07:潜入
午前一時過ぎ。
流石にこの時刻になれば人通りは皆無であり、彼らは今、廃屋となった建物の近くに居た。
季節は冬に差し掛かり、寒さも一段と際立ってきたが、いつも着ている仕事着は戦闘用タイプに変えられており、黒のシャツに黒のズボンと言った動きやすい格好になっている。
本当ならば、コートなどを着込みたいところだが、行動を制限されてしまう可能性があるため、着て来れなかった彼らは少し寒さを覚えながらも、裏口の方に人がいないか確認し、慎重に場所を移動させた。
「今回は潜入調査が主だ。裏付け資料となる物を持ち帰るのを最優先とする。他に質問は無いか?」
はい、とアルシアは彼に対して声を掛ける。
何だ、言ってみろ、とクラウスは言うと彼女は少し言いづらそうにしながらも言葉を発し始めた。
「――本当に私は実戦参加で良いんですか?」
彼女にとっては珍しく、本当にこれでいいのかという不安の表情を浮かべていた。
前回、自らの身勝手な行動により敵を逃してしまい、その事が原因で先日、クラウスから戦力外通告をされたのも記憶に新しい。
だが、今日は仕事場から出かける直前、彼はその発言を撤回し、彼女を実務担当としてのサポート役として付いてきて欲しいと言ったのだ。
正直な気持ち、今回は現場に赴かずにレイモンドと一緒に二人のサポート側に回ると思っていた。
一体、どういう風の吹き回しだろうか、とずっと彼女は疑問に感じていたのだ。
彼はアルシアの方へ振り向き、不安に帯びている彼女の瞳を黙って見据えると簡潔にその理由を述べ始める。
「確かにお前はまだ未熟な部分がある。けれど、やっぱりお前がいないと上手く任務が捗らないことに気が付いてね」
昼間の出来事を思い出しながら彼は言う。
あの時こそフランツが作った道具を用いて看破したが、彼女が居なければ、此処まで迅速に探索ルートを決めることも出来なかっただろう。
彼女の力は今のアフロディテにとって必要不可欠な存在となりつつあったのだ。
「今日は俺と一緒だから多分大丈夫だろう。無茶はするんじゃないぞ」
分かりました、と彼女は言って彼の側に立って建物を見つめていると彼らの元に一つの通信が飛び込んできた。
声の主はレイモンドで、現在、彼は事務所から三人のバックアップとして待機している。
当初はアルシアが行う予定だったのだが、今日はどうせ暇だし、情報管理は任せてよ、という国家従事者としてはどうかという発言を残した彼の強引な一押しにより、三人は実務の方に赴くようになったのだが、彼の声音はいつもの様な穏やかな物とは違っていた。少し深刻そうな声で三人に目の前にある建物の状態を伝える。
『んー、これは厄介だねぇ。全部にセキュリティが張ってあるよ』
尤もアルシアは建物全体に強力な結界魔法が張られているのは感覚として分かっていたが、実際には予想を上回るほど厳しいセキュリティが張られていた。
事前に資料館から複製魔法で入手していた設計図と探索系魔法による結果からレイモンドは一つの答えを導き出す。
彼が言うには侵入者が入りそうな絶妙なポイントに部外者の立ち入りを感知する特殊な術式を埋め込んだ防衛機能を各地に配置してあるらしい。
それも面倒な事にその術式は何らかの識別手段で関係者のみを通すという形を取っているようだ。
『とりあえず、此処を突破すれば少しは楽に探索出来るみたいだけど……。こちらから分かることはそれだけかな』
「分かった。また何かあったら連絡するよ」
そう言ってクラウスは通信を切るとそびえ立つ建物に対して嘆息を零す。
浮遊系の魔法や次元を司って動く瞬間移動で入ってもいいが、恐らく窓枠や出入り口付近全てにはそれの対策用として、特定魔法を探知する術式が置かれているだろう。
入り口を超えた瞬間に術式が作動し、僅かな間に警備隊が駆けつけてしまう。
「参ったな……。どうする?」
「関係者御用達のスペアキーみたいな物なんて持ってないし……」
「術式を上書きしてみたらどうでしょう?」
ふと、考え込みながら発したアルシアの声に二人は振り向いた。
出来るのか?と聞いたクラウスに対して彼女は、まあ、やってみないと分からないと曖昧な答えを濁しながらも目の前にある建物に向かって意識を集中させる。
魔法の反応からして幻術系の術が使われているのは間違い無いだろう。
ただ、使われている魔法は精度と力が高いらしく、彼女の魔力自体はあと一歩の所で中々踏み込めない。
(こうなったら……)
彼女は小さく魔法を呟いた。
力に応えるかのように美しい黒色の瞳は赤く染まり、辺りの物をより一層の事大きく照らし出す。僅かに生ぬるく感じていた魔力が更に増大にして直に感じるのが分かった。
今使った魔法は強化系の魔法であり、彼女は体全体に対する感覚の強化を行ったのだ。
先程までは玄関口の先しか見えなかったが、茂みの中に隠れていた窓の枠の細部まで見渡すことが出来る。
全身に感じる魔力の流れを読み取りながら、全てのセキュリティの源泉となる部分を探していくと一つの綻びが見え、彼女はその部分により一層力を強めるとまた別の魔法を唱える。
「幻視化」
すると彼女の足元には白色で書かれた大きな魔法陣が現れ、アルシアは持っていた術式専用の白いペンを取り出して術式を書き直していく。
全てを書き終えた彼女は魔法陣に魔力を注ぎ込み、転送と呟いて指を弾くと先程まで建物全体まで及んでいた結界によるセキュリティが少しずつ緩み始めた。
その結界魔法の強さは二人にも理解していたようで、プレッシャーの様に感じていた魔法の発動が小さくなっていくのを肌で感じ取る。
アルシアは息を吐いて自らの身に施していた強化系の魔法を解くと効果が弱まった建物を見て言葉を紡いだ。
「魔力の探知に術式の複製と上書き転送……。流石に神経を使いますね」
そうは言った彼女だったが、まだまだ余裕のある表情を見せており、先程の彼女の力はまだほんの序の口でしか無いのだな、とクラウスは再認識をせざる得なかった。
幻視化とは以前、レイモンドが行った具現化魔法の一種で場所を指定しコピーさせた後、実物と同じ物を復元させる魔法だ。
これを応用すれば、具現化させた後、新たな術式を転送をして上書きさせる事も出来るが、絶対条件として、前に発動させた者よりも大きな力で覆い隠す程の魔力を持っていなければならない。
上級レベルの魔法系統を使える魔法士でも、そつなくこなせる者となると相当な数が限られて来る程の芸当と言えるのだ。
「やっぱりお前がいなきゃ仕事は回らんな……。ありがとう、アルシア」
彼女の頭を撫でると彼は意思を固めたかのように強い眼差しで目の前の建物を見据える。
いくら彼女の魔力が上級魔術士レベルに匹敵するとも言えども皆無となるまで無力化する事は難しかったが、三人が潜入して入るには十分対抗できる強さにまで弱める事は出来た。
寧ろ、下手に無防備な状態まで下げると警備隊に異変を感じさせてしまう可能性の方が高かったかもしれない。
絶妙なセキュリティレベルに下げたアルシアに感謝しつつも、周囲への警戒を怠らないよう、三人は幻術系魔法を使い、それぞれの人物に変装し建物へと潜入していった。
◇◆◇
(やっぱり夜の研究所って不気味だな……)
アルシアは周囲の暗さに顔をしかめながらも前へ進んだ。
今の彼女の姿はクールビューティーという名に相応しいぐらいの黒の瞳を持った黒髪女性の姿へと変化していた。薄明かりの中でアップに纏められた髪は美しく、白衣と良く合っている。
他の二人も彼女と同じく白衣を着込んだ姿となっており、いつもの容姿とは似ても似つかない。
クラウスの方は綺麗なブルーグリーンの瞳を持った銀髪の研究員となっているし、フランツに至っては目立つ金髪が赤毛混じりの短髪姿に変化している。
彼女はこういう”何かが出そうな場所”へ赴くのは好きな方ではない。
研究所では召喚魔法の研究もされているケースも多く、サンプルとして飼われていた悪魔や霊などが出てきそうで嫌というのが個人的な事情であったりする。
魔法が発達しているため、霊や悪魔が出現しても聖術系の術式で追い払う事が可能だが、余り相手にはしたくない。
もっともそれらは人間というカテゴリーから外れている為、まともに戦っても負けそうな気がしてならないという気持ちが有るためだが……。
先日、自分が寝込んでいる時にこの話を二人にしたら、彼らは大笑いし、試合に勝てる人がそんなに怖気づいてどうするんだ、と諭されたばかりだ。
あの二人には未知なる物体が怖くないのだろうか。
「アルシア、大丈夫か?」
いつものように覇気を感じさせない彼女の姿を見てクラウスは心配そうに声を掛ける。
彼の姿に気付いた彼女はいえ、大丈夫です、と返事を返すと気合を入れるために頬を二回ほど叩いた。
(そうよ……。大体のランクの魔法系統は覚えてるんだから怯えたら向こうの思うツボだわ……!)
生前、父親は聖術系魔法を専門にしており、邪念を持った魔物の退治の方法は子守唄代わりに聞いたことがある。
万が一にでもそういう物が出てくれば、適切に対処すればそれほど怖いものでもない。
だが、一つでもその対処を間違えると命に関わる。
昔、あるきっかけでその現場に居合わせてしまった事のある彼女こそ、その事を重く見て、不安になっているわけだが。
(今はそんな事を考えないようにしよう……)
彼女の内情を察したフランツは怪訝そうに見るクラウスにそれ以上の追求をさせないように話題をすり替えながらも三人は道を進んでいくと昼間に彼の視線を通して感じたあの白い壁が見えてきた。
その時点で彼女は小さく呻いて苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。
クラウスの目を通して見た時よりもはるかに感じる魔力の質に圧倒されそうになった。
(固めて置いてるってレベルを超えてるわね……)
誰がこの様な仕掛けを作ったのかは知らないが、間違いなくアルシア以上の実力の持ち主が作ったものだ。
術式を埋め込んで封印してある時点で圧倒されるなんて事は今までには無かった。
恐る恐る壁に手を当てると余りの魔力の感覚に思わず手を離してしまうが、まずは術式を解除しないと先には進めない。
防御系の魔法と強化系の魔法を利用しながら、流れている魔力を読み取り、核となっている部分を中心に魔力との干渉で一つずつ破壊していく。
全てを術式を破壊し終わると白い壁は一瞬にして異次元空間へと変化し、彼らの目の前には二つの扉として現れた。
扉は彼らを中心として向かい合うようにして立っており、暗闇の中に淡く光る青の扉と赤の扉というのは何処か不安な物を煽り立てるようで少々不気味だ。
「青の扉と赤の扉、か……。どうする?」
「二手に分かれる……というのには少し中途半端過ぎますよね」
「ああ、どちらかが一人になるからな」
クラウスは近くにあった赤い扉を触りながら考えていると、
少し離れた場所から、いや、どちらにしても別れなきゃ駄目みたいだね、と言ったフランツの声が聞こえそちらに視線を向ける。
「ふむ……赤い扉の方は……。どうやら俺を通してくれないらしい」
彼は赤い扉のドアノブに手を掛けようとすると何かに弾かれるようにして拒絶されてしまう。
先程クラウスが思考しながら触っていた時には起きなかった現象だ。
「何で赤い扉は駄目なんだ?」
「分からない。”何かの理由”が有るのかもね」
試しに彼ら二人とは反対に位置していた青の扉へ歩いて触ろうとしたが、フランツとは逆に手を掛けれない仕組みとなっているようだ。
「兎に角、こうなったら二手に別れるしかないようですね」
お互いに扉の方へと向き直り、健闘を祈る、と告げると同時に二つの扉へと手を掛けたのだった。