04:視察
訪問から僅か一日ほどの期間を経て、クラウスの実弟のレイモンドはある資料に関わる裏付け捜査と証拠物件の探索依頼として、委託警備会社「アフロディテ」に訪れてきたが、その際の契約条件として、アルシア・ブレットの実務委任の要求を行った。
以前レイモンドが助けた件についての能力を買っている、と言う事は承知の上ではあったが、彼の案に対してクラウスは即座に却下をした。
理由としてはまだ彼女単体では任せれない、という事であり、事実、半月程前に行った任務によって彼女の命は危うい所にまで発展したからだ。
しかし、レイモンドはその様な事は見越していたようで、それならば、と言って向こうからそれに釣り合うある条件を提示した。
「この任務が終わったら、兄さん達の生活ぐらいは保証するよ」
「今更何を言っているんだ。俺達は裏でも仕事をしているが、お前に頼るほど生活に困った覚えはないぞ」
事実、アフロディテに舞い込んでくる依頼は表稼業・裏稼業問わず日々増えてきており、会社の運営も良好な為、金銭面は全く困っていなかった。
ただ、余りにも順調に仕事が進んできており、このままでは人材不足も否めないため、来年辺りにでも新しい人材を確保したいと思う程度だが――それでも現在はきちんと仕事をこなしている。
私が言いたいのはそうじゃなくて、とレイモンドは首を横に振って否定すると再び話を始める。
「そろそろ、危ない面も出てきたんじゃないの?例えば、某所でアフロディテの存在がバレそうになったとか」
思わず発言にクラウスは息を飲むのを目の前に座っていたレイモンドの目は見逃さなかった。
エルベス邸の一件から、現国家当主のアレクシス・バラードに内通する人物が彼らの組織についての情報が流れてしまったからだ。
流れたと言ってもアフロディテという名前の組織や実態、目的などは手に入れる事が出来なかったようでその部分については安堵していたが、いつ敵が寝首を掻いてくるか分からない状況が続いている。
何故知ってると言わんばかりの顔をしたクラウスは目の前にいる実弟の方に厳しい表情を向けた。
「お前、その情報何処で手に入れた?」
「先日、それらしき資料が来たんだよ。文面読んでいたら一発で兄さんたちの組織だって分かったからね」
そう言って出されたお茶を啜って飲む彼に対してクラウスの背中からは冷たい汗が流れたが、一般での閲覧禁止令にしておいた、という発言を聞いて少しだけ厳しい表情を緩ませた。
彼の話によれば、館長クラス以外には鍵を開けることも出来ないように細工を施したらしい。
「そういう訳で、今のままじゃ兄さんたちはずっと神経を尖らせていないといけなくなって、行動範囲も狭まってしまう。だから、私が兄さん達の情報を隠蔽する代わりに、先ほどの条件を加えて仕事を引き受けて欲しいって事だよ」
そこまで言われたら、流石にノーとは言えなかった。
クラウスは渋々、分かったと返事をしたと同時にレイモンドは何かを思い出したように表情を変えるとそのまま言葉を続けた。
「ああ、そうだ。早速で悪いんだけど、兄さんにお願いがあるんだ」
◇◆◇
(――どういう事だよ、これは)
暗い路地裏でクラウスは小さく嘆息を零しながら目の前に映る白い建物に視線を向けたがその格好はいつもとは違っていた。
生まれつきの地毛である茶髪はそのままだが、何故かレイモンドが来ている公務服へと着替えており、彼がいつも常備している銀フレームの眼鏡を掛けていた。
と言っても、彼が持っていた同メーカーの眼鏡ではなく、近くの店で調達した似たようなデザインの安物であるため、当然の事ながら度は入っていない。
眼鏡の奥で光る黒の瞳は色素変換魔法によってレイモンドと同じ薄い茶色へと変化しており、その魔力の量は微弱であることから、恐らくアルシアの様に特殊な能力を持っている者以外で瞬時に見抜くことは、ほぼ不可能だろう。
この様な事態になったのは単純なことで、自分の代わりに国立研究所の内部を視察してきて欲しい、という彼の願いから生まれたものだった。
当然の事ながら、クラウスは自分の領域の仕事ぐらいはちゃんとしろ!と怒った訳だが、今は忙しいという言い訳にしかならない言葉とアルシアに対することに関して半ば脅しの状態に渋々了承をせざるを得なかった為、現在こうして居るわけなのである。
借りた銀フレームの眼鏡から見える視界からは晴天の空模様が広がっており、身に着けている腕時計を見やるとまだ時刻は午後一時過ぎだった。
此処で暫く時間を潰しても仕方がない、と彼は諦めて一息入れると、近くにいた警備の人に声を掛けると中へと入っていく。
意外にもこの時刻であれば仕事中だと思われるが、人の出入りは常にあり、研究服に身を包んだ者から、内部で働いている国家従事者の姿も窺えるが、彼は何処か奇妙な雰囲気を感じ取っていた。
その視線はクラウスに向けられており、余りの視線の多さに思わず寒気を感じられずにはいられない。
(成る程……。あいつが渋っていたのはこういう事だったのか)
すれ違う男性からは叩き上げのキャリアとしての嫉妬、女性からは好意的な眼差しと品定めのような視線が交わっており、余り居心地が良いとは思えない。
彼が受付に来た時点で誰かが案内役を買って出ても良さそうな気もしたが、生憎、中堅職に付いている男性たちはその様な仕事はしたくないのか、無茶にやらない限りは自由に歩きまわって結構ですよ、と言うとそのまま仕事の方へと戻っていってしまった。
(まあ、レイは五大魔法学校の中でもエリート中のエリートと言われているフィアン魔法学校を主席で卒業してから僅か三年足らずであの役職まで出世だもんな……。
疎まれるのも分からんでもないが、あからさま過ぎるだろう)
エリートと言っても全てが上手くいくという事ではないというのはこの実情を見てみればよく分かる。
国家関係者にならずに割と自由に生きていたクラウスにとってその姿はとても滑稽にしか見えなかった。
各階に設置されてある移動方陣を乗り継ぎながら、暫く歩き回っていると、彼はとある部屋の前へと立ち止まった。
ネームプレートには所長室と書かれており、クラウスは心の中で小さく溜息を付きながらも数回ノックをし、軽く名前を告げて返事が聞こえたのを確認した後中へと入る。
中に座っていたのは厳格な面持ちをした初老の男性であり、クラウスの姿を見ると一瞬不機嫌な表情を見せたが直ぐに戻して応対を始めた。
立ち話もなんだから、そのソファーにでも座って下さい、と言って男性は席を薦めると言われた通りクラウスはこの研究所に似つかわしくない高級感漂う椅子に腰を掛けた。
「エルヴェの国家資料館から参りました、レイモンド・エルベンです。この度は視察の受け入れ感謝致します」
「研究所所長のアーベルです。いえ、こちらとしても毎年行なっている数日の定期監査をパス出来る代わりに一日だけの視察で免除されるのはとても有難いと言ったところですな」
そんな事でもなかったらこっちは受け入れなかったと言わんばかりの態度で語る男性にクラウスは怒りを覚えるがそこは何も言わずに我慢する。
まさに絵に描いたように腹が立つという人物の話をレイモンドから聞いてはいたが、此処までだったとはと彼は少しだけ思考に耽ってると向こうから再び話を始めた。
「で、今日はどういった視察で?」
「研究所内部と備品の視察を行いたいと思いまして」
何の予定で来たかと言われたらそう言ってくれとレイモンドに言われた通り、彼はそのまま告げるが、目の前にいる男性はそんな事で?と言いたげな顔をしていた。
しかし、それ以上何も言うつもりは無かったのか、素っ気なく、別に構いませんよ、と言うと席を立ち上がった。
「うちの研究所は今日は他会社からの納品の関係で早上がりになるんで、回りたいのであれば早めに回った方がいいと思いますよ」
「……分かりました。ではお言葉に甘えて」
クラウスは彼にそう声を掛けて立ち上がると軽く頭を下げて部屋を出て行った彼は視察という名目で三階にある研究室へと立ち寄った。
研究室という特性上、各階では様々な研究が行われているが、彼は既に此処へ来た時から視察の行き先は決めていた。
奥に続く広い廊下を歩き進めると彼は一つの研究室の前へとたどり着くと彼はノックをして扉を開ける。
中には様々な武器が並んでおり、サンプルを採ったり、強度の実験テストを行なっていたりと他とは違う雰囲気に思わず圧倒されそうになった。
既に所長から直接通達されていたのか、クラウスの姿を見ても驚く人はいないようで、彼が入ってきても何事もなかったかのように作業が進められている。
近くに居た職員に何の作業をしているのか?と聞くと、彼は新素材の開発を行ってるんです、と告げて、一枚の板を見せてくれた。
銀色に輝くその板の元の素材は金属で有ることは承知していたが、見た目以上の余りの軽さに思わずクラウスは目を見開かせる。
「水精金属と言います。水の精霊を利用した魔法により特殊加工された鉄を使った素材で、主に水系統の魔法を主力とする人にとっては相性のいい素材なんです。ただ、加工が難しいので、その短略化を目指して開発を行なっているんですよ」
水精金属のように特殊加工された素材が多く存在するのは珍しくないが、武器としての加工の使い勝手は非常に難しく、熟練した職人ですら、加工時に加減を誤って駄目にしてしまうことも少なくないと聞く。
その為、その様な武器はとても値が張ることが多く、一部の上級魔術士ぐらいしか所持していない。
ただし、その力は絶大で自分と相性の良い魔法系統と組み合わせれば、種族の中でも一番強いとされるドラゴンを一人で倒せるほどの力を持つので、上級ランクの魔物討伐を専門に行う人は喉から出るほど欲しい物として位置づけられている。
他にも様々な武器があり、クラウス達が日常的に使っている中剣や、他国で利用されているという変わった武器まで全てが揃えられており、余り見る機会のない彼にとっては全てが興味深い物へと変わっていくが、その中で一つ気がかりな事があった。