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ぎいぃ――、ぐしゃりっ――
嫌な音がした。
牛車が大きく傾いて、何かに乗り上げる。
脇息に寄りかかって、がたごとと揺れる車輪の音を聞きながらぼんやりしていた堀河は、牛車から転げ落ちそうになって思わず前簾にしがみついた。
一体何ごとが起こったのだろう。
牛車の揺れが収まると、堀河は自分がしがみついたせいで半ばはずれかかった簾の隙間から、恐々外を覗いた。
淡い月明かりの中でもそれとわかるほどに青ざめた牛飼い童の顔。
目を見開いて、唇をわなわなと震わせている。
童は堀河の顔を見ると、恐る恐る牛車の車輪の下を指差した。
車輪の下には何か大きな黒いものが横たわっている。
童が手に持っていた小さな松明をさし寄せた。
堀河は思わずひっという声をあげて、紅葉襲の袿の袖で眼を覆った。
それは血まみれの男だった。
牛の蹄にかけられてぼろぼろになった衣。
車輪が乗り上げた男の左腕は、牛車の重みで無残に潰れているようだ。
堀河の供をしてきた二人の舎人も、倒れている男の側に立ち竦んだまま、途方に暮れて顔を見合わせているだけだった。
牛飼い童はしどろもどろになりながら言った。
「そこの暗がりから急に飛び出して来たのです。牛を急がせていたので、すぐに止まれなくて……」
何と言うこと!
自分の牛車が人を轢いてしまったと聞いて、堀河は青ざめた。
そして、袿の袖の陰からまた恐る恐る牛車の下を覗いてみた。
松明の明かりに照らされた男は縹の直垂のようなものを着ており、烏帽子はどこかへ飛んで髻の切れた乱れた髪が顔を覆っている。
潰された左腕からは生々しく血が流れ、車輪の下に黒い水溜りを作っていた。
だが、よく見てみると、刀傷なのか鋭く切り裂かれた直垂のあちこちに血が滲んでおり、背中には折れた矢が一本深々と突き刺さっている。
牛車に轢かれた傷だけではないのか。
そう言えば、さっき通った堀河小路の辺りで、遠くに何か人の騒ぐような物音を聞いたような気がした。
武者同士の小競り合いでも起こったのだろうか。
あまり関わり合いにならぬ方が良いかも知れぬ。
堀河は震える声で牛飼い童に言った。
「まだ生きておるのか、確かめておくれ」
堀河に命じられて、童はそっと男の顔に自分の顔を近づけた。
と、見る間に牛飼い童はきゃあぁーと細い悲鳴を上げて飛びすさった。
暗闇の中で月明かりを浴びた男の瞳が黒々と光っている。
乱れた髪の隙間から濡れたような輝きが、車の中の堀河に向けられていた。
堀河は何かに捉えられたかのように動けなくなった。
男は口の端から血を漏らしながら、かすれた声で呟いた。
「追われておる……どうぞ、お匿いくだされ……」