05:違和感
クラウスは一言声を掛けて外に出るとそのまま通路を移動しながら思考に耽る。
朝にレイモンドと会った時の会話を思い出し、その時の会話を頭の中で反芻させてながら辺りを歩いているとある疑問点へとたどり着いた。
(この異様は雰囲気は何だ?)
先ほど彼と会話していた人物こそ、とても丁寧に対応してくれてはいたが、それ以外の人は自らの作業に没頭してばかりで話しかけすら応じない。
まるで、部外者のクラウスが早く居なくなってくれないと作業が捗らないから、と言わんばかりの空気感だったように思う。
一体、あの部屋に広がる無意識的な拒絶感に満ちた空気は何だったのだろうか。
(俺がいると困る実験でもやってるのか……?なら、あいつの言っていた事はクロって事になるんだが)
彼自身、その時の話は半信半疑であったが、この光景を見ているとそう思わざる得なくなる。
いくら秘密事項があるとは言え、此処まで白けていると気持ちが悪い。
彼は非常口から外へ出ると人気のない茂みの方へ向かうと、持っていた携帯端末を取りだし何処かへ電話をかけ始めた。
勿論、この話は部外者に聞かれると困るため、自分以外に聞き取れないよう付属しているキャンセリング機能に設定しながら、ある人物が出るのを待つ。
三回ほどコールした所で、はいもしもし、とクラウスによく似た声で受け取るのを聞いた後、そのまま彼は話を紡ぎ始めた。
「お前、これはどういう事だよ」
「どういう事?言っている意味がよくわからないんだけど」
電話先に出たのはレイモンドであり、彼は今、アルシア達がいるビルの事務所にて書類整理を行なっている。
既に作業が終わり暇を持て余していたのか、余裕を持った声音で話している彼に対してクラウスは若干、トーンを上げながら言葉を続ける。
「だから、お前は視察する以前からこの研究所について何か知っていたのだろう?」
流石だね、と涼しい声で返すレイモンドに対し、彼は思わず盛大に溜息を零さずにはいられなかった。
「ちょっと内部を探索しただけで分かるなんて……。社長の名は伊達じゃないねぇ」
冗談交じりに電話口で笑う彼に対しクラウスは、昔はもう少し純粋だったのにいつからこんなに食えない男になったのか、と気を落としながらも何かを知っている風の彼に対して質問した。
レイモンドはまあ、憶測も含んでいるけど、と前置きした上で、彼が知っている事実範囲について述べ始めた。
「ほら出かける前にも少し言ったでしょ?あそこは表向きは新素材や武器開発をしている所なんだけど、データが妙にきな臭くてね。でも、データがおかしいだけじゃ、理屈も何もない。ただ単に新人がミスって書いていたと言えばそれまでだし。
色々と個人的に考えた結果、そういう開発はフェイクで実は別な部分に力を費やして居るんじゃないかなって思っていたんだけれど、生憎、武器開発については余り詳しくないから見てもよく分からなくて……。それで兄さんに詮索してもらって状況を教えてもらおうかと思って頼んだんだよね」
「そういう事なら最初から言えばいいのに……」
レイモンドの言葉を聞いて彼は小さく肩を落とすと近くにあった網フェンスに背中を傾ける。
いきなり、自分の代わりに視察をしてきてくれ、と言われ、その詮索理由はデータが気になるからとしか述べなかった彼に対して不条理な気分を覚えていたが、この話を聞いて全てが繋がったように思った。
「つまり、俺にその裏の部分を見てきて欲しかった訳だろう?」
「そうだね。実は最初に兄さんに話さなかったのは先入観を持たせたくなかったからなんだ。恐らく、この事実を伝えてれば、裏のモノを探すことに集中して最初から兄さん自身の何かが露呈する可能性があったからだね」
確かに最初から目的を探す者として怪しい行動に目を付けられてしまえば、職員も彼を警戒するしか無いだろう。
その点に関しては彼としてもまだ納得できるが、一つ問題点が出てくる。
「で、どうやってもう一度回ればいいんだよ?」
一通りの所は全て回ってしまった。
当時、彼自身としての違和感は全くなかったが、この話を聞いた今ではもう一度探せば何か一つの綻びが見えてくる可能性もある。
再び部屋を訪れて視察するというのも変な話であり、何か裏があるのではないか?と疑われてもおかしくはない。
しかし、レイモンドはそんな必要は無いよ、と述べ、彼にある指示を繰り出した。
「兄さん、行く前にアルシアちゃんからある物を渡されたでしょ?それ取り出してみてよ」
そう言えば、彼に変装して出かける際にアルシアから手渡された物があるのを思い出し、コート内のポケットから一つのモノを取り出す。
薄いブルーに輝く小さな石であり、当初は何に使うか全く理解できなかったが、とにかく絶対に持っていて下さい、と念を押されたので、何となく内ポケットに入れていたのだが――彼は最初とは違うその石の変化に気が付いた。
渡された時には薄いブルーの色だったが、彼が手にとって見ている瞬間から、石の色が濃い青色へと変化していくのである。
そして、自らの視界と感覚も変化し始めた。まるで、自分以外の誰かが入り込んでくる感覚であり、むず痒いような何とも言い難い感覚である。
何よりも驚いた事は自分の心の中から聞こえてくる声の存在だった。
『クラウスさん、聞こえますか?』
紛れもなくその声はアルシアの声であり、驚きを隠せずにはいられない。
(な、何だ!?これは一体……)
『フランツさんが作った簡易的擬似魔法石です。互いの魔法石に入っている魔力の者しか心のやり取りを出来ない代物だそうです』
「じゃあ、兄さん、後はアルシアちゃんから詳細を聞いてね」
彼は彼女との上手くいったのを確認したのか、クラウスの中でアルシアの声が響き終わると同時にレイモンドからの通信が途切れる。
響き渡る終了音を聴きながら、クラウスはただ呆然とするのみだったが、気を取り直し、頭の中に響き渡るアルシアらしき声の人物に聞いた。
彼が今持っている物は擬似魔法石と呼ばれる物で、記憶操作系の第一人者のフランツが独自に魔法を編み出して作り石に組み込んだ物らしい。
互いの精神をどちらか一つの者へ傾け、その人物と同じ能力が使えるように出来るものであり、今の彼はアルシア独自が持っている魔力の流れを感じる能力が使えるそうだ。
記憶操作系から派生したフランツの独自魔法だが、数ある系統の中からリスクが高いと呼ばれるだけあって、作るのに苦労したらしい。
(じゃあ、最初からこれ使えば良かったんじゃ……)
『フランツさん曰く、この魔法は互いの精神に影響を及ぼすから余り長時間は無理なんだそうです。私とクラウスさんの魔力質を照らしあわせても、三十分が限度と言っていました』
彼女の話を聞いて、クラウスはこの石を今の今まで使わせなかった理由に気がつく。
初回で全て回るにはある程度の時間が必要であり、恐らく三十分ほどでは途中で途切れてしまうだろう。
そして、それほどまでに常用出来ない魔法であることも手伝って、最初からある程度の視察を終えない事には使う事が出来なかったのだ。
この魔法は魔力の量よりも質が優先され、互いの魔力質の平均によって効果時間が決まる。
彼はアルシアには及ばないものの、魔術士全体で見れば十分上位ランクの質と言ってもいいほどの力がある。
それでも、それなりの時間しか使えないということはこの魔法が如何に高度な域の魔法か、というものを彷彿させるだろう。
『とにかく時間がありません。すぐに中に入りましょう』
彼女の声に促され、クラウスは持っていた端末をしまうと直ぐ様、建物の中へと戻っていった。
◇◆◇
(しかし……なぁ……)
どうせこの様な事をするのであれば、アルシアにも来てもらうべきだったか、と彼は後悔していた。
しかし、彼女に実践禁止令を出したのは自分であり、そう簡単には撤回も出来ない。
『……だから、アルシアちゃんを連れて行くべきだったでしょ?とレイモンドさんがクラウスさんに伝えてくれと』
(何でアルシアと話してるのに俺の気持ちがわかるんだよ、とアイツに伝えておいてくれ)
返って来た返事が兄さんの事は結構分かりやすいから、と彼女を通じて言われ、とりあえずこれ以上、レイモンドの事に関してはまともに相手をしないようにしながらそれぞれの通路を巡る。
建物自体は五階建てで、とてもシンプルな作りになっており、それぞれの各分野の開発で仕事をしているのか移動用の魔法方陣が置かれているだけで人通りは少ない。
ある意味好都合な状態ながらも時折合う研究員の姿を見やる度に、彼女が見ている風景がクラウスを通して映し出される。
アルシアと距離があるからか、この状態でも薄っすらとしか見えないが、それでも通った人物の状態を確認するには十分だった。
(確かに表現しがたい状態だな)
先ほどの白衣を着込んだ桔梗色の髪の女性研究員の姿を見た時、彼女の周りには緑と青が入り混じったようなオーラを纏っていた。
恐らくそれは彼女自身が持っている魔力そのものだろう。だが、同時に感じたモノは確かに何とも言い難い感覚であった。
無理やり例えて言うならば、生暖かい空気のようなものが肌から伝わる感じ、というのが近いかもしれない。
しかし、この感覚は余り良い感じとは言えず、日頃からこの様な感覚を持っている彼女に対して彼は尊敬の意を示すしかない。
『ちなみに、今の感覚は普通の状態の感覚ですね。魔法を発するときはもう少し熱を帯びた感じになります。魔法の強さによって感覚が違うんですよ』
(そ、そうなのか)
そう言えば今は彼女と一心一体となっていることを思い出しながら彼は足を進める。
彼の思っている事は全て彼女に伝わるのだ。先ほどの考えも彼女に伝わってしまっていたらしいが、何も言わずにレイモンドの事だけ伝えていた。
仕事に集中させるようにクラウスは様々な場所へ彷徨っていると不意に彼女から大きな声が響いた。
思わず足を止めて立ち止まる彼だが、そこには人気のない廊下が続き、行き止まりになっている場所しか映らない。
『壁に手を当ててみて下さい』
流石に力は彼女には及ばないのか、遠く離れたこの状態からでもよく分からない。
アルシアの指示する通り、近づいて壁に手を当てた途端、彼の手から電流が抜けるような感覚が飛び込んできて思わず手を離した。
『此処に何かあるみたいですね』
この場所はビルの一番上にある五階部分であり、それも開発部屋ではなく、様々な素材が置かれている言わば物置の様な部分の部屋であった。
確かにこの階は物置き部屋が多数存在していることから中に裏のモノを隠すには十分であるが、まさかただの白い壁の中に何かあるとは予想は付かなかった。
その時、響いていたアルシアの声が段々と小さくなっていく事に気が付いた彼はどうした!?と慌てた声音で聞き返す。
『すみません……。そろそろ、時間みたいです。レイモンドさんが、事務所に帰ったら少しだけ話があるから、その時に話をしようと言ってますので……』
そこで彼女との繋がりが切れてしまい、僅かながらに感じていた感覚も消え去ってしまう。
持っていた石を見ると透明に映しだされているただの魔法石へと変化しており、完全にクラウスの中でアルシアの存在が去ってしまったというのを認識せざる得なかった。
(これ以上の事は見当たらないみたいだし……。アルシアの言う通り、事務所へ戻るか)
彼は魔法陣を使って二階まで降りた後、最初に立ち寄った所長室へと行き、視察が終了した事を述べる。
男性はまだ居たのかと言わんばかりの表情をしながらも、小さく返事を行うと、近くに居た職員に見送りをするように述べ、部屋の中へと戻ってしまった。
彼は職員に対して社交辞令を述べながらもエントランスを抜け、大きな門がそびえる玄関口へ歩いた後、事務所に戻るためにそのまま駅前の方へ歩き始めたのだった。