君と僕は
電車に揺られ最近あまり使ってなかった頭をゆっくりと起こし、望のことについてぼんやりと考える。
一応、あの場で叫ばれてはめんどくさいので家には連れていくが、うら若き乙女の将来を思えばこのまま自殺させてしまうのも忍びない。何とか自殺を止めたいが、そもそも何でこいつ自殺しようとしてるんだ?
そこまで考えて望の横顔を顔を動かさずに目の端でちらりと覗く。
勉強についていけないとかじゃないよな? こんな頭の軽いギャルみたいな奴がそこまで考えてるとは思えんし、となるとやはりイジメか? あんまりにも容姿が良すぎるとクラスで浮いたりして孤立するっていうし、俺には縁のない悩みだがこいつならあり得るかもしれない。
「……ねぇ」
「あん?」
「八十年って長いと思わない?」
「……思うよ」
何のことを聞かれているかはわかる。日本人の平均寿命、人の一生の時間。
反射的に肯定してしまったが、こいつの自殺を止めたいならもっと気の利いたことを言わなきゃいけないんだった。
「やっぱ、千十郎はわかってくれるか、学校のみんなはね、短いっていうの」
まぁ、人の欲に限りはないというし、短いと感じるものの方が多いかもしれない。
「ほら、人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事かをなすには余りに短いって言うだろ?」
「なにそれ? ことわざ?」
「ちげーよ、『山月記』学校でやったろ?」
「サンガツ? 小笠原選手への感謝のこと? 千十郎ネットのやりすぎだよ」
「ネットのやりすぎは確実にお前だ。もういい、お前みたいな奴に中島敦を出した俺があほだった」
サンガツの正しい意味込みで知ってる女子高生なんて存在するのかよ。
俺の罵倒に頭に来たのか望は可愛く頬を膨らました。
「千十郎のあほー」
「黙れあほ、要は何にも目的がなく生きる人生は長いが、目的をもって生きたら人生あっという間ってことだ」
「おぉ、千十郎、先生みたい」
望は音が出ない程度の小さな拍手をする。完全にバカにされている。
「でも、それ千十郎が言う?」
「ぐっ」
そうだ。俺は自殺をするのだ。つまり、こいつを説得する言葉は全て自分に跳ね返ってくる。説得力は皆無。間抜け極まりないな。
俺は最寄りの駅に着いたので無言で立ち上がった。
「馬鹿そうなJKに論破されて悔しかったの?」
望は後ろからついてきて、こちらの顔をのぞき込む。
「うるせいやい」
俺は悔しくて早足になる。
そういえばこいつの自殺したい理由聞きそびれたな。
十分ほど歩くとアパートに到着した。
「へぇ、意外と綺麗なとこだね」
「まぁ、割と最近改装したらしいし」
最近と言っても五年とかそこらだった気がするが、建物の改装と考えれば最近だろう。
「千十郎の部屋は?」
「一階の102号室だ」
「階段を上らなくていいから楽ちんだね」
「将来部屋を借りる時の為に教えといてやるが、防犯の観点から見て一階は危ないからやめとけ」
女の子ならなおさらだろう。
俺の場合もう一階しか開いてなかったから仕方なく借りた。
「そんな予定はありませーん」
望はおちゃらけた調子で言う。
俺は小さくため息をついて部屋の鍵を開けた。
「お邪魔しまーす」
「本当にお邪魔なんだが」
「またまた~、こんな可愛い女の子が遊びに来て嬉しいくせに」
「自殺しに来たんだろうが」
「そうだった、そうだった」
「……軽いなぁ」
調子も頭の中も軽そうだ。
こいつ本当に自殺志願者か?
「ってか、期待はしてなかったけど散らかってんね」
「大学生の一人暮らし、その上男ならこんなもんだろ」
俺の部屋は1DKの風呂トイレ付といった具合だ。
一人暮らしなら十分過ぎるだろう。
ただ足場は日々の生活で着々となくなっていったがね。
「これじゃ私の寝る場所ないじゃん」
「そこのベット貸してやるよ」
俺は部屋の隅に置かれた青いシーツの掛けられたシングルベットを指差す。
「……もう、エッチ」
「違うわ、俺はゴミのけて床で寝るわ」
残念ながら俺の部屋にはソファがない。
人が来るのをあまり想定してなかったのが悪かったかな。
「えー、そんな悪いよ。一緒に寝よ」
「たった数秒前にエッチとか言ってた口はどこに落としてきた? ってか、狭いわ」
「私が床に寝ようか?」
「いいよ、一応客だし」
「千十郎やっさしー」
望がニヤニヤしながら小突いてくるので玄関で寝せたくなってきた。
だらだらと過ごしているとあっという間に夕方になっていた。
「千十郎~、お腹減った~、冷蔵庫何にも入ってないし、なんか買ってきてよー」
望はベットの上で足をバタバタさせて暴れだした。
「我儘だな、そのまま餓死しろ」
「嫌だ~、餓死はしんどいー」
こいつ自殺する気あるのか?
もしかして俺、家出少女に体よく利用された?
「あっ、そういえば袋麺があったな」
「とんこつしかないじゃん、私、塩がいい」
「ばっか、とんこつが一番上手いだろ」
おまけに味覚の相性まで悪いとは最悪だな。
とんこつ以上にうまいラーメンの味があってたまるかよ。
「千十郎の味覚音痴ー! 塩が至高でしょ!」
「そんなに塩がいいならスイカに塩でもかけてくってろ」
「スイカに塩おいしいじゃん」
「……マジかよ、俺はてっきり都市伝説だとばかり」
スイカに塩を振る人類がいたなんて、俺が宇宙人を見るような目で望を見ていると、望はプルプルと肩を震わせている。
「もー怒った、家出じゃあーーー‼!」
そう言い残すと勢いよく玄関から飛び出していった。
まさか一日に二度も家出する奴(それも別の家)がいるとは思わなかった。
―十分後
「ただいまー、家出終わり~」
世界最速の家出終了だな。
呆れたかえって望の方に目をやると、望の手には大きなコンビニ袋があった。
「ふっ、見せてあげる、塩ラーメンの極地を」
「………塩ラーメンの極地はコンビニで体現できてしまうのか」
塩ラーメンの極地がしょぼいのか、コンビニの便利さが極地に達したのか。
「御託は食べてから言いなよ」
望は決め顔を作り、料理漫画の定番みたいなセリフを吐き捨てると、長い髪を後ろにひとまとめにするとコンビニ袋から袋麺を取り出した。
そんなに女性の料理するところを見たことがないが、袋麺を作るぐらいで髪をまとめて『よしっ、料理するぞー』みたいな顔されるとイラッとするな。
なんか色々しているようだったが、流石に袋麺で失敗なんてしないだろうと思って俺は適当にテレビを見ていた。
それから十分ほどして望が元気いっぱいに声を掛けてきた。
「へい、お待ち!」
勢いよくテーブルにラーメンのどんぶりを置いた。
「どれどれ………」
俺はどんぶりの中を覗くと、何とも言えない気持ちになった。
この気持ち何という名前なのだろう。
「へっへー、おいしそうでしょー」
当の望は自慢気な顔をしてる。
ありのままの現状を伝えるならば、どんぶりの上には様々な(コンビニで適当に目についた)具材が乗っかっている。
もやしはまだわかる。だが、何故かスライスされたサラミ(多分チャーシューのつもり)が乗っていて、シーチキンをこんもりと乗せ(おそらく缶詰一杯)酢昆布(昆布で出汁を取ったつもりか?)とうま○棒(たこ焼き味)が突き刺ささってやがる。
さらに、とどめと言わんばかりにラーメンを作ってから具材を準備したのか麺はかなり伸びているように見える。
「………」
俺の無言に何かを感じたのか、望が不思議そうな顔で問いかけてくる。
「あれ? 凄すぎて言葉も出ない?」
……ある意味な。
「あっ、う○い棒の味が気に入らないなら私のサラミ味と変えたげよっか?」
「………いいです」
ここでさらにサラミの追い討ちなんてくらって溜まるか、せめてコンポタが良かった。
「んじゃ、いただきまーす」
望が何の躊躇もなく謎ラーメンに手を付ける。ちゅるちゅると伸び切った麺をすすり、スープの染み込んだ○まい棒(サラミ味)を口に着ける。
どんな苦悶の表情をしているだろうと思い、俺は恐る恐る望の顔をのぞき込んだ。
「ん~、おいしい」
馬鹿な、こいつ単に味覚の相性どうこうより味音痴なのでは?
俺もつられて目の前の謎ラーメンに手を伸ばす。
スープを吸って重くなった麺は食欲を下降させるが、思い切って口いっぱいに頬張った。
「……ん~、食えなくもない」
最初に口から出たのは、そんな感想だった。
「え~、もっと褒めてよ~」
「決して旨くはないが、朝から俺が何も食ってない状態のなので食べれてしまう、そんな感じ」
そんな素直な感想を溢すと、最初望は頬を膨らませて文句を言ってきたが、段々どうでもいい雑談になりながらラーメンを一杯食べほした。
脂っこくて完食した後胃が重くなったが、妙な満足感があった。
小うるさい奴とはいえ久しぶり誰かと食べた飯の満足感を認めるのと、望の特製ラーメンが旨かったと認めるのはどちらが尺だろうか?
食事終わりに一服と思い、朝家を出る前に忘れていってしまった机の上のタバコの箱を手に取り、箱の中から一本取り出す。
「あー、千十郎タバコ吸ってるー」
望は目ざとくタバコを指差す。
「ちゃんと窓開けて吸うから勘弁しろ」
俺は煙たいと非難されたのだと思い、窓を開けた。
「そーじゃなくて、私にも一本頂戴」
「………お前吸ったことあんの?」
まぁ、遊んでそうな子だし吸っていても別段驚きはしない。
「ないけどー吸ってみたい」
「やめとけ、百害あって一利なしってタバコの為にある言葉だから」
俺はなぜかホッとしてタバコのネガティブキャンペーンをした。
「自分は吸ってるくせにー」
俺は小うるさい望を無視し、タバコに火をつけた。
「おっ、千十郎タバコ吸ってる姿かっこいいじゃん」
望が茶々を入れる。それとも高校生だから、本当にタバコを吸ってる姿をまじまじ見る機会があまりなくて、そう感じたのだろうか?
「ふんっ、惚れるなよ」
俺も釣られて軽口を叩いてしまった。
「それはないかな~」
つれない奴である。
食後の一服が終わると二人してボーっとテレビを見ていた。
内容がいまいち頭に入ってこない。
多分色々な有名人の復活劇みたいなのを集めた番組だと思う。
テレビの中で一人の元スポーツ選手が熱く語っていた。
『僕もデカい怪我をしてね、死のうと思ったんですよ、でも、どうせ死ぬなら死ぬ気でもう一度頑張って、それでも駄目なら死ねばいいじゃないかと思って、今があるんですよ』
どうやら、大きな怪我からカムバックしてきたときの話をしているらしい。
俺はそれを聞いててある感想が浮かんだ。
「わかってないなぁ」
俺が言ったのではない。望の口から出た言葉だ。
だが、同じ感想だった。
「死ぬ気で頑張る? そんなに頑張ってまで生きたくないから死ぬんだっての」
これも俺が言ったのではない。
でも、同じ感想だった。
「頑張れないんだな、こいつみたいに何か生涯かけてやりたいものがない人間は死ぬほどしんどい思いまでして頑張ったりできないんだよな」
今度は俺の言葉だった。
「わかってんじゃん」
どうやら望と同じ感想らしい。
望はウインクして親指を立てた。
「やっぱ、私の目に狂いはなかったなぁー、千十郎は私とおんなじ頑張れない目してたもん」
望の言葉に聞いて、心臓を鷲掴みにされた気分になった。
これを聞いてはもう後戻りできなくなりそうだ、そんな言葉が頭に浮かびそれを口にするまでにゆっくり十秒はかかったと思う。
「………お前何で死のうとしてんの?」
多分これを聞いてしまったら俺はこいつの自殺を本気で止めることはできない。
そんな確信があった。
望の顔から表情が消えた。
「やりたいこともなく、馬鹿でこれといった特技や才能もない私がこれから生きていくにはどうやったって辛いことばかり、毎日手の届かない誰かを見ては暗い気持ちになる、そうまでして無理やり生きたい?」
望は今日一番の低く真面目な声色で何の迷いもなくすらすらと答えた。
俺は気付いたら望を抱きしめていた。
「っ、ちょっとー」
同じだ。こいつと俺は同じだ。生きる理由がないから死ぬのだ。
多分いじめや何かトラウマになるような事件が起きて死のうとしているのではない。
自分の手の中には何もないことに気付いて、今までは死ぬ理由がなかったから生きていたように、これから生きる理由がないから死のうとしているんだ。
誰にもこの感覚は理解できないと思っていた。
人と話していても何かずれを感じた。
でも、こいつがいた。
「………もう」
望の手が俺の背に回った。
温かった。いつ振りかの温もり。
「死のう」
この温かさは永遠ではない。
ならば、これが胸の中に残ってるうちに死のう。
絶望の中死ぬつもりだったが、幸せの中で死ねるとは俺はついてる。
「………最初からそういってんじゃん」
この時の望はどんな顔をしていただろうか?
望の表情は俺の胸の中なので知る術はなかった。