02:依頼
学校を卒業し、アルシアを含めた従業員が三人だけの会社の歓迎会を行った後の日常は徐々に変化していき、気がつけば一ヶ月が経とうとしていた。
彼女の人の苦手さは相変わらずだが、それ以外については概ね順調に生活は進んでいる。
新しく借りたアパートの新居での生活は閉鎖空間に囚われた寮とは違い、新鮮でかつ楽しいものとなっており、今日も早めに起床し身支度を整えたアルシアは一時間前ぐらいから出勤していると、事務机で眠そうに目を擦っている上司であるクラウスの姿が目に入った。
「アルシア、おはよう」
昨晩寝た時間が遅かったのだろうか。
彼の目は若干充血しており、度々眠そうに欠伸を行なっている。
「どうしたんですか?」
問う彼女だが、当のクラウスは、いや、ちょっとね、と言って言葉を濁す。
生真面目で仕事も忠実にこなしている彼がこのような姿になるのは珍しかったのか、他人に余り興味を示さない彼女ですら怪訝そうな表情を浮かべていると、借りているオフィスの扉が開き、いつもと同じく元気そうなフランツが入ってきた。
「よう!クラウス。……ん?昨日、寝たの遅かったのか?」
彼の言葉にクラウスは目を開くと鋭い視線を向けて睨みつけた。
「誰のせいだ、誰の!お前のせいで俺は寝不足なんだよ」
「えっ、俺、何かした?」
「……本当に覚えてないのか?」
全く記憶にない、と告げるフランツに彼は大きく溜息を付く。
状況が分からないアルシア達はその姿に余計に眉を潜めていると、クラウスは昨日の出来事について詳細を語り始めた。
彼の話を要約してしまうと、昨晩、とある酒場にて飲みに行ったのはいいが、先にフランツが酔いつぶれて寝てしまい、そのせいで自らの就寝時間も遅くなってしまったから未だに眠気が抜けない、という事らしい。
「酔っている時の転移魔法の利用は精度が低くなるから使えないし……。本当、フランツを背負って二十キロ先の道を歩くとは思わなかったよ」
「そんな事があったんですか」
理由が分かった彼女は納得した表情を浮かべた後、そのまま自らの席へと座る。
(……もうちょっと、気遣いがあってもいいんじゃないのか)
彼女の素っ気なさにクラウスは苦笑いを浮かべながらも、来る前に買った眠気覚まし用の飴を鞄から取り出して口に含むと、そのまま各自の机の上で準備に取り掛かり、彼らの朝の仕事が始まったのだった――。
◇◆◇
(もうこんな時間か……)
書類の整理や警備業としての仕事の仲介で取引先に電話を掛けている内に時間はあっという間に過ぎ、彼女が部屋に置いてあった時計を見ると時刻は午後十二時前を示そうとしていた。
「今日も実務依頼が無かったですね」
彼女が入社してから、この会社単体としての実務はまだ行なっていなかった。
確かに実務研修はあったにはあったが、それは他会社との協力作業の警備であり、ただ対象物を睨みつけるだけの作業から一人で関わる他の作業がしてみたかったのである。
「相手と戦う実務依頼は逆に少ないんだ。まあ、今の世の中が平和に回っていていい事じゃないか」
ようやく目が覚めてきたのか、彼女の言葉にクラウスはそう言うと立ち上がった。
「さて……と。そろそろお昼にするか」
そうだね、と言って賛同するフランツの姿を見た彼女は同じように席を立ち、電話を外出用保留音声に切り替えようとした時だった。
触ろうとしていた電話の音が鳴り響き、応対担当のアルシアがそのまま電話を取る。
「はい、委託警備会社『アプロディテ』です。……了解しました。少々お待ちください」
クラウスさんに用件があるみたいですよ、と彼女は接続ボタンを押すと彼の方へ繋ぎ先を切り替える。
目の前に置いてあった電話を手に取り、もしもし、と告げた彼の耳元から聞こえたのは穏やかそうな男性の声だった。
「久し振りだね、クラウス君」
「……エルベス社長!ご無沙汰しております」
彼は軽い社交辞令を交わしながらも控えめに、ご用件は一体なんでしょうか……?と言って言葉を切る。
ああ、そうだった、と電話先の彼は笑い、クラウスに依頼の詳細を話し始めた。
「実はね、今度、私の家で誕生日パーティを行うんだ。身辺警護として臨時に来てもらいたいんだが……」
「身辺警護として……ですか?」
怪訝そうな表情を浮かべた彼だったが、エルベスはそのまま続ける。
電話口でそれを察したかのように彼は先程より低い声音で小さく呟き始めた。
「最近、私の家の近くで不審な人物が目撃されていてね。気味が悪いから、と言って、この間からセキュリティ会社に頼んで監視を行なって貰っているのだけれど……。
パーティの日はたくさんの客が出入りするもんだから、いつもより警備を強化したいと思ってね。……頼めるかい?」
勿論です、とクラウスは告げると、直ぐ様、仕事の予定日と打ち合わせの日程を決め、電話を切った。
「アルシア、悪いが、このスケジュールを手帳に書きこんでおいてくれ。この会社単体での実務となるから」
メモを渡された彼女は、依頼相手と日程を確認するために目を通した。
取引先相手は魔法医薬株式会社『アルマンド』の現社長、エルベス・ベルモンド。
打ち合わせは今日から一週間後の十月十三日、仕事日は十月十四日と書かれており、彼女はスーツの内ポケットから手帳を出すと、書かれてある日付と内容を書き込んでいく。
「『アルマンド』ですか……。確か、大手魔法医薬会社ですよね」
魔法医薬株式会社『アルマンド』は全国の中でも大手に入る分類であり、彼女が学生時代に魔法実験用具で使った薬の大半はこの会社の物が占めていた。
しかし、それほどまでに売上げを伸ばしている会社が何故、この中小企業の社長と親しいのか分からなかった彼女は思った事をそのまま告げて質問すると意外な答えが返って来た。
「学生時代にお世話になった先生でね。今の会社を立ち上げる時も手伝ってくれたんだ。まさか、あんな大企業にまで成長させると思わなかったけどさ」
魔法薬の授業は中々楽しかったな、と昔の授業を思い出している彼らの姿をよそに、アルシアはそれ以上何も言わずに赤く印が付けられた部分を見て僅かに表情を緩ませる。
彼女は一週間後に控えた、いつもの実務とは違う仕事の日が待ち遠しくて仕方がなかったのだった。




