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播磨はまだ年若く、真紅の八重咲きの椿を思わせるようなはっきりとした美貌の女だった。
播磨は元々御殿の雑用を務める賤しい半物だったのだが、気の利いた饒舌とその派手な容姿で、御所を訪れる若い公達の人気を集めていた。
それを目に留めた待賢門院が、いつもの気紛れで女房に取り立てたのである。
そして、そのような女のご多分に漏れず、低い身分からの急な出世と媚を売るような態度が反感を呼び、他の女房たちから嫌われ疎まれていた。
だが、それを気に病むようなたちの女ではないらしい。
今も、上臈女房である中納言の前にいるにもかかわらず、手伝いを申し出ないどころか、局から鏡を持ち込んで何やら髪などいじっている。
人の良い中納言は、播磨に聞こえないように小声で言った。
「御所の女房になったのだから、少しは女子の嗜みなど教えねばとは思っておるのですが。女院様の気紛れも困ったものですのう。まあ、あれはあれで、内輪の宴の座持ちなどさせるのには重宝しているのだけれど」
播磨を見やっていた中納言は、また苦笑しながら堀河を促すと、待賢門院の朝の御膳を整えるために詰め所を出ていった。
その日一日、堀河は人少なの御所の仕事に忙殺されて、夜遅くになってようやく局へ戻ってくることが出来た。
兵衛の侍女が置いていってくれた夕餉を持って帳台の中を覗くと、男は茵の上で目を覚ましていた。
ぼんやりとした心細げな目で堀河を見つめる。
堀河は何となくその目に哀れをもよおし、安心させるようににっこりと微笑んで言った。
「夕餉を持って来た。食べてみるかえ?」
男は無言で頷くと、堀河の手助けで身を起こし箸を取ったが、白布を巻いた左腕はだらりと下がったままで椀を持てない。
堀河は仕方なく椀を持って男の唇に近づけ、中の粥を啜らせてやった。
菜の干魚も、箸でむしって口元まで運んでやる。
何だか子供の世話でもしているようだ。
と言っても、娘には乳母がつけられていたから、堀河自身は襁褓を取り換えてやったことすらないのだが。
男が夕餉を食べ終わると、堀河は懐紙で男の口元を拭いてやりながら、もう一度訊ねてみた。
「名は何というのかえ? 名前がないと、どう呼んで良いのかわからぬ」
男はまた首を傾げて考えるような素振りをしていたが、しばらくしてぽつりと言った。
「覚えておらぬ。適当な名で呼んでくれ」
隠しているのか本当に覚えていないのか、相変わらず頑なな男の態度に、堀河は少し腹を立てた。
こちらが下手に出て優しくしてやれば、図に乗って。
堀河はむっとした顔で、男の顔を睨むと、ちょっときつい口調で言った。
「では、獅子王と呼ぶことにする!」
それは、堀河の里で飼っている犬の名だった。
茶色い毛がふさふさとはえた大きな犬なので父がそう名づけたのだが、よく見ると男の心細そうな目は、物問いたげに首を傾げてこちらを見る時のその犬の目つきに何となく似ていた。
自分よりいくつか年上に見える大の男につけるにはかなり失礼な名だが、それでとっさに思いついたのかもしれない。
男は自分に犬の名が与えられたことも知らずに、素直に頷くと、また大儀そうに横になってしまった。
堀河は男に夜具を着せかけてやりながら思った。
やれやれ、これから一体いつまで、この獅子王に帳台を取り上げられるのだろう。




