行きたいところはなくても生きてる
朝起きると望は蒲団を投げ出して、名状しがたい寝相で寝ていた。
時計を見るとお昼前だった。
寝汗でびっしょりとなって気持ち悪いので洗面所に行く。
適当にテレビを見たりしていると望も起きてきた。
「んっ、おはや~」
予測するに『おはよう』と『早起きしてんなー』という意味を込めた造語だろうか。
「なんだ、その挨拶、それにもう昼過ぎだ」
俺の言葉は軽くスル―し、まだ寝ぼけているようで、眠気眼を擦りながら洗面所の方へ向かっていった。
「はぁ~、目が覚めた~」
えらく長いなと思っていたが、どうやら朝シャンというか昼シャン? したらしい。
望は濡れた髪に、半裸で肩からバスタオルを掛け、洗面所の方から出てきた。
「遠慮ねぇな、おい」
「えっ? 『ここは自分の家だと思って好きに使っていいぞ』って言ってじゃん」
「言葉の捏造にまで遠慮がねぇな、おい」
俺そんなこと欠片も言ってないよ? 無から精製したね?
「そんなことよりどう? 私のプロポーション?」
望は胸を張って、自分の肢体を見せつける。
俺は遠慮なくアホ毛の先から小指の爪先までを眺めた。
「育成には二、三年は必要。素材型。将来性に期待。胸はやや火力に掛けるが、脚を生かせば化ける可能性もある。素行にやや問題あり。………ドラフト7位ってところかな」
「誰が野球の評論家風にしろって言ったのよ! ってか誰の胸が火力不足だ!」
「俺の目を誤魔化せるとでも? よくてBだろ」
「ふっ、ふん、胸なんて脂肪の塊じゃん」
テンプレな負け惜しみをした望が可哀想になってきたので、追撃するのはやめておいた。
「それより、早く服着ろよ」
「発情した?」
「する前に服着てくれ」
そういうと、望は意外にも素直に服を着てくれた。
「今日何する~?」
「暑い、何もしたくない、ここから出たくない」
流石に真夏の昼間に冷房をつけないのはしんどい、なのでガンガン訊かせている。
「おいおい、不健康だね。私がお金は全部出したげるからさぁ」
望はおどけた調子で俺の肩を叩く。
「そのセリフだけ聞くと、俺ヒモみたいだな」
そういえば忘れかけていたが、こいつの当初の目的は、財布の中身を全部使い切ってから自殺したいから、使い切るまでの間家を貸せってことだった。
「みたいじゃないでしょ?」
望のニヤニヤした笑顔が癇に障る。
「まぁ、今更プライドも糞もないが、ちなみに残りはいくらぐらいあるんだ?」
せいぜい二、三万ぐらいだろう。
「二十万」
「ぶっっっ!」
予想の十倍の額に思わず吹き出してしまう。
「高校生の癖に持ってんな。援交でもしてたか?」
「失礼ね、死ぬ前に周りの物処分したらそのぐらいになったのよ」
そんなもんかな? 俺相手に嘘をつくメリットもないし、俺自身金の出どころなんて興味がないので、それ以上追及しなかった。
「で、どこに行きたいんだ?」
まさかカラオケとかボーリングとか言い出さないだろうな?
その額だと結構な頻度で通いこんでも何か月もかかってしまう。
「………一応聞いてくれるんだ」
俺が生粋のひきこもりと勘違いしているのか、意外そうな顔をする。
そして、嬉しそうに「じゃあね」と小さく体を揺らす。
「遊園地!」
「二度寝するわ」
「なんで⁉」
こんな真夏に屋外メインの遊園地に行くなんて頭が悪すぎる。
俺は窓の方を指差す、そこには陽炎の見えるアスファルト。
「外見てみ? お前、遊園地言ったことないのかよ?」
「ない‼」
何故か自信満々にどや顔をされた。
「意外だな、お前みたいなタイプは喜び勇んで行きそうなのに」
「なんか、タイミングなくって死ぬ前に一度言っときたいなぁって」
望が日曜日に遊びに連れて行ってもらおうとする子供みたいな甘えた声を出す。
「暑いぞ?」
「覚悟の上よ」
そんな戦の前の武士みたいな目をされても困る。
「この辺に遊園地なんてないから、行くとしたら隣の市まで行かないといけないぞ?」
「それでもいい~」
世のお父さんの気持ちが分かった気がした。
「………準備しろ」
「ありがとう‼ 千十郎大好き~」
調子のいい奴だ。
俺も出かける準備をするために立ち上がる。
まぁ、一度行けば懲りるだろ、こいつの遊園地に対するその幻想をぶち壊しに行くとするか。
俺は後悔した。
二時間前の自分を殺してやりたい。いや、それだとニ時間前の俺が喜びそうだ。
すでに額には汗がびっしりだ。
道中、紆余曲折を経て遊園地についたものの、着いた頃には外が最も暑い時間帯に到着してしまった。
「千十郎~、次行くよ~」
なんであいつはあんなに元気なんだ?
あれが女子高生、若さか。
「あいつが喜んでいるのと、遊園地がガラガラで待ち時間がない事だけが救いだな」
暑さもあるだろうが、夏休みとは言え平日の地方の遊園地ならこんなものかもしれない。
あまりの暑さに逃げ出したのかマスコットたちも見当たらない。
適度な水分補給と屋内施設への非難をしなければお陀仏だ。
いや、お陀仏になってもいいんだった。
実際に余程小さな子供やお年寄りでもない限り熱中症で死ぬのは難しいと思うので、やらないけど。
「おーい、少しあっちのゲーセンで涼まないか?」
「えー、何で遊園地まで来てゲーセン?」
「冷房効いてるし、座れるし、冷房効いてて最高じゃねぇか」
「………休みたすぎでしょ、体力ないなぁ。どうせ室内ならおばけ屋敷行こうよ」
「…やめとけ、呪われたらどうするんだ」
「いや、作り物だから」
「怖い、やだ」
「強盗にはビビらなかったのに⁉」
「あんなに怖くない強盗もなかなかいないだろうな、それに俺らにとっちゃサンタさんみたいなもんだろ」
悪態をつきながら、ちょっと一服と近く冷房の効いた喫煙所に入る。
昨日の強盗のことを思い返す。
あれからメモは役に立っただろうか?
案外今も強盗してたりしてな。
別に彼に期待などしていない。人がそうそう簡単に変われるとも思っていないし、簡単に周りが救ってくれるとも思わない。
でも、そうなるといいなと思い、彼のことを思った。
日も暮れてきて、そろそろ帰ろうと望に提案すると最後に一つと観覧車を指差した。
ところどころ塗装が剥げ、錆びつき、小さくきしむ音のする観覧車、ある意味お化け屋敷より怖いかもしれない。
「あれが最後に頂上で落ちたらロマンチックじゃない?」
「………そんなことになったら感動して泣いちまう」
他の乗り物と同じく待ち時間ゼロで乗ると、二人が向き合う形になってスタッフが扉を閉めた。
久々に乗ったから忘れていたが、なんか若い男女が二人きりで向かい合って座るとなんかお見合いみたい(経験ないけど)で変な感じになるな。
かといって俺から隣に座ろうぜってのも、もっと変だしな。
お互いに「なんか話せよ」みたいな空気が流れる。
その空気に負けたのは望の方だったようだ。
「私、イケメンとこうやって二人で観覧車に乗るのが夢だったんだ~」
「はっはっ、俺のようなブサメンですいませんね」
皮肉を言われたと思い俺はとっさにそう返したが、望は素の表情で首を傾げた。
「んっ? いやいや、千十郎はブサメンって程じゃないでしょ、むしろよく見るとそこそこ整ってる方じゃない?」
謎のフォローにどう返していいかわからなくなる。
「いいんだよ、俺がブサメンと言ったらブサメンなんだよ」
子供みたいなことを言う俺にたいして、望は気にした様子もなく会話を続ける。
「そう? 背も高いし、そこそこモテたんじゃない?」
「背は高いが、がたい良すぎてモテんかったな、今の子は細見長身の中性的なイケメンが好きだろ?」
この体も昔運動部だったから勝手に鍛えられただけだしな。
「え~? がたいがいい男子が好きな子もいるでしょ」
あぁ、なんだかこの流れはいつだったかも経験がある。
思い出してきたな、大学最初のサークルのコンパだったな。
一年生に気を使ってか、勧誘をスムーズにするためか本音半分、おだて半分ぐらいで気持ちよく褒めてくれた時に似ている。
あの時は結構慣れない酒に飲まれて、調子に乗っちゃったな。
「…そういうの苦手なんだ。やめてくれ」
望はいまいち要領を得ずキョトンとした顔になる。
「どういうの?」
当たり前の返答だ。俺にだってよくわかってない。
「出会って日の浅い奴に、容姿褒められると無性に気持ち悪くなるんだよ」
どんな奴だよそれってなるのは分かる。自分でだってこじらせてると思う。
「別におだてようって思って言ってるんじゃないよ?」
望なりに、今の言葉を解釈してくれて答えをくれた。
その優しい答えに甘えてしまいそうだ。
喉元まで今まで誰にも話したことない醜悪な本音が上がってくる。
すると目の前の望が立ち上がって隣に座った。
「千十郎? 我慢しなくていいんだよ? 確かに私たち出会ったばかりだけど、これから死ぬまで一緒なんだよ?」
その答えに体の力が抜けていくのが分かった。『死ぬまで一緒』まぁ、そういう言い方もできるわな。
俺はゆっくりと言葉を溢す。
「…自分で言うととても恥ずかしいが、お前ならいいか。
…そうだな、俺はイケメンとまではいかんでも、そこそこの容姿ではあるな。…たまになら初対面の子に褒められたりしたこともあるよ。…でも、そこまでだ。男友達でもそうだ。一定以上の仲は深められないんだよ。親友は出来ないし、彼女もできない。
だからだよ」
「だから?」
望は必死に理解しようとしてくれているが、俺の説明が要領を得ないせいで首をかしげる。
「…だから自分のことを不細工とでも思わなければやってられないだろ?
…不細工だから友達ができない、彼女ができない。そう思わなければ、認めなきゃいけないだろ。…自分の心の汚さを、周りとのズレた感性を、自分の誤魔化しようもない内面の醜さを認めるぐらいなら、不細工だから仕方ないと自分を納得させて生きた方が何倍もマシだろ?」
誰にも言ったことのない、下手すれば言葉にして初めて自分自身でも認識してしまったかもしれない。
顔が悪い、趣味が悪い、親が悪い、俺の良さを理解できない周りが悪い。
何かのせいにして、自分自身にすら本質を誤魔化す。
これが驚くほど楽なのだ。
でも、俺は知っている。
俺と似た人が世の中にいるのだろうか?
多分いると思う。
なら、彼らも俺も知っている。
顔が悪くても人気者はいる。あまりイメージの良くない同じ趣味を持っている奴でも彼女がいる奴もいる。親なんて全く関係ない本気で変わろうと思えばできたはずだ。俺の良さが理解できない? そもそもそんなものがどこにある?
ゴンドラの中で観覧車が軋む音だけがしばらくの間流れる。
「………悲しい人」
それだけを小さく呟くように言った。
そして、頭を俺の肩の方にもたれかからせた。
下に到着するまで、俺たちは何も言葉を交わさなかった。
ただ右肩にかかる温かさだけが、観覧車を降りた後もしばらくの間続いていた。
帰りは一言もしゃべらないままアパートについた。
俺はこの変な空気を変えようと、これからのことを話した。
「今から一週間後、つまり来週の火曜日に決行しようか」
「ん? 結婚しようか?」
多分、聞こえてると思うが望はわざとおどけた。
「………ダラダラしても仕方ないだろ」
「そだね、サボり魔の私たちは死ぬのまでサボっちゃいそうだし」
この一週間というのも先延ばしと言えば先延ばしなんだが、それは勘弁してほしい。
覚悟とか計画とかいろいろ時間がいるのだ。
…そんな自分を納得させようと思う考えも、どれもこれも言い訳じみててまた自己嫌悪に陥る。