03:訪問
アルシアと別れた男はメイン通りを抜けると綺麗にそびえ立つビルの前へとたどり着いた。
此処は駅から数分という好条件に立地している場所である為、列車から降りた時に直接寄れば良かったのだが、彼は仕事場で頼まれていた用事を思い出して、先に駅前通りの向こう側に位置する商業専門街へ買い物を行なっていたのだ。
まさか、あのような事態が起こるとは予想していなかったが――。
少し、予想していた時刻より遅れてしまったが、無事に目的地へとたどり着いたので、と彼は思い直し、広い玄関へと足を踏み入れる。
その奥に設置してある階層用移送方陣に乗り込む。転送者の意思に反応するように六芒星に書かれた陣は淡い光を放つと、乗っていた彼の姿を一瞬にして消した。
次に目を開けた彼にあったのは鉄でできた事務所の扉であり、男は二度ノックをし、中にいる者の返事を聞くとそのままドアノブを回して入った。
「こんにちは」
「ああ、いらっしゃいませ――っ、貴方は」
フランツは作業した手を止めて彼の方へと振り向いた瞬間、驚きの表情へと変わる。
少し待ってて下さい、と彼は男に伝えると何かに気が付いたように隣の部屋のソファーで寝ているクラウスの姿の元へ行き、急いで彼を揺さぶり起こした。
「起きて、クラウス。大事なお客さんだよ」
ん……と眠そうに目を開けた彼はゆっくりと立ち上がり、一度欠伸をすると軽く服装と髪の毛を整えて部屋の扉を開ける。
受付用の簡素な白机の前に立っていた男の姿を見ると途端に表情を変え、目を見開かせた。
「お前、どうして此処に」
「やあ、久しぶり」
暫くの間、彼の容姿を見つめていたクラウスだったが、まあ、立ち話もなんだから奥へと、先程彼が寝ていた応接室の方へと席を薦めた。
「悪い……。先ほどまで寝てた」
「別に構わないよ。どうやら先日まで忙しそうだったみたいだしね」
入る直前、クラウス達三人がいつも座っているデスクの方に嵩張る書類の数を見たのだろう。
一応、綺麗に整頓しておいたのだが、微かな違いは分かる人には分かるらしい。
もっとも、この男は書類整理をこなす事には慣れているからでもあるのだろうが――クラウスは苦笑いを零すしか無い。
「で、今日はどうしたんだ、レイ。そこまで変装してまで来なきゃいけないって事は何か訳ありの事でもあるんだろう?」
目の前にいる銀髪の男性――クラウスの実弟のレイモンド・エルベンは流石だね、と言うと出された紅茶のカップに口をつけながら自らに掛けていた魔法を解いた。
彼と同じ茶髪に戻した姿はクラウスによく似ており、兄である彼ですらまるで鏡写しのように自分の姿を見ているような気分になる。
ただ一つの違いとして、クラウスが黒の瞳に対しレイモンドは自らの髪色と同じ薄い茶色で有ることぐらいだ。
紺のスーツのポケットから銀フレームの眼鏡を取り出して掛けると向かいに座っているクラウスの方に視線を向けて用件を話し始めた。
「今回はちょっと裏の仕事から得た情報を貰いたいと思ってね」
「裏の情報?」
怪訝そうにクラウスは眉を潜める。
隣にいたフランツもどういう事だ、と言わんばかりに表情を曇らせていた。
此処には今いないアルシアはまだ経験していないが、彼らの会社はいわゆる裏稼業という仕事も引き受けており、基本的には国家に対する反勢力同士での現国家当主に関する情報収集などが主な仕事だ。
チャンスを確実に掴みとり、国家の真実と未来を導くのが目標である彼らにとっては、噂などが多く飛び交っているのだが、如何せんその噂の殆どはデマで有ることが多い。
クラウスは詳細な情報源は明かせないし、殆どは真実味に欠けるものばかりだ、と前置きした上で此処一ヶ月余りで聞いた情報を彼に一つずつ話していく。
「今の国家当主は他の国へ戦争を吹っかけようとしている、同盟と言う名の上辺だけの策略を結ぶために何処かの国の王女と結婚しようとしている
――後は、国家管理下に置かれている西部の研究所で怪しい研究をしている、とかかな」
最後の言葉にレイモンドは反応し、それ、どういう内容?と彼に詳しい詳細を求める。
「どういう内容と言われてもな……。魔法に関する新たな術式の発明、とか何とか言っていたな。どうかしたのか?」
余りにも変わった反応に思わずクラウスは向かいに座っている彼の表情を見つめる。
そうか、とレイモンドは小さく呟くと顔を上げて二人の姿を見据えた。
「実は、午前中に秘匿資料を整理がてら、父さんの事について調べていたんだけどね……。結局は目ぼしい資料は見つからなかったんだけど、その中で違和感を覚えるものがあったんだよ」
「違和感?」
「そう……。研究所の成果と言う事で、機密事項の場所へ管理して欲しい、と補佐官から回ってきていたのだけれど、どうにも記録が変でね。
研究名のタイトルは、人と魔法の発動プロセスについて、って書いてあったんだけど、基本となる魔法の巡回路の経緯について書いていないんだよね」
魔法の巡回路は個人がそれぞれに持っている発動させるために必要な経路だ。
しかし、魔法の具体的な発現については未知なる部分が多く、各地の研究所で様々な研究が行われてはいるが、彼の言う通り魔法の巡回路の経緯について書かれていないのは明らかな不明瞭な事だ。
例えて言うならば電池の入っていない機械に電気が流れる様子を調べるような物であり、この研究をするには絶対的に書かなければいけない事柄なのである。
「もし、その情報が本当なら……私は裏付け捜査をしなきゃいけなくなる」
「……資料館の館長なんかに捜査権限なんて有るのか?」
「普通は無いよ。ただ、資料の事に関しては別。嘘の情報は載せちゃいけないからね。ほら、兄さんも法律の勉強してた時に聞いたこと有るでしょう?アルシェルラ書架管理法の――」
その時、ある女性の声が彼の言葉に合わせて話を紡ぎ始めた。
「アルシェルラ書架管理法の第二十一条。虚偽の疑いがある書物は各支部に存在する館長によりその資料に限って捜査する権限を持つ……」
書架管理法なんて久々に聞きましたよ、と仕事着に身を包んだ灰色の髪の女性――アルシアは開けたドアを閉めながら、近くの机の上に一旦置くと彼らの方へ視線を向けた。
おかえり、と言うフランツ達に対し、レイモンドは小さく嘆息をしながら、興味深そうにアルシアの姿を見つめる。
その姿に一瞬、彼女は戸惑いを見せるが、何かに気が付いたように彼の方へ向いた。
「あれ……?貴方……。さっき、商店街でお会いしましたよね?」
「……なぜそう思った?」
あの時は黒のスーツ姿に銀髪・碧眼という組み合わせであり、ましてや眼鏡を掛けている今の彼の姿に結びつけるのは難しい。
彼女の発言に興味を持った彼は逆に聞き返したが、対する彼女は何を今更と言わんばかりの表情で歩みを進めると、目の前に居る彼の表情を見据える。
「貴方の魔力容量と質が先ほど会った銀髪の男の人と同じだった……というのが最大の理由です。貴方様の場合は目と髪とそのスーツに僅かな魔力が付着しているんで、色素変換系の魔法を使ってたんじゃないでしょうか。まあ、変装してまで来るって事はそれなりに重要な仕事を抱えているか、見られたらマズい仕事のどちらかしかないかなと思ったんであの時は何も言わなかったんですが……」
「君、魔力が見えるの?」
「見えるというか、感じるというか……。体質的な物なんで」
流石にその感覚については表現しきれないといった様子でアルシアは肩を竦めて困った表情を浮かべる。
対するレイモンドはこりゃ、驚いたなと驚嘆の表情を見せて肩を竦めた後、そのまま何かを考える素振りを見せて黙ってしまった。
弟の真剣な様子に、何か、考えでもあるのか?とクラウスは聞くと彼はちょっとした物なんだけどね、と置いた上で話をし始めた。
「先程の戦いっぷりも文句なしだし……。これは面白い人材かもしれないよね」
「おい、レイ……」
嬉しそうな彼の言葉にクラウスは何か嫌な予感を感じる。
その予感は的中し、彼の脳裏に浮かんだその言葉通りにレイモンドは笑みを浮かべると立ち上がって目の前にいるアルシアの元へ向かって一つの名刺を差し出した。
「そうだ、今度の資料捜査に入らない?どうやら法律関係もバッチリみたいだし、君みたいな優秀な人材が欲しいところだったんだよね」
横からクラウスの抗議の声が上がるのを無視し、レイモンドは涼しい顔をしてアルシアに言う。
渡された名刺に視線を落とすアルシアの表情は先程から一変し、固まったように目を見開かせている。
「私……国家の仕事なんてお断りしますから」
彼女の手に握られている名刺にはレイモンド・エルベン、エルヴェ国家資料館 館長と書かれており、彼女が嫌っている国家職員の人物だったのだ。
勿論、レイモンド自身が悪いという訳ではない。ただ、あの国家当主が管轄している組織に所属している者が許せないのである。
彼女の表情を見て察したのだろう。レイモンドは気を悪くした様子もなく彼女の方を向くと優しい口調で語りはじめた。
「君も、私と同じなんだね」
「えっ?」
突然その様な事を言われて彼女は呆然とした顔を上げて見つめ返すしか無い。
現職についてる私が言うのも何だけどね、と彼は言いながらそのままの口調で話を続けた。
「私もね、今の職種、好きじゃないんだよね。この役職の特権が欲しかった。
父さんの死の真実に近づけれるのはこの職しか無かったから」
「じゃあ……貴方は自分の父親の死の真相が知りたいからこの職種についた、と言う事なのですか?」
幾ばくか冷静を取り戻した彼女は先日、クラウスから聞いた話を思い出していた。
彼とレイモンドの父親はある都市の小さな警備隊隊長を務めており、ある任務の最中に亡くなったという話であったが……。
「確かにそれもあるけど……。一番の理由は、兄さんと同じだよ。君もそのために動いているんだろう?」
つまり、クラウスと同じと言う事はアルシア三人と同じ目的を持った人物と言う事だ。
まさか――と彼女がその答えを見つけるのと同時に彼はその説明をし始める。
「最初は兄さんと共に動くつもりだった。けれど、民間だけに頼っていたら限界がある。そして、革変のチャンスは一度しか無い。それなりに国側の視点でバックアップする必要がある。兄さんに言われて、私は国家関係者となった後も少しずつこちらに情報を回していたんだ」
もっともやっている事がバレてたら私も無事じゃすまないけどね、と彼は言う。
クラウス曰く、当時、小さかったレイモンドは父親を元の家に返してくれなかった国家組織が全て嫌いだったらしいが、兄の志を聞いてからその考えを少し改めるようになったそうだ。
アルシアは彼らの会話を聞いてバツの悪そうな表情を浮かべると、目の前にいるレイモンドに対して、先程の態度について謝る。
後に彼は彼女の身の上の話を聞くと、そりゃ、嫌になるよね、と同意の意を示すと、別にさっきのは気にしてないから大丈夫だよ、と言ってアルシアの頭を撫でた。
その様な行為は余りされたことがなかった彼女がほんのり顔を赤らめている横で、なんとも言えない悔しい表情を浮かべたクラウスの視線を見たレイモンドとフランツは思わず吹き出した。
「兄さん、今回は大目に見てよ」
「……勝手にしろ」
明らかにアルシアの事で機嫌が悪くなっているクラウスはそう言い放つと事務所の方へと戻り、書類整理を行う。
クスクスとフランツは笑いながらも彼と同じ仕事場へ戻ろうとするが、その後ろで彼のある言葉が響いた。
「じゃあ、勝手にしていいのなら、彼女を短期間、借りてもいいよね?」
その言葉にクラウスはレイモンドがいる部屋へ飛んでくるように走ってくると直ぐ様否定の言葉を発する。
「駄目だ、絶対に駄目だ!」
「何で?」
「この前、アルシアが仕事で危ない事に巻き込まれそうになったからだ。実力をつける時間と頭を冷やす時間は必要だ」
もっともらしい理由をクラウス本人は述べたと思っていたのだが、その言葉にレイモンドは意味がわからないと言った様子で返事を返した。
「別にいいじゃない。ほら、異国の言葉で『可愛い子には旅をさせよ』って言う諺が有るぐらいだし」
「此処は『ヴィアーレ』だ。異国じゃない」
彼の頑な態度に、もう、釣れないな……とレイモンドは小さく溜息を零すと側にあったバックとコートを持って立ち上がった。
「お前……とうとう強硬手段にでも……」
「違うってば」
若干、憤慨しつつある彼に呆れたようにレイモンドは荷物を取り上げるとそのまま着込んだ。
実は、既にアルシアは彼に一言述べて倉庫に荷物を置きに行っている。
どう考えても連れ出すには遠い距離であるのにそれに気付かない兄にまた笑い出しそうになりながらもレイモンドは再び自らの身に魔法を施すと掛けていた眼鏡を外した。
「もうそろそろ時間だから向こうに戻るよ。仕事の詳細の話は、こちらの捜査内容が決まり次第、後日、連絡するから。……それと、もっとアルシアちゃん自身について自信付けさせてね。またスカウトに来るからさ」
「お前、まさかアルシアに手を出そうと思ってるんじゃないだろうな?」
鋭く睨みつける視線を感じながらも彼は笑い、そんな事するわけ無いじゃんと否定しながら、じゃあ、また今度ね、と言うと扉を開けて出ていく。
まるで一つの嵐が吹き荒れたような会話光景を思い出したクラウスは溜息を付きながら、仕事へと戻っていったのだった。