11:接待
ティエリーが言った言葉に二人は驚きを隠せなかった。
勿論、そんな話はバートも聞いておらず、意味が分からないといった表情でティエリーの方に視線を向けるが彼はいつもの表情を崩さずに見ているだけだった。
ディックはグラスに口をつけながら、不満そうに眉を潜める。
「資金援助だと?ティエリー氏、冗談も大概にしませんか?第一、私はお金に困って会社の金に手を付けるほどだ。融資できるほどの金は持っていないよ」
「まあ、そうですね。けど、研究所の支払いがなくなれば、その条件も合うと思いませんか?」
ディックはティエリーが考えている事が良く分からなくなった。
真面目な話をしたかと思えば、援助をしてくれと言い出す。
掴み所がない彼の発言を聞いたバートも困惑の表情を隠せずに居た。
「ティエリーさん、貴方は一体……」
「これを見て下さい」
彼は数枚の資料を彼ら二人に渡す。
それは先日、いつも通っている情報屋から貰った研究所の資料だったが、ディック達はその研究所名を見て思わず息を飲んだ。
「第二国立研究所。貴方達が現在進行形で投資を行っている研究所の名前だ」
ティエリーの言葉に耳を傾けながら、二人は資料に目を通していく。
彼らが行っていた実験の被害者はエイミス財閥だけではなく、他にも存在していたのだ。
当初は極秘資料として収められていたらしく、持ち出し厳禁の印鑑が押されている。
もう一枚、ディックは紙を捲る。そこにはある実験内容の詳細が書かれてあった。
「なんてことだ」
内容は失われた精神の再生実験の物だった。
この被験者は意識を戻す最後の賭けとして、とある研究所から渡された人物らしいが、その後の彼女の扱いはとんでもなく酷いものだった。
被験者は最終的にどうなったのかは分からないが、この結果を見てとてもいい人生を歩んでいるとは思えない。
「これで揺さぶりを掛けるのは十分だと思うんですけどね」
被害者はエイミス財閥だけでは無かったのだ。
彼の話を全て聴き終わったエイミス財閥の社長は、いつもの通り、冷徹な表情を浮かべて資料をもう一度見やると、いいだろう、と言って承諾の意を示した。
「この資料、どうやって手に入れた?」
「まぁ、お互いに腹のさぐり合いはよしましょうよ。貴方だって私に摘発を受けたくないでしょう?」
そりゃごもっともだ、とディックは彼に対して頷いた。
今のは彼に対するちょっとした揺さぶりだったのだが、ティエリーの表情は全く変わらない。
無駄な冷や汗をかいていたのは自分だけか、とディックは小さく嘆息を零していると、最後のフィニッシュを飾るデザートが運ばれてきた。
冷たいミルク味で作られたアイスクリームは彼らの口の中で程よく溶け、甘い味わいが彼らの舌の中を埋め尽くす。
「甘いものはあまり好まないが、このアイスクリームはあまり甘さが強調されてないから食べやすいな」
「南部の厳選されたミルクを利用しているみたいですからね。料理長一押しのデザートだそうですよ」
全てのデザートを食べ終えたティエリーは鞄の中から一枚の紙を取り出し、二人に向けて手渡した。
そこには署名欄と印鑑を押す部分があり、彼らは書いてある文面をじっくりと読み込む。
「……契約書か」
「ええ、ビジネスに契約はつきものですから」
その言葉はかつて、三男に向けて自らが贈った言葉だったが、まさか此処で使われるとは思わなかったのだろう。
彼の言葉にディックは苦笑いを零すと主要部分を抜き出して黙って読み進めた。
前置きとして多くの事実関係の事が箇条書きにされていたが、要はこの事実を黙認する為、エイミス財閥はティエリーの管轄地で指示を受け入れる事がこの取引を成立させる条件らしい。
予想と反した条件に不信感を覚えるどころか、疑念を抱かざるを得ない。直ぐにディックは向かいに居るティエリーに質問を行った。
「何故、貴方の管轄の元で指示を受け入れるのです?」
弱みを握った者は大体、国家を盾に脅しを掛ける所が殆どだ。
現在進行形で弱みを握られ続けているエイミス財閥もその一例である。
国家を盾にして、相手を脅すのは、相手よりも優位に立つ為ではなく、後ろ盾があることを相手に示し、いざという時の切り札として取っているだけにすぎない。
だが、この男は切り札として国家を後ろ盾に使うどころか、自らの管轄だけに留めて指示を受け入れろと言うのだ。
そんな事を望むとなれば、理由は一つしか無い。
「自分の手足となる戦力が欲しいとでも?」
「流石、大手グループを束ねる財閥の社長は物分かりが早い」
満足したようにティエリーは言うと隣に居たバートに目配せする。
彼はティエリーの指示通り、父親に向かって言葉を紡ぎ始めた。
「実を言うと父さんの片棒を担いていたことがバレたんだ」
「何だと?ふん。いつも思っていたが、お前は身が甘いんだ。第一、この取引だって、プライベート用の端末で――」
「この接待はティエリー氏の指示の元です。プライベート用に掛けるのもこの人からの指示だった」
「……つまり、俺はお前ら二人に最初から嵌められていたと言うわけだな」
不満そうにディックは呟くが、対するバートは気にせずにそのまま言葉を続けた。
「ああ、そうだ。でも、今はその事は少し置いておこう。率直に言えば、ティエリー氏は戦力を欲しがっている。国家と渡り合えるような巨大な戦力がね」
「なんだ、どっかの国とでも戦争したいのか?」
「そのまさかですよ。相手は他国ではなく自国ですがね」
ティエリーはグラスに注がれた白ワインを片手に持ちながら彼の話を付け加えた。
自国と戦争をすると言う事は、国家を敵に回すということだ。
彼の言葉にディックの動きは止まった。その目は正気か?という意図も込められている。
「権力でも欲しいのか?国家に対して積極的なティエリー氏がそこまでするとは思えないな」
「勿論、それだけのリスクを背負うのに対してその野望は小さすぎます。私はただ純粋にこの国を元の状態へと戻したい」
ティエリーの野望は一つ。レイモンド達と同じ様にこの国を元の分権政治国家へと戻すこと。
即ち、民主主義国家へと戻すことである。
皆がチャンスを掴めるようなそんな世界を彼は目指しているのだ。
唯一、同じ志を持っているレイモンドと違うのは国家当主に対する敵対心による物だけだ。
「分権政治の頃は、それだけ統治者も多かったが、それによるメリットは大きかった。権力者同士の統制にもなっていた。今みたいに一人の人間が命令を下せば、一つの地域が壊滅するなんて事はなかった」
ティエリーは数十年前に起こった故郷の内乱を思い出す。
もうその時は既に国家従事者での勤務を行っていたが、その内容は悲惨なものであったと同時に畏怖した。
一人の者が権力を全て携えたら、此処まで壊滅させる事が出来てしまうのだと。
ある意味、戦争よりも怖い事かもしれない。
「私はやはり、一人の人間に権力を集中させてはいけないと思っている。乱用の原因となる他に、国の人間を悲しませる結果になるからだ。今の国家当主が何を企んでいるか知らないが、今の状況はとてもいいとは思っていない。ただ、貴方みたいな企業にとっては今の体制になってかなりの恩恵が生まれているでしょうな」
「確かに今の体制になって仕事は増えた。だが、それが仇となり、結果的には会社の金に手を付けなければならないほどのリスクを負ってしまったがな」
「どうですか、この取引。両者にとっても悪い物ではない」
「良いだろう。ティエリー氏、貴方に協力しよう。私としても国家改変の場面に携われるとなれば、中々面白い事になりそうだしな」
それとだ、とディックは呟いてバートの方へと視線を向けた。
バートの表情は未だに固く、父親に対する視線も厳しいものだったが、それでもディックは言葉を続ける。
「私はバート達のビジネス勝負に負けた。強者に負けた敗者は大人しく従おうとしよう。彼女の会社を私の会社の担保から外す」
彼の言葉に思わず、バートは息を飲んだ。
明日の朝に会社の取引として利用しているエイミス銀行に電話を掛けて、担保を変えて貰うと彼は言った。
彼は余りの嬉しさに表情を綻ばせる。
「……勘違いするなよ。お前とあの女の交際は認めていないからな」
その言葉に彼は首を降ろせざるを得なかったが、それでも前の状況より一歩前進した。
喜びで舞い上がっているバートの姿を見ながらディックはカクテルグラスを持ち上げると彼らに向かって言った。
「では、今後のビジネスに対する検討を祈って……。乾杯」
ティエリー達はその言葉を聞いて、それぞれのグラスに入ったお酒を持ち、ビジネス取引に対する成功を祝ったのだった。




