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そんな……どうしたらいいのだろう。
こんな得体の知れない見ず知らずの男と関わり合いは持ちたくない。
それに、堀河はこれから出仕先である三条西殿へ戻るところだった。
まさか、今上(注)の母君であられる待賢門院様の御所に、わけのわからぬ瀕死の男を連れ込むわけにもいくまい。
堀河は舎人の顔を見た。
二人とも青ざめて顔を横に振っている。
堀河は二人に頷こうとしたが、ふと下から見上げている男とまた眼が合ってしまった。
男は明らかに堀河に哀願していた。
もう四十歳あまりになろうかと思われる年格好なのに、心細いすがるような眼が、堀河には何だか幼く見えた。
男は固く握り締めていた太刀から右手を離し、その血に汚れた手を堀河の方へのばそうとする。
だが、もはやその力はなく、男は太刀の上にはたりと手を落とした。
その太刀が月明かりできらりと光る。
凍るような冷たい輝き。
柄には金の象嵌が施されており、かなりの名刀のようだ。
それに、男の身につけている直垂は、よく見ると唐渡りの高価な錦織だった。
どうやら、この男はかなりの身分の者であるらしい。
もし名のある者ならば、このままこのような路上にほおり出しておいてよいものか。
堀河の頭は混乱した。
だが、その時遠くで馬のいななく声がした。
舎人の一人が後ろを振り向いて言った。
「ずっと向こうに、松明の明かりがちらついて見えまする。誰かがこちらへ向ってくるようです」
もう躊躇している暇はない。
堀河は舎人らに命じて、男を車輪の下から引き摺り出した。
そして、男の身体を持ち上げて牛車の中へ無理矢理押し入れさせ、うろたえている牛飼い童を叱咤した。
「何をしておる。すぐに車を出しなされ。そして、出来る限り牛を励まして急がせておくれ」
「でも、御方様、一体どこへ」
堀河はわずかにとまどった。
だが、六条の自分の里へ戻ろうとすれば、後ろから迫っている者たちと鉢合わせしてしまう。
それに三条は目と鼻の先だ。
仕方あるまい。
堀河はきっぱりとした口調で言った。
「三条西殿へ」
※注……今上=その時位にある天皇のこと。この小説の中では崇徳帝。