第二十三話・病院では静かに!
…猛の身に一体何が!?…といっても、特に何もありませんが… …では、どうぞ…
「………」
「………」
「………ねぇ、猛くん?」
「はい?」
「私はスッゴイ暇なのに、君は忙しそうだね。」
「…床の掃除をしたり、ガラスを拭いたり…店の汚れを落とそうと思えば、暇なんてあっと言う間になくなりますよ?」
「…それじゃ、暇でいいや〜………ふぁ〜…」
…要するに、サボりたいだけじゃないですか…
『お客さんいないもん』…と言い放つと、真理絵さんはカウンターの椅子に座って休み始めた。
僕はアルバイトだから、お客が来なくても時給分は働かないと…マスターに悪い気がする。
…だけど、このマスターの娘さん…全く掃除とか手伝わないんだよなぁ…別にいいけど…
さりげなく真理絵さんにコーヒーをいれて、僕はモップを手に取り掃除を続けた。
「…ゴクゴク…フゥ〜…その優しさ、女の子には罪なんだよ?」
「そんな大袈裟な…毎日頑張っている真理絵さんに、今日ぐらいは休んでもらいたいだけですって。」
「…どうして猛くんは、そういうことを平気な顔して言えるの?…マジで惚れちゃうからね!」
「ダメですよ。僕の心は、沙織に侵食されてますから…真理絵さんの入るすき間はありません。」
真理絵さんの話が冗談だということは、僕だって百も承知なんだが…沙織のことに関しては誠実でいたいので丁重にお断りした。
告白(悪ふざけ)が失敗したせいで、真理絵さんは頬を膨らませてすねた…どうやら、嘘でもOKしないと納得がいかないらしい。
…なんで僕の周りの女性は皆、どこかややこしい性格なんだろ?…
この人が不機嫌なままだと、常連の方はまだしも…初めてここに来てくれるお客さんの場合、『何だこの店は?』…という不快感を生む可能性がある。
真理絵さんの笑顔が目的の客のために、僕は奥の冷蔵庫からモンブランを取り出した。
「これ、自腹で払いますから…どうにか機嫌を直して下さいね。」
「………パクッ!………コーヒーおかわり!」
「はいはい、容れますよ…」
「………猛くんのバ〜カ…優しすぎよ…」
…ん?…今、何か話してたような…
聞き返したがはぐらかされてしまったので、これ以上の追求はやめることにする。
それにしても、今日は客がとても少ない…何だか変な感じになるのは、僕だけだろうか。
モップを片付けて、次に窓ガラスを拭こうとした時…外に人影があるのを見つけた。
薄暗くてよくわからないけど、この店に向かっているのは確実である。
一時間半ぶりのお客さんだと思い、真理絵さんの使った皿とティーカップをカウンターの流し台まで運ぶ。
…食べ終わったら使ったお皿ぐらい、片付けてほしいよ…
何もしない真理絵さんは、とりあえず無視して…ドアが開いたと同時に、久しぶりのお客の女性に対して元気よく挨拶した。
「いらっしゃいませー、こんばんはー!」
「…いらっしゃ〜い…」
「ちょっと真理絵さん、もう少しやる気を出してか………あ!!!!!」
「大きくなったのね、猛…」
「?…猛くん?」
「…あ、あ、あ…嘘だ…どうして、どうしてここに…」
取り乱した僕に、真理絵さんの声は届いてない。
もはや冷静な思考が働くわけもなく、頭の中では混乱と混沌が駆け巡っていた。
…そんな…馬鹿な…
…有り得ない…あってはならない…
…だけど僕が見間違えるはずない…じゃあ目の前の人は、僕の…
…でも…たしかに僕は、あの時………
…確かめ…なければ…
「…突然でごめんなさい…あなたに、どうしても会いたくて…」
「この声…間違いない!…母さんだ!!!」
「え!? だ、だって猛くんのお母さんは、半年前に亡くなったんじゃ…」
「…そう、残念だけど…あなたの母親は死んだの。私は似てるだけで…」
…何を言ってるんだよ…どこからどう見たって、母さんじゃないか…
ドアから入って来た女性は…身長、体型、顔から髪型、声や話し方まで…この世でたった一人の、僕の母さんが生き返ったとしか思えなかった。
そんな【母さん】の口から、『母さんは死んだ』…と聞かされて、僕の脳はおかしくなっていく。
…やめろ!…母さんの声で、母さんの存在を否定しないでくれ!…
…僕とこうして…ちゃんと…話してるじゃ…ないか…
…母さん…が僕に…会い…に…来て…
…母さ…ん………か…あさ………
…僕は息が乱れ出して、目の焦点さえ合わなくなっていた。
真理絵さんや【母さん】の心配する声は聞こえていたけど、意識が朦朧とし始めて…僕はそのまま膝を崩しながら、その場に倒れてしまう。
視界が真っ暗になって、手足も思うように動かせないのに…それでもまだ心の中で、僕は母さんの名前を呼び続けていた…
………ん…ここは…
目覚めた時、僕の周りの景色はガラリと変わっていた。
ほんのり明るい部屋の中…全体的に白い天井や壁、固いベットなどで…僕はここが病院の中なんだと理解する。
そしてベットの隣には、僕を見つめる沙織の姿があった…
「…おはよう、沙織。」
「うん、おはよう…ってまだ夜中の2時よ?」
「そうなんだ…ところで僕は、どうしてここに?」
「突然、倒れたらしいの…病院の先生が言うにはね、
《強い精神的ストレスにより、一時的な過換気症候群が起こったことでのパニック障害が併発》
…なんだって。」
「…えーっと…まだ少し、理解できない部分が…」
「私だってメモに書いてあることを読んでるだけなんだから、内容なんてわかんないわよ。」
沙織は手に持っている紙を確認しながら、『あのヤブ医者め!』…などと叫んでいる。
だけど、その顔はずっと笑顔のままで…僕を心配している様子が全然感じられない。
…沙織のことだから、僕に抱きついて泣きじゃくると思ってたのに…
自分が倒れたことよりも、沙織の意外な反応の方が…今の僕にはショックだった。
「それが実はね…先生から病気の説明を聞いてるときに、『心配しなくて大丈夫ですよ、奥さん』…って言われたの! 私たち、新婚夫婦に間違われたんだよ!?…もう、スッゴク幸せ!!!」
「………だから笑ってるんだ…全く、沙織らしいよ。」
「エヘヘ…やっぱり猛と私は、初めて見る人にもはっきりわかるぐらい…運命の糸で結ばれてるんだわ!」
「…沙織にそんなことを言われたら、僕も嬉しくなるじゃないか…」
上半身を起こして、沙織の髪を撫でた。
まだ少し体がだるいけど、隣にいる【妻】の笑顔を見れば…自分が病院にいることが不思議と思えるほどに癒される。
微笑んで見つめ合うと…沙織の肩と脚がソワソワし始めた。
………ここ病院なのに、平気なのかなぁ?…
ベットの端ギリギリまで寄ると、『隣においで』…と言って横の特等席に沙織を招待する。
夜の病院ということもあり、沙織は静かに座ったんだけど…すぐに僕の胸に飛び込んでキスを要求してきた。
いつもは焦らしていじめるんだが…今日はかなり迷惑を掛けたので、沙織の望み通りにしてあげる。
キスのために顔を近づけた時、沙織の目から頬にかけて………涙の流れたあとが見えた…
…そっか、そうだよね…沙織………ごめん…
泣き虫のはずなのに、僕の前ではずっと笑ってる沙織の姿が…切なすぎて、胸が締め付けられる。
僕は沙織に与えた不安を打ち消すため、優しく…けれども力強く抱きしめながら、唇を重ねて愛を伝えていく。
…流した涙のぶん、幸せを感じてほしいから…
僕はベットから降りて、沙織が座っていたパイプ椅子に腰掛ける。
たまっていた疲れのせいで眠りについたお姫様に、ベットを占領されてしまったからだ。
スヤスヤ寝ている沙織の手を握りながら、確実に登場するであろう人物を僕は静かに待っている。
そして…30分を過ぎた辺りで、扉をノックする音が聞こえた。
「………松永さん?」
「え?…どうして、仲野くんが椅子に座ってて…この女がベットに寝てるの?」
「まぁまぁ…細かいことは気にしないで。」
「…仲野くんがいいなら私は別にいいんだけど。それより、体は大丈夫?」
「おかげさまで。沙織に元気の出る薬も貰ったし、絶好調だよ。」
お決まりの白いスーツで現れた松永さんは、僕の体を真っ先に気にしてくれた。
特に問題ないことを報告すると、松永さんは深いため息をつく…迷惑を掛けっぱなしで本当に申し訳ない。
このまま休んでもらいたいところだけど、沙織の言い方ではどうも理解が出来ない病気みたいなので…倒れた原因と今後の対処の仕方を、今のうちに聞いておきたかった。
さすがは松永さん…沙織の持っていた紙に比べても、何倍もわかりやすく説明してくれる。
…要するに驚いて呼吸がおかしくなって、意識が途絶えたのか…
「…過呼吸になった原因は、藤ノ宮の奥様を仲野くんが…自分のお母さんだと勘違いしたことなの。」
「藤ノ宮の奥様?…それって、つまり…」
「美鈴のお母さんのことよ。仲野くんのお母さんと藤ノ宮の奥様は…双子だから仕方ないけどね。」
「…母さんは双子だったのか…アハハ! そりゃ似てるはずだ。」
やけにあっさり解決したせいで、過呼吸になるほど取り乱して倒れた自分が情けなくなり笑えた。
それにしても、母さんはなぜ僕に一言も言わなかったのか…そもそも親戚がいるなんて話も、一切聞いたことがない。
………ん?…美鈴さんのお母さんと僕の母さんは双子で…美鈴さんと僕の父親は同じ人だから…
「………僕のお父さんは、双子の両方に手を出したの?」
「さぁ? とりあえず、それぞれに子供がいるんだから………大人の関係はあったはずよ。」
「うわ〜…信じられないな…」
「あら、どうして?…仮に沙織が双子だった場合、仲野くんも同じことをすると思うんだけど?」
………否定できない自分がとても悔しいです…
二人の沙織に、奪い合いとかされたら幸せだなぁ…などと妄想を膨らましてる場合じゃない。
僕や母さんを複雑な事情に巻き込んだ自分の父親が、許せなくなってきたからだ。
そんな僕をなだめながら、松永さんはさらに話を進めていく。
「ま、いずれにしても…明日ちゃんと話し合えばわかることなんだから。」
「…え?…明日?」
「そう。本当は今日話す予定だったらしいけど…仲野くんが倒れちゃったわけ。」
「成る程ね。一応、話はしようとしたんだ…」
「だから、この話は一度終わりにして…私の質問に答えてちょうだい。」
そう言うと、つい5秒前まで普通にしてた松永さんがいきなり真剣な顔をした。
今までの話も結構シビアな内容だったのに、更に濃い話になるのかと思い僕は少しビビっている。
そして、松永さんが口を開いた時………僕の一番恐れていた質問が、投げかけられた。
「…ここは病院で、仲野くんは患者よね?」
「そ、そうだけど…」
「病院はね、完璧に準備をしていたはずなのよ…患者のために。」
「松永さん?…何が言いたいの?」
「…それなのに、ベットのマットレスが少しズレてるし…シーツが無駄に乱れてるのは、どうしてかしらね?」
「!!!!!…ナ、ナンノコトデゴザイマスカ?」
松永さんの目は、全てを知ってるぞ!…と語っている。
それでいて、わざと回りくどい聞き方で僕を試しているようだ。
…松永さんに真実を悟られてはいけない…すでにバレバレだけど…
「…頭の良い仲野くんに、ハッキリ言ってあげる…沙織とセックスしたでしょ?」
「あ、いや、その………」
「どうなのよ、ん?」
「………」
「…あっそ、黙秘するのね。確かに認めるわけにはいかないし、そうかと言って嘘をつくような男じゃないからね…正しい判断だわ。」
エッチしたことがばれたら殺される…僕の本能がずっと叫んでいた。
…沙織のためにも、ここは一つ…頑張らねば…
僕が認めなければ、沙織は夢の中だから…真実は闇に葬れる。
松永さんの声を無視することに全力を注いで、僕は静かに目を閉じた。
「…病院でセックスするなんて、バカじゃないの?」
「………」
「…気持ち良かった?」
「………」
「…まさか、コンドーム着けないでやったの!?」
「ち、違いますよ!!!…ちゃんと着けて、それから…………………………………あ…」
「はい、裏付け終了。」
…もう終わった…2時間の説教コース、確定…
『延長もあるから、覚悟してね』…と、松永さんがニコッと笑って優しく囁いた。
その姿はまるで…仁王像に生き写しである…
…今夜は、眠れない一日になりそうだ…
はい、作者です。 前回を見てから、感想がありましたが…今回も淡々としすぎてますね、反省中です。 猛が倒れた…って感じで書きましたけど、特に何もなくてすいません。期待していた人達には、多大な裏切りになったかもしれません。 しかし、私は声を大にして言いたい! 甘いだけの小説が書きたいんです!!! …ですから過度の期待はしないで、くだらない作品として楽しんでもらえたら嬉しいです。 苦情や応援、感想などガンガン受け付け中です。ちゃんと返信しますので、読者の気持ちを私に教えて下さいね。 …では、また次回…