彼女は立派に生きている
彼女のあの一言が頭の中をグルグルしていて二、三日が経っていた。
「ちょっと~、千十郎どうしたの~」
望は腕立てをしながら俺の様子をうかがってきた。
なぜ腕立てかというと、俺だけ望の腕力不足で刺さり方が甘かったら嫌なので、毎日筋トレをするように命じたのだ。
間に合うかは知らんが、間抜けな姿が面白いからさせておこう。
「ん~、何でもない」
「昨日も一昨日もそれ言ってたよね?」
どう見ても、あれは楓ちゃんだったよな?
確かに聞こえる声で「よかった」と言った。「(カモが元気で)よかった」かな?
最近通い詰めてたからな。
スマホで楓ちゃんのいるお店のホームページへ入り、楓ちゃんの日記を覗いてみる。
これと言って変わったことは書いてなく、何の参考にもならなかった。
「なんか悩んでるみたいだけど、死ぬ前にすっきり出来るなら、すっきりしておいた方がいいよ~」
俺は楓ちゃんのページを見ると明日が出勤になっていた。
「…すっきりしに行くか」
色んな意味でな。
今の俺の全財産で高級店に行けるほど甘くはないので、風俗のお金は望に出してもらった。
女子高生のお金で行く風俗はうまいか? と聞かれると誰のお金で行こうとも風俗はうまいと答えておくしかない。
事情は説明したのだが、お金を渡した時の望の目が真っ白だったのは言うまでもない。
白い目なんてもんじゃない、真っ白い目だ。
ゆったりとした待合室の雰囲気が何故か緊張感を増加させる。
「お待たせしました、お客様」
従業員の男が、女の子の準備ができたことを知らせてくれる。
待合室を少し突き当たったところに、水商売特有の派手な服を着て、楓ちゃんはいつもの笑顔を崩すことなく待っていた。
「………もう来ないかと思った」
「あんな言葉言い残していかれたら、気になっちゃうよ」
楓ちゃんは笑顔のまま小さな声で「ごめんね」と言った。
薄暗い部屋に入ると、俺は真っ先に街ですれ違った時の言葉の意味を聞いた。
「『よかった』ってどういう意味だったの?」
いつも笑顔だった楓ちゃんの顔がわずかに曇った。
「…別にそのままの意味だよ。千ちゃん死ぬつもりなんでしょ? だから、まだ生きててよかった。そういう意味」
全く予想しなかったわけではないが、少し驚いた。
楓ちゃんは前回ここに来た時に、俺が死ぬつもりだったのを見抜いていたのだ。
「何でわかったの?」
変に隠す意味はないと思い、彼女の言葉は否定せずに質問をした。
いつも俺を癒してくれた彼女の表情に陰りがさす。
初めて見た顔だった。
「………こんな感じの仕事してるとね、色んな人が来るの」
どうやら俺の他にも、自殺願望者で楓ちゃんのところに通い詰めていた人がいたらしい。
全く、死ぬ前に迷惑な奴もいたもんだ。
「千ちゃんもだけどね、最後の日なんだか背中が小さく見えたんだ。元から明るい人じゃなかったけど、どうしたのかなって思っていたら、今まで毎日のように来てくれていたのに、その日から全く来なくなったの。
それから一ヶ月ぐらいしてね。ニュースでアパートでの腐乱死体が見つかったってニュースがあって、何の気なしに見ているとね………その人だった」
彼女は顔をうつむけた。
その下の表情を、俺はうかがい知ることができない。
怖くてできない。
何か話さなくてはと口を開く。
「俺が二人目ってことなのかな?」
楓ちゃんは顔を上げず、そのまま話す。
「…千ちゃんで三人目」
「…そう、ごめんね。楓ちゃんに気付かれてるなんて思ってなくて、気持ち悪い思いさせたね」
俺と前の二人も女の勘を舐めすぎていた。
楓ちゃんぐらい、いい女なら尚更だろう。
「ううん、私のことは良いよ。自分の命だもん。生きるも死ぬのは自由だと思うし」
顔を上げて、彼女がいつもの笑顔を見せてくれる。
「死なないで、とは言わないんだね」
口に出して少し後悔した。俺は何を言ってるんだと自分を心の中で詰った。
「言わないよ、言って欲しくもないでしょ?」
それでも彼女は笑顔を崩さなかった。
「………うん」
心の底を覗かれたような気がした。
俺の気持ちを汲んでくれたのだろう。
いい女には敵わないもんだ。
「正直言うと、少し羨ましくもあったの」
ここに来るまで、色んな言葉を想定したが、彼女の口からそんな言葉がこぼれるなんて思ってなかった。
「間抜けな話、私気付いたらこの仕事についててさ。最初はガールズーバーみたいなところで働いてたんだよ。でも、私流されやすくて。別に今の仕事が嫌いってわけじゃないけどね。嫌なお客さんが来て死にたくなることもあるけど、その場限り、次の日には忘れちゃう。多分、私が生き汚いんだと思う。
…自分を殺して生きている。
だから、地べたで惨めに生きてる私からしたら、はっきりと自分の意思をもって死のうと決断した千ちゃんにそんなことは言えない」
何を言ったらいいかわからない。
「そんないいもんじゃないよ」
かろうじて口から言葉を絞り出す。
今まで何度も通ってきて彼女と過ごしてきても、影すら見せなかった彼女の奥底をほんの少し覗いてしまった。
「そんないいもんじゃない」
口からは壊れたおもちゃのように同じ言葉が出てしまった。
「それに楓ちゃんは地べたでなんて生きてないよ」
必死で頭の中を大学受験以来のフル回転をして言葉を紡ぐ。
「そんなことを言わないでくれ、確かに俺は死ぬ。でも、それは俺が弱いからだ。君のように強くないからだ」
フル回転してもたかが知れてる頭ではうまく言葉がまとまってくれない。
「…私が強い?」
「そうだよ、君は多くの人に必要とされてる人間なんだ。俺なんかと比べることもおこがましい。だから…だから………胸を張って生きていいんだよ」
やっぱり、久々に使った頭にはほこりと蜘蛛の巣でも張っていたのか、支離滅裂だ。
「………千ちゃん、おっぱい大好きだもんね」
その時の楓ちゃんの笑顔は、いつも俺や他のお客さんに見せていたものとは違っていたと思う。
時間いっぱいまで、二人でベットに寝そべって他愛のない話をした。
楓ちゃんは、今までは暗黙の了解で、あまり話す人はいないプライベートなことも教えてくれた。
最後のお見送りの時、優しいキスをしてくれた。
そして、短い言葉で締めた。
「生きてね」
その言葉が無意味なのを彼女は知っている。
でも、いつも流され、自身の気持ちを二の次としてきた彼女の忖度のない言葉だ。
もう、彼女は大丈夫だと俺は安心した。
俺の気持ちなんて無視して、自分の本心を相手にぶつけてくれたのだから。
これで、後顧の憂いは断てたかな?