08:第五査察管理課
(全く……。あの人は一体何を考えているんだ)
午前八時半過ぎ。
国家従事者が仕事を始める時刻まで後三十分程度という時間に紺色の瞳と髪の色を持つ男性、ルーカス・セルヴィッジは勝手な上司命令に頭を抱えながらもある場所へと歩みを進めていた。
貰った紙を内ポケットへ仕舞い魔法を発動させる。
一瞬にして景色は変わり、白色に包まれた廊下へと着いた彼はその先に有るシンプルなドアの方へと向かうとノックを行い、挨拶を行った。
「おはようございます」
まだ始業時間前ながらも半数以上の人々がおり、それらは全て彼の方へと視線を向けている。
当然のことだ。通常ならば、この部署に彼は居ないのだから。
その中でも、奥の方に座っていた男は眉を潜めながら立ち上がるとルーカスの元へ近づいた。
国家服をきちんと着こなし、セットされた金髪はこの部署の中でも一際目立つ存在であり、まさに良家の子息という姿に相応しい。
そして、細身な体躯に包まれた長身と凛々しい目つきは同じ職場の女性たちを虜にするほどだが、今の彼にとってはそんな事はどうでも良い。
彼の前で立ち止まった男は、一体、何の要件でしょうか、と聞いた。
当然、その声音には密かに冷たさも混じっていたが、彼の容姿に惹かれている女性達と彼の体躯と能力に太刀打ち出来ない男性陣はそれ以上口を挟むこともなく、黙って見ている。
「あれ?エイミス部長にはまだ連絡は来てませんでしたか?仕事の手伝いに来ました」
あえて、笑顔を作りながらルーカスは答えるが、そんな彼の言葉をこの部署の責任者であるバート・エイミスは鼻で笑う。
「ご心配なく。私の部署は人手は足りてますので、どうぞお引取りください」
完全な嫌味だったが、こんな事は国家従事者となれば日常茶飯事だ。
ルーカスはあえて大げさな言い方で、彼にこう伝えた。
「いやー、それがですね。直属の上司がこっちに多量の仕事を回すから手伝いと指導を頼む、と言われましてねぇ」
そう言って彼は数十分前に上司であるティエリーから貰った紙を見せる。
簡素な書類だが、その下には彼の直筆のサインが書かれており、正式な業務命令の様式と同じ形だ。
渡された紙を見て、エイミスは驚きの表情を浮かべながらその文章を読む。
「本日、管理官補佐ルーカス・セルヴィッジは、第五査察管理課においての勤務を命ずる……!?」
「という訳で、本日は私が指揮を取ることになりますので、宜しくお願いしますね」
職員全体に向かってルーカスは頭を下げる。
突然の出来事に課の職員は驚いた表情を隠せないようだが、上からの業務命令となれば、逆らえるはずもない。
各々がよろしくお願いします、と告げる中で、エイミスは、何で俺の課に来る必要性があるんだ?と聞き返した。
「それは、私の上司にでも言ってください。さて、そろそろ始業時間ですし、準備の方をお願いします」
呆然と立ち尽くすエイミスをよそに、ルーカスはそのまま彼の横と通ると、今日の業務表が書かれているボードの方へと向かった。
◇◆◇
(何であいつが……)
午前中の仕事が終わり、昼休みが終わったオフィス内の空気は最悪だった。
と言ってもそれは彼だけの話であり、他の職員はルーカスの指示に従い、仕事を滞り無くこなしている。
他の国家従事者も別の部署の中位管理者が現れた事に困惑こそしていたが、彼の的確な仕事の割り振りと要領の良さに内心、舌を巻き始めていた。
「そうそう、こういうお客様は大体、自分の話を聞いてほしいタイプだから、全否定は駄目だよ。褒めながら、自分の要望を貫きたい部分を強く言えば、交渉に応じてくれる事も多いから」
「すみません、フィナンシェ工業から、査察の日程を半日にしてくれという電話が来たのですが」
「査察で半日か……。ちょっと待って、直ぐ行くから」
書類と面談の説明を行なっていた男性に断りを入れると、直ぐ様、電話を受け取っていた女性から受話器を借り、話を進める。
なるべく、無理ということを柔らかい口調で言うが、向こうはどうしても短くしないと困るとしか言わない。
通常、応対の者はその条件を飲み、上司に怒られるパターンが多いのだが、彼は違った。
当然、規則に伴い、最低一日の査察が必要と述べるが、相手の話を否定も肯定も行わない。
そして、ある程度向こう側の言い分を聞いた彼は、分かりました、と呟いて、ある条件を提示した。
「どうしても、と仰るのであれば、一つ条件を付け加えさせてください。
そちらの条件である半日の業務査察業務の話を飲む代わりに、当日に資本関係書類の提出を義務付けますがいかがなさいますか?」
資本関係書類とは、いわゆる税金関係の物を示した書類であり、納税関係の物は税務課が管理している。
健全に企業が運営できているかどうかだけ調べる査察業務とは縁がないとは言えないが、彼らが此処で書類を出しておけば、春先に控えている税務調査書の提出を省くことが出来るのだ。
その時期に決算をまとめてあちこちの行政を巡っている企業にとっても悪い話ではない。
寧ろ、何十個にも及ぶ行政書類のうちの数個の提出を減らすことが出来るのだ。
彼の話に、企業の経理係は二つ返事で答えると空いている日にちを伝えて貰いながら近くの紙でメモを行った後、彼も丁寧に受け答えをしながら電話を切る。
そして、そのメモ用紙を最初に電話を取った女性職員へ渡した。
「今日から五日後の木曜日にフィナンシェ工業に行ける人材を確保しておいて。多分、査察は三~四人程度でいいと思う」
分かりました、と女性はいうと早速、空いている人材を探すために、モニター画面から専用のソフトを出し、
その日に空いている職員のスケジュールをチェックを行い始めた。
この様にルーカスが大半の仕事をこなしているため、エイミスは大した仕事を行えずに居た。
むしろ、暇で仕方なく、電話を取ろうにも彼が全て対応を行ってしまうため、何も出来ない。
その時、彼のデスク元に一本電話が掛かって来た。
(俺だって、あいつと同じぐらい出来るさ!)
意気揚々と彼は即座に取るとマニュアル通りに素晴らしい声音でそのまま出る。
「もしもし?エイミスさんでいらっしゃいますか?エイザール重工のエドモンド・カッシングと言うものです。頼んでいた物と違うのですがどういうつもりなのです?」
「その、条件が違う、とは……?」
「数日前に話を付けたじゃないですか。何で査察業務の日数が長くなっているんですか」
控えめな口調ながらも、その声の中には明らかに憤慨の物が含まれている。
直ぐに彼は目の前にある端末を利用し、該当する査察業務スケジュールをモニターに出し、通話を続けた。
「確かにエイザール重工様の査察業務は確かに三日伸びています。ですが、そちらの取締役の方と一旦話し合いを付けていたはずですが……」
「仕様書を見た取締役は非常に憤っておりましたよ。確か、税金監査の項目は後ほどで構わないと言ったのは貴方の部下の方ですよね?」
その言葉に思わず、エイミスは何かを思い出したように息を飲んだ。
あの日は他の業務で忙しかったので、自分の部下を派遣していたのだが、どうにも食い違いがあったらしい。
ただひたすらに彼は申し訳ありません、と平謝りするしか無かった。
と、此処までは査察業務の中でもあり得ることであり、彼自身にとってもマニュアル通りに対応することが出来た。
しかし、次の瞬間、彼は電話口から飛び出した思いもよらぬ言葉で表情をひきつらせる羽目になった。
「伸びたスケジュールを戻してくれ、と?」
「申し訳ないのですが、今更、控除された書類を用意できる時間もありませんし、こちらとしても貴重な時間を多く割くのは惜しいんです。
業務が制限されますし、当初の一日でのスケジュール敢行を希望するのですが」
流石にそれはマズイ、と彼は心の中で思う。
彼のチームが引き立てた計画プラン日数は三日間であり、もうそれぞれに行える査察業務を割り振りしている。
当然、こちらの方も一つの業務だけに絞って行なっているのではなく、それぞれが掛け持ちを行ってシフトを行なっている状態だ。
それに、査察が行われているとされている日は明後日だ。
このスケジュールを改変するとなれば、掛け持ちしていた何処かのチーム監査に穴を開けることとなり、人手が足りなくなる可能性がある。
他の部署に頼むという手もあるが、査察業務を行えるほどの知識がある人間は少なく、繁忙期を迎えている今の時期に人を連れて来ることが出来るかどうかすら怪しい。
そして、この彼のミスが露呈すれば、半年後に行われる仕事審査に影響を与えかねないし、個人的な事情でエイザール重工を敵に回すわけにも行かない。
まさに冷や汗が出るとはこの事だろう。
受話器を手に、言い訳がましく多くの言葉を連ねているとルーカスが近づいてきた。
彼は何かを探しているフリをし、小声で、ちょっと電話貸して、と言ったが、プライドが高いエイミスは電話口を抑えて、大丈夫だ!と言う。
元々、そう簡単に手渡してくれるとは思っていなかったのだろう。
ルーカスはその言葉を聞きながら勝手に受話器を取ると、すみません、お電話替わりました、と言って相手先に告げた。
「エイミス部長の元で書類の書記官をやっているルーカス・セルヴィッジと申します。
先日、訪れたアルヴィ調査官と上手く情報交換が出来ていないようでした。誠に申し訳ございません。査察業務に関してですが、私に非がありますので、一日でのスケジュール敢行で構いません。その代わり、控除された書類は後日提出していただく形になりますが……」
「二週間後?それじゃ、査察業務期限を過ぎてしまうのでは?」
「通常ならば、期限を過ぎてしまうのは駄目なのですが、今回ばかりは手違いがございましたので。特例として期限延長をさせて頂きます。そうですね、書類期限は二週間後までで構いませんよ。こちら側で何とか中央に言っておきますので。……はい、よろしくお願いします」
そう言って彼は電話を丁寧に切ると周りに聞こえる程のやや大きな声で言葉を言い始めた。
「ああ、そう言えば、頼んでいた書類、書き忘れてた。ごめんなさいね、エイミス部長。気付いてくれたから助かりましたよ」
ウィンクして言う彼に気が付いたエイミスは、若干、しどろもどろになりながらも、ああ、当然のことをしたまでだ、と言って答える。
その後、ルーカスは呼ばれて別の場所へと行き、エイミスは彼のその姿を見送った。
エイミスは奥の方に行ったルーカスの姿を見ながら小さく溜息を付く。
ライバル視している相手に助けられたのは、どちらかと言えば、彼自身にとっては癪に触ることだったかもしれないが、今回ばかりはそうも言ってられない。
(あいつがあの役職まで上り詰めたのは何となく分かる気がする)
自分とはまるで違う。彼は先程の会話からそう思った。
通常の勤務能力となれば、おそらく互角だろう。寧ろ、情報処理能力に関しては高く評価を受けている自分の方が有利かもしれない。
だが、それだけでは中位管理職の高官としての役職はつけない。
人々を気遣う気持ちと共に最善な方法を素早く見つけ出し、互いに有効な策を導き出す。
ルーカスはこの手法が一番長けているのだ。
そして、先方との取引を丸く収め、自分のミスも大事にせず、周りに気遣ってくれた。
先程までつまらない自尊心を引き出していた自分が恥ずかしくなった。
(書類が減ったのならば、査察業務の内容も大幅になくなる。一日でもいけるかもしれない)
いや、助け舟を出してくれた彼のためにも一日で済ませなければならない。
彼は早速、一日で出来るスケジュールシフトを練り直す為に端末へ入力を始めた。
忙しく行われていた午後の業務も終わり、業務終了のチャイムと共に職場内の人々は一斉に気の抜けた雰囲気を出し始める。
即座に帰る人もいれば、職場内の人間と談笑している人もいる中で、ルーカスは残っている書類の整理を行なっていると背後に気配を感じ後ろを振り向く。
そこにはエイミスが立っており、さっきはありがとう、と小声ながらも彼に告げた。
「何のこと?」
まだ周りに人はいる。彼の事を思って、わざととぼけているのだろう。
苦笑いを浮かべながら、エイミスは持っていた袋から一つの物を取り出し、差し入れだ、と言って缶コーヒーを机の上に置くと背を向けて歩きはじめた。
ありがとう、とルーカスは言うと彼は小さく手を振り、そのまま行ってしまったが、早速、缶コーヒーを開けた彼はそのままそれを口に含みながらも彼の姿を見送ったのだった。




