開いているかのようだ。
村里の家々は重たげな雪に半ば埋まり、炊ぎの煙が薄く立ちのぼっていることを除いては人の気配もない。
「秋は霧、霧すぎぬれば雪降りて、はるるまもなき深山辺の里……」
がたごとと揺れる牛車の中で、堀河はそっと呟いた。
初めて獅子王と愛し合った後、その腕の中で詠んだ歌だ。
あれからまだ十日ほどしか経っていないのに、もうあの歌が現実になるとは。
この寒さで、あの夜床下で鳴いていたきりぎりすは死んだだろう。
そして、獅子王はもういない……。
実能と語り合った日の翌朝、堀河が目覚めると、外は今年初めての雪が降っていた。
最近冷え込みが厳しいとは思っていたが、もう雪が降ってくるなんて。そう言えば、今日は待賢門院が白河から法金剛院の御所へ御幸される日。この雪では、供の者も皆難渋するだろう。
堀河は実能や妹の兵衛の苦労を思って、ふっと溜め息をついた。
堀河は雪のために三条西殿から出られず、数日を自分の局で過ごした。
だが、待賢門院がここへ戻ってくる前に、堀河にはやっておかねばならないことがある。
西山で待たせている獅子王の従者のことだ。
幸い、京の街中はもうあらかた雪が消えていたので、堀河は渋る供人に無理を言って車を出させたのである。
だが、さすがに西山は山里だ。山辺に近づくほど雪は深くなり、牛車の車輪が埋もれて思うように動かない。
先程から供の舎人たちはぶつぶつと文句ばかり言っている。気の毒だとは思うが仕方がない。
堀河は牛飼い童を励まして、自分の山荘へと急がせた。
堀河の山荘では、あの老僧が堀河を待ち構えていた。
新しい衣などを与えられているところを見ると、山荘の留守番も親切にしてやってくれたらしい。
堀河が車から降りようとしていると、老僧は妻戸から走り出てきて、堀河の前に平伏した。そして、もどかしそうに、堀河の袖の陰から牛車の中を覗き込もうとする。
よほど、獅子王に会いたいらしい。
堀河は老僧が哀れになった。それで、優しく老僧の肩に手を置いて言った。
「残念だが、そなたの主はそこにはおらぬ」
それを聞くと、老僧はがっくりと肩を落とした。目に涙がたまり、痩せた肩が震えている。
堀河はますます哀れになり、老僧を促して自分の居間に入った。そして、こんもりと炭を盛った暖かい炭櫃にあたらせながら、今までのことを話して聞かせた。
三条近くの路傍で、怪我をした見知らぬ男を助けて、三条西殿の自分の局に匿っていたこと。その男が、数日前に何も言わずに突然姿を消したこと。唐櫃を乗せた車が鴨院へ向かったこと。
「そういうわけで、そなたの主は鴨院へ連れ去られたらしい。もうわたくしの手の届かない所へ行ってしまった」




