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堀河の勤め先であるここ三条西殿は、三条大路北烏丸小路西に位置した待賢門院所有の大邸宅である。
数ある御所の中でも、待賢門院は好んでここで過ごした。
本来この屋敷は白河院の皇女禧子内親王の所有であったのだが、自分に譲られた隣の三条東殿とわざわざ交換してもらったほど、待賢門院は養父の白河院と共に過ごし、昨年院の最期も看取ったこの屋敷を、ことのほか愛していたのだった。
今は鳥羽上皇の本所とするため改修中であるが、それにも関わらず待賢門院はここを常の御所としている。
堀河の局は、この三条西殿の東北の対の屋にあった。
改修で手狭のため臨時に立てられた小さな棟で、ほとんどの部屋は鳥羽殿へ移築された西の対にあった調度品の置き場になっている。
寝殿から遠いせいで、ここに局を賜わっていたのは、堀河と、同じく待賢門院に仕える女房である兵衛だけだった。
兵衛は堀河の妹である。
実はついさっきまで、二人は実家である六条堀河の源顕仲邸で共に過ごしていたのだった。
堀河は父から呼び出されて、三日ほど前から実家へ里帰りしていた。
そこへ今日の暮れ方、兵衛が物忌みのため御所を退出してきた。
そして、主の待賢門院からの言伝を持ってきたのである。
御所を下がる前にご挨拶に伺った兵衛に、お前の代わりとして堀河を出来るだけ急いで出仕させるようにとの仰せを受けたのだそうだ。
おそらく、気紛れな待賢門院のこと、今宵の美しい月を見て急に月見の歌会でも思いついたのだろう。
それで、当代一の歌人である堀河に歌でも詠ませようと思ったのに違いない。
だが、あいにく堀河の侍女が急な腹痛で寝こんでしまっていた。
侍女がいないと不便だから今すぐの出仕はと渋る堀河に、兵衛は自分の侍女の一人を局の後片付けに残してきたから、その者を自由に使ってよいと言う。
それで堀河は一人で家を出て、出来る限り牛車を急き立てさせて御所への道を急いでいたのだった。
だが、そのせいでこんなことになるとは。
侍女の病気を口実にして、出仕を明日に延ばせば良かった。
こんな男を預かってしまっては、いくら待賢門院様の御命令とはいえ、もはや寝殿へ顔を出す余裕などない。
主のお叱りを思って堀河は重苦しい気分になったが、幸いなことに、堀河が女房の通用口である北門から三条西殿へ入ると、寝殿の方から華やかな筝や琵琶の音色が聞こえて来た。
どうやら、堀河がなかなか戻って来ないせいで、歌会は管弦の宴に変更になったらしい。
安堵した堀河は、出来るだけ人目につかないように物陰を選ばせて車を進め、無理矢理東北の対の階に車の轅をもたせかけた。
破れて半ば垂れ下がった前簾から外を覗いて見ると、兵衛の局にすら明かりはついておらず、辺りはしんと静まり返っている。
どうやら兵衛の侍女は主のいぬ間にとどこかで油を売っているらしい。
堀河は今のうちにと自分を励まし、念のため男に自分の袿を一枚すっぽりと被せた。
そして、舎人に急いで男を局まで運ばせ、帳台の中へ押し込んだ。
そして、このことは他言無用と堅く口止めした上、小遣い銭まで握らせて、車を里へ帰したのだった。