主の魂
「いたっ……」
暗闇の中で目を覚ます。
足首に感じる痛みはまだ治っていない。腫れてしまった部位をさすってみるけれど、痛みが和らぐことはない。
私はふと、あの夜を思い出した------。
その日は、とても騒がしかった。
夜の10時を回り、眠りに落ちた頃、妙な暑さを感じて身を起こすと、ベッドの周りは火が覆っていた。
「!!…パ、パパ!ママ!」
身内の安否を確認しようと、部屋を出ようとした途端、扉がゆっくりと開き血塗れの母が入ってきて、その場に倒れてしまった。その背中には鋭利な刃物が突き刺さっていた。
「ママ!!」
私はすぐに母のもとに駆け寄ったが、母の呼吸は浅く、意識を保っているのがやっとという状態だった。
「ママ!しっかりして!!」
母の震えた唇がゆっくりと開き、必死に私に訴えようとしていた。
「早く逃げなさい……早くしないと貴女も殺されるわ……急いで…!」
「でも……!」
母は、動くこともままならないはずの身体を起こし、困惑する私を窓の外へ突き落とした。
地面に叩きつけられた私は、おもむろに身体を起こし、母のいる二階を見上げると激しい銃声が聞こえた。
「ママ……」
命懸けで私を守ってくれた母の気持ちを無駄にしないため、私は走った。とにかく走った。状況を把握できなくても、今の私がすべきことは逃げることだと、直感したのだ。
夜通ししばらく走り続けると、ひと気のない街へと出た。休憩を取ろうと休める場所を探して彷徨っていると一件の屋敷が見えてきた。
「……っ」
明かりの点いた屋敷を見て、安心したのか、私はその場に倒れてしまった。
目を覚ますと、見覚えのない広い部屋の中にいることに気づいた。
すると、扉が開き、姿を現したのは若い男だった。
「気分はどう?大丈夫??」
「はい……」
私は問いかけに小さく頷く。
「夕食の準備ができたんだ。君も食べるだろ?」
そしてまた小さく頷いた。
連れて行かれた広間の真ん中には大きなテーブルが置かれていて、その上には沢山の豪勢な料理が用意されていた。私には無縁の風景である。
先程部屋に入ってきた男は、広間に入るなり椅子に腰を下ろし、メイドにグラスにシャンパンを注ぐよう促した。
「君も座りなさい」
立ち尽くしている私を見た男は、そう命じた。
すると、メイドの1人が私用だと思われる椅子を引いた。
「あ…どうも」
そして、私のグラスにもシャンパンを注いでくれた。
明らかに挙動不審の私を見て、男は口を開いた。
「…ボロボロになってるじゃないか。衣服を用意してやる。あとで着替えてこい」
「は、はぁ…」
しばらく無言のまま、食物を口に運んでいると、またもや男の方から口を開いた。
「君、名前は??」
「シャル…ロッテ」
蚊の鳴くような声で、そう呟く。
「シャルロッテかぁ…とてもいい名前だ」
男は嬉しそうに呟く。
「あの…貴方は?」
「俺はブリトン人の王、アーサーだ」
「…ブリトン人?ということは、ここはブリテン島なのですか?」
「いや、ここは南ドイツなんだ」
ブリテン島(現イギリス)に住まうのがブリトン人だと聞いたが、どういうことなのだろうか?なぜその王がこんな場所に?
「あのっ、だったらなぜ貴方は…」
「さて、食べ終わったことだし、着替えよう。民族衣装を用意させた」
あっさりと交わされてしまう。
アーサーの言うがまま、されるがままに浴場に移動してメイドによって風呂に入れられ、民族衣装とやらに着替えさせられた。
「とても綺麗だよ、シャル。それが、南ドイツの民族衣装、ディアンドルだ」
「ディアン…ドル?」
「あぁ、よく似合っている」
アーサーという男は口が上手いのだろうが、やはりそう言われると照れてしまう。
その気持ちを隠そうと俯くと、アーサーは思い出したように言った。
「話の続きがまだだったね。君の部屋に移動しよう。そこならゆっくり話せるはずだよ」
私は無言で頷いた。
私が先程眠っていた部屋に到着して早々、私は口を開いた。
「あの、ここは…」
「この部屋は今日から汝の自室として使ってくれたまえ。遠慮はいらない。汝をこの屋敷に歓迎しよう!」
勝手に話を進めるアーサーに少しムッとする。王とは、ここまで自分勝手なのだろうか。
「あの!私、ここでお世話になるつもりはありません。勝手に決めないでください!」
つい、勢いに任せて冷たく言い放ったが仮にも目の前にいるのは一国の王である。
すると、王はさっきまでと形相が一変し、鋭い目つきで私を睨みつけた。
「君さ、身寄りはいるの?」
「え…?」
「昨夜、君が屋敷周辺で横たわってるのを見て、ここに連れてきたのはこの俺だ。君に逆らう権利はないよ」
「でも、ご迷惑になります…!」
「君は寝ているとき、すごく唸ってたよ。すごく心配だったんだ。この俺に、目が覚めるまでの1日間心配させた。…家賃としてこれぐらいの奉仕はしてもらいたいね」
「……っ」
もう日が沈んでいる。倒れたのはおそらく昨日の真夜中。約1日経過している。
「うちのメイドとして働きなさい。心配せずとも不自由のない生活を送らせてやる」
「……お世話になります」
アーサーに言われると、妙に納得してしまう自分がもどかしい。
「さて、話に戻ろうか。……君の身寄りはいないんだね?」
「はい……昨夜、身内が殺され、屋敷も焼かれてしまいました。私はユダヤの子です。それでも私を受け入れてくれるのですか?」
アーサーはユダヤと聞いた途端、驚きを見せたが、すぐに優しい笑みを見せた。
「そんなのは関係ない。君はまだ幼いんだ。何も気にしなくていいんだよ」
そう言って、アーサーは細い子供の身体を抱き寄せた。
そして、耳元で呟いた。
「シャル……君は1度死んでいる」
アーサーの言うことが理解できなくて目を瞬かせて意味を問う。
「昨夜、君が倒れているのに気付いて駆け寄ったんだが、もう息の根はなかった」
「じゃあ、なぜ私はここにいるのですか?」
「起死回生だよ」
生き返らせて、意識を回復させる術のことだろうか。
「俺には、そのような力が備わっているのだが、これは一生に1度しか使えない。それを君に使ったのだ」
本当にそんなものがあるとは思わなくて唖然としていると、アーサーが小さく呟いた。
「人形だよ」
「え…?」
「この人形の中に君の魂が封じ込められている」
意味が分からず、首を傾げていると、アーサーは笑顔で人形を私に手渡した。
「それは、ポングラッツ人形。ミュンヘンで作られた人形なんだ。この人形は俺が預かっておく。もし、君が俺に逆らうような真似したら、この人形劈くからね?」
そんな優しい顔してよくそんな残酷なことが言えるよね------心からそう思った。
「それは…死にたくなければ奉仕しろということですね?」
アーサーの笑みに対して、私も精一杯の笑顔で対応した。
アーサーは笑顔で頷いた。
あの夜起こった虐殺。私は忘れることなどできない。いや、忘れてはならないのだ。
あれから、私の魂はアーサーに握られたまま。逆らわなければ、生かしておいてくれるらしい。もう何年か経つけれどアーサーに仕えるこの生活に慣れてしまったことがもどかしい。
私はゆっくりと身体を起こし、身体の成長に合わせて新調してもらった民族衣装、ディアンドルを着こなして、いつものようにアーサーを起こしに部屋へと足を運んだ。
「アーサー、入りますよ」
特に返事がないので、扉をおもむろに開けた。
「アーサー起きてください。朝食の準備ができています」
そう言って布団をめくりあげると、日光が直接当たり、眩しそうに目を細めた。
「シャル……」
「衣服はそこに準備してありますので、適当に着替えて広間に来てくださいね」
私は少し冷たく言い放ち、足早に部屋を出て、他のメイドが待つ広間へと足を運んだ。
私が赴いたころには、すでに料理がテーブルに並べられていた。
「今日は起きるのが遅かったかしら?おはよう」
「おはようございます」
しばらくすると、アーサーも部屋へ足を踏み入れた。少し眠たそう。
私はいつものようにアーサーの椅子を引いた。
「昔、私が初めてここへ来た時、メイドに椅子を引いてもらったことを覚えています」
「そうだな…。?どうした、シャル。暗い顔して」
「え?」
自分では気付かなかったが、どうやら私は何やら悩んでいるように見えるらしい。他のメイドも不思議そうに私の顔を覗き込んでいた。
「いえ…なんでもありませんよ。早く朝食を召し上がってください」
笑顔を作ってみるけれど、やはり無理があるようで、作り笑いだとばれてしまったのか、アーサーは私を横目で一瞥した後、食事の盛られた食器に視線を移し、手をつけ始めた。
食事を終え、私とアーサーはそれぞれ自室へ戻った。
私はベッドに潜り込んだが、ちょうどその時扉がノックされる音を聞いた。
「はい」
扉を開けたのは、アーサーであった。
「アーサー…!どうしました?どこか具合でも……」
はしたない格好で横になっていることに気付き素早く身体を起こすが、焦燥した。
「シャルロッテ、少し散歩に行かないか?」
アーサーは苦笑しつつ、冷静に誘い出した。
大人しく、アーサーの後をついて行くと見覚えのあるようでないような草原へと出た。
「えっと…ここは……」
「もう覚えてないかもしれないね。あれから数年経って……ここも随分変わった」
何の話をしているかわからず、怪訝の視線を送った。
「君が我が屋敷へ来た日だよ…あの時のシャルは幼かった。この草原は君が倒れていた場所だ」
アーサーは淡々と語っている。
「でも私、この場所記憶にないです」
「あの頃は、草木は一切ない砂漠地帯に近い状態だった。今ではその地に川は流れ、民家も建てられ、随分と賑やかになったものだよ」
懐かしそうに話すアーサーを見て、私は軽く相槌を打つばかりだ。
「私、あれからあのお屋敷に住ませていただいてますけど、外出する機会ほとんどありませんでしたしね。この地の変化に気付かなかったのも無理はありません…」
「だから、こうやって機会を設けたのだ」
そう言って、私を見据えるアーサーの目は鋭く、心を見透かされているような気分だった。
「私はユダヤの生き残りですが、ここ数年ナチスの襲撃はありません。…私のことは見逃してくれたのでしょうか?それとも今後…」
尚もアーサーは私を見据え、何かを訴えようとしている。
「アーサー…?」
「…いや、なんでもない」
そう言っては、目を背けてしまった。
懐かしさの漂う草原でしばらく休んだ後、自室へと戻った。
しかし、あの時の私をじっと見据えるアーサーの目が気になって仕方なかった。それでも突然の睡魔に襲われ、ベッドにうつ伏せになったまま眠りに落ちたのだった。
中途半端な時間に寝てしまったこともあり、日が沈んだころに目が覚めた。
外の空気でも吸おうか、と思い裏庭へ足を運ぶ。
程よく欠けた月が辺り一面を照らしている。その光景を目にすると心が落ち着くのだ。
しばらく月を眺めていると、誰かが叫ぶ声と共に、私の体は何かに包まれた。
「アー…サー……?」
私を抱きかかえているのは他でもないアーサーだった。
何が起こったのかとアーサーの背後に目をやると、そこには森の影に隠れてライフルを構えた男がいた。
アーサーの背中には銃弾が打ち込まれており、大きな手は私の身体をしっかりと抱きかかえ、胸に縋り付くように倒れた。
「アーサー!アーサー!しっかりしてください!アーサー!」
震えた声で呼びかけるけれど、反応はない。
再びライフルを構えた男に目を向けると、すでに私に狙いを定めていた。
思わず息を飲む。アーサーが私なんかを庇ったことが気に食わない。
男は銃の引き金を引いた。
その瞬間、胸の中にいるアーサーの手が微かに動いた気がした。最後に抱きしめてあげたかったけれど、そんな気持ちとは裏腹に私の意識は徐々に遠のいていった。
目を覚ますと、見覚えのある部屋にいる気がした。
(ここは…どこ?私の部屋?)
私が眠っていたこの部屋は間違いなくアーサーの屋敷の自室である。
辺りを見回してみるけれど、日常と変わらず、穏やかな朝の光景だけが広がっていた。
「アーサー…」
ふと夜のことを思い出し、アーサーを探しに部屋へと赴くことにした。
確かあの夜、私とアーサーは何者かによってライフルで撃たれた。しかし、銃弾を撃ち込まれたはずの腹部にはなんの形跡もない。
「夢…?」
アーサーの部屋の扉をノックする。しかし、応答はない。
「入りますよ?」
あの夜のことがもし夢だったなら、アーサーも無事のはずである。
しかし、そう簡単に願いは通じないものである。
アーサーのベッドの上にはアーサーではなく、白猫が眠っていた。
恐る恐る近寄ってみると、猫は警戒心を露わにすることなく、私の足に擦り寄ってきた。
「随分、身体が汚れてるわね。捨て猫かしら…それとも野良?」
無論、その問いに答えてはくれないが、どこかアーサーに似ているような気がした。
すると、部屋の扉が開けっ放しになっているのに気付いたメイドが部屋の中を覗き込んできた。
「あら?シャルロッテ、どうしたの?」
「なんか、猫が迷い込んだみたいなの」
「迷い猫…?施設に連れて行ってあげましょうか」
「そうね…ところで、アーサーはどこへ行ったの?」
メイドは訝しげに首を傾げている。
「アーサー…?アーサー王のこと??貴女何を言ってるの?アーサー王はもう何十年も前に亡くなってるじゃない」
淡々と語るメイドを見て、私は唖然とした。
「え?私たちずっとアーサー王に仕えてきたでしょう?」
「私たちがここに来る前に亡くなっていたわ。急にどうしたの?」
ならば、私が数年間仕えてきた主は誰だったのだろうか。
メイドは猫を大事そうに抱いて、連れて行った。
私は思ったのだ。このメイドがなんと言おうと私が仕えてきた主はアーサー。それ以外の誰でもなく、あの猫にはアーサーの魂が宿っている、と。
私が猫を抱いたときに、猫の懐から落ちたボロボロになった小さな人形。それは昔アーサーに見せられた、私の魂が封じられているというポングラッツ人形だった。それはもう原形がない程にボロボロになっているが、私の魂がすでに解放されていることを知った。
あの夜、アーサーが私を庇ってくれたとき、アーサーの手には確かに人形が握られていた。人形に封じられた魂を解放したことで、私は蘇った。その代わりにアーサーの魂が通りかかった猫に封じられたのだ。
しばらくして明らかになったことがある。
すでに亡くなっているアーサーだが、生きていれば80歳くらいになるだろうか。若くして亡くなったアーサーはこの世に未練があり、若い頃の姿で戻って来たのだと言う。アーサーにとって私はどのような存在だったのだろうか。アーサーの娘と重ねて見ていたのか。いずれにしても、アーサーは私の命を守ったことで成仏したのだ。
アーサーはきっとどこかで生きている。私はそう信じている。アーサーは私の永遠の主だから。