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古典的人間恋愛手記

作者: 椪柑

先刻から幾度となく同じ行動を繰り返しているのには、これといった大きな意味はない。ただ何もしないでいるのは些か居心地が悪く、その結果私はなんの変哲もないスマートフォンの画面を五分に一度は眺めるという奇行に走っているわけである。


その画面に映し出されているものというのがまたとくに面白いものでもない、一人の男の名前と一行足らずの本文、たったそれだけである。他に見たいものもない、新しいメールも来ぬ、そんなわけで私はただひたすらその一行に対する返事を書こうとしてみては何も思い浮かばず文字から目をそらすのであった。


「またメールしようね。」


たいていの人間ならば、これは別れの文と思いそこで返事をやめるものなのだと、交友関係が希薄な私でも薄々感づいてはいる。しかし、私は彼の男とのメールをまだやめたくなかった。人づてに彼のメールアドレスを聞いてからというもの、私は数日間メールを送ることをためらった。なにぶん人とメールなぞすることがなかった身のためいざメールを送るとなると何を書いていいかとんと見当がつかぬ。そんなことをしているうちに三日がたった。抑も、周りにつられるようにしてスマートフォンとやらを買い与えられたのが三年前、人と関わるのが得意でない私にはメル友なぞというものはただの一度もできなかった。アドレス帳に登録されているのは家族と、一人の幼なじみの名だけだった。その私が何故、会話のきっかけもつかめぬような男とメールをすることになったのか。それを語るには一ヶ月ほど時を遡ることになる。


四月、まだ桜がはらはらと舞い散る季節に、私は大学生となった。狙っていた東京の第一志望校には落ち、せめて都会に出たいという思いで受験をした滑り止めの私立にも落ち、結局私は自宅から通える私立の大学に収まった。唯ひとつ私の心の暗雲に一筋の光をあててくれたのは、友人猫村のおかげにほかならない。彼女は中学生からの友人で、高校も同じところに通っていた。彼女と共に大学の校門をくぐった時、私の気分は空模様とは裏腹に陰っていた。始まったばかりの大学生活に早くも疲れを覚えながら顔をあげたときに私の目は彼を捉えた、その時のことを私はよく覚えている。楽しそうな顔で笑い合う人間のなかで彼だけは、たいそうつまらなそうな顔を隠しもせずに桜の木を見上げていた。近づいてみるとなにやらぶつぶつと呟いている、周りの浮かれた人間とは明らかに違うその雰囲気に私は興味をもった。次の日も、門をくぐると彼はいた。つまらなそうな顔をして、ぼんやりと虚空を見つめている横顔はそれなりに整っていて、それが余計に私の心をかき乱した、そんなことを一ヶ月ほど繰り返した頃、猫村が私にいった。


「火影くんのこと気になるならメールしてみなよ。私、メアド知ってるから。」

火影、と私は聞き返した。それで、私はその男の名前を知った。猫村は私と違って社交的である。どこで聞いてきたかは知らぬが兎に角私は彼女のおかげでその男のメールアドレスというものを手に入れた。ところが、メールという機能を録に使ったこともないうえに人付き合いに多大なる欠陥を抱える私は何をかいていいやら分からず、放置していたところを猫村に見つかり、勝手にメールを送られてしまったのである。


「そんなん適当によろしくとか書いときゃいいのよ。」


半刻ほどして彼から返事がきたとき私の胸の心臓がかつてないほどの勢いで刻まれたことは言うまでもない。家族に鳴らない携帯と称されていた私の携帯が震え、安っぽいメロディが流れた瞬間、私は思わず涙しそうになった。文明の機器とはかのようなものだったのか、という感動すら覚えて画面を見ると、なにやら隅のほうに手紙のようなマークが点滅しているのが見えた。どうしたらいいか分からずに適当なボタンを押しているとふいに画面が切り替わり、メールの画面が表示されたようだった。返事はそっけなかった、無機質な文字列はいつか見た横顔のように、言い知れぬつまらなさを醸し出していた。ただ、私はそのそっけなさに益々興味を惹かれた。翌日猫村に相談すると、返事をしろという。私が何を書いたらいいかわからぬ、というと彼女は息をひとつ吐いた。猫村は何も教えてはくれなかった、どうやら自分で考えろ、ということらしい。


そんなわけで、私は小一時間の推敲を重ねて火影に送るメールというものを打った。拝啓から初めて敬具で終わる約400文字の本文を眺め、誤字のチェックを三度済ませたあとで、私はおそるおそる送信とかかれたボタンをおした。すぐに画面が切り替わり、私が苦労して書いた文章が画面からぬぐい去られた。私は本当に遅れたのかどうかを危ぶんだが、数刻後に返事が届いたことで、私の不安は消えた。


「こんなメール送ってくる人初めて見た」


私の400文字に対してたった一文で返事をするとはなんと無礼な男なのだろうと思ったが、私はなぜかその文を10度ほど読み返した。文字列は何も変わらないのに、何度も見るたびに胸のあたりがほわほわする、その不思議な感覚をなんと呼ぶのか私は知らぬ。ただ、私はもっとこの男を知りたいと感じ始めていた。なれない感覚に手を震わせながら返事をうち、またおそるおそる返信をした。またもや返事は早かった。ただし次のメールに私は返事を返せないままでいるのである。


「またメールしようね。」


私はこの文にたいする答えを持ち合わせていなかった。ただ彼が私とのメールを煩わしいと思ったのではないかという言い知れぬ不安だけが残された。それでも私は彼とつながっていたかった、それほどまでに他人に興味を持ったのは初めてであった。そして、興味をもったからこそ、嫌われるということが恐ろしく感じた。私は人と関わるのがあまり得意ではない、そのため人に嫌われるということにもあまり関心がなかった、なかったはずなのだが火影についてのみはそうは割り切れない自分というものが不思議でならなかった。ただ、送られてきたたった二通のメールの合わせて30文字にもならないような文字を見てはひとりで言い知れぬ快感に身を委ねることのみが最近の私の唯一の楽しみであった。


「馬鹿ね、あんた恋してるのよ。」


猫村にそう言われて、私は首をかしげた。恋、はて恋というのはどのようなものだっただろうか。私には分からぬ、ただそれがめんどくさそうなことだけはなんとなく感じ取った。そして同時に、私のこの複雑な気持ちをそのような浮ついた一言で片付けてしまうのは間違っていると感じた。私としては珍しいことに、その時私は人生で初めて猫村に対して意見を申し出た。これは恋ではない、ただの一人間としての好奇心でしかないのだと力説する私を見て、彼女は大きなため息をついた。素直じゃないんだねぇ、といって笑う猫村を一発ぶん殴ってやりたいと思ったがそれはいつかにとっておくこととなった。なぜならその時、問題の火影が目にとまったからである。彼はやはりつまらなそうに空を見上げていたが、こちらの存在に気づいたらしく、ガラスのような瞳でこちらを見た。


「あ、変人の人だ。」


無表情のままそういった彼に私は一歩足を踏み出して、それから一気に彼との距離をつめ、そして口を開いた。猫村以外の大学生と口を聞くのはこれが初めてである。少し緊張して口が渇いた、けれどその乾きなどは気にならないほど、私はその男に言いたいことがあった。


「私は変人ではない、山崎千景だ。」

私の後ろで置いてけぼりをくらった猫村がクスクスと笑っていた。何故笑うのか私には検討もつかぬ。ただ、驚いたことに、私の目の前でガラス玉のような目を見開いていた火影も、遅れて笑い出したため私はひどく気まずい気分になった。何か間違ったことをいっただろうか。

「・・・私は山崎千景だよな?」

不安になってもう一度聞いたのに、さきほどより笑いが大きくなった。どうしてだか分からずに困惑する私に笑いをとめた火影がもう一度言った。


「いや、変人だよ。」



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