08:互いの思惑
時は遡り、今から十七年前。
まだ、この地が都市独立体制をとっていた頃、人々はそれぞれの都市で平和に暮らしていた。
国家当主は現在と違い、国家の代表としての象徴にしか過ぎず、日常生活の大多数は各部の利権者によって管理が行われ、クラウスが暮らしていたミリニアムという都市もある利権者によって運営が行われていた。
「今日、午前十時、サンテルラにて内乱が起こり、死者・負傷者は全体人数の半数を超える勢いで――」
ある日の朝、家の中に置かれたモニターの映像を見ていたクラウスの父親のウォルターは啜っていたコーヒーを飲むのを止めると、画面の方に視線を向ける。
この国では魔法が発達しているが、情報交換や提供には魔法が利用されることはない。
それは技術的な面のコストと魔力の消費の関係であり、情報伝達手段は未だに機械を利用した通信交換の方が手っ取り早いとされていたからだ。
とは言え、普通の機械は故障や干渉などを受けやすいため、送受信などに関する機能の部分は魔法の原理を利用した物が使われているが、基本的な通信機器の物は他国とそう対して変わらない。
画面の中で告げられたサンテルラはミリニアムの隣にある中堅都市の事だ。
最近では内乱が多く発生して以降、治安も悪化しているらしく、連日のニュースでは余りいい話を聞くことが少なくなっている。
今日は早番の為、二人の息子達と共に朝食を摂れるのを内心嬉しく思っていた彼だが、不穏な話に思わず表情を濁らせた。
「どうしたの?」
焼きたてのパンを齧っていたクラウスは目の前に居る父親に対して問う。
同じようにクロワッサンを食べながら、横においてあるココアを一口含んだ彼の弟のレイモンドも父親の表情が気になったのだろう。黙って見つめている。
「いや、サンテルラは此処から近いから、応援に呼ばれるかもしれないって思ってね」
「お父さん、サンテルラに行っちゃうの?」
不安そうな表情を浮かべたレイモンドの姿を見て、父親は彼の頭をそっと撫でると優しく語りかけた。
「大丈夫だ。今はあのような状況でも私が何とかしてみせる」
「そうだよ、お父さんは街の安全を守る仕事なんだから、絶対に皆を救ってくれるって」
隣にいたクラウスが弟に言う姿を見て、彼は思わず笑みを隠さずにはいられない。
彼らの将来が楽しみだ、とウォルターは思いながらも、持っていたコーヒーのカップを一気に飲み干す。
「そろそろ時間だ。行ってくるよ」
いってらっしゃい、と家族の声を背にウォルターは玄関の扉を開けて軽く手を上げると、この近くにある警備隊のミリニアム支部へと歩いていった。
◇◆◇
「ただいまー」
学校が終わったクラウスは帰宅して扉を開けたが、いつもなら出迎えてくれるはずの母親が出てこない。
弟のレイモンドもまだ帰ってきて無いようで、彼は靴を脱いで上へあがると、そこには電話口の前で憔悴し切った母親の姿があった。
朝の時との余りの変わり様に彼は驚いて、母親の元に近づくが、彼女はまだ彼の姿に気が付いていない。
「お母さん、ねえ、お母さんってば!」
揺さぶられて目の前にいるクラウスにやっと気が付いたのか、うつろな目を見開かせて彼の方へ視線を向けた後、何かに気が付いたように彼女は表情を戻す。
「ああ、クラウス、おかえり」
「ねえ、何かあったの?」
クラウスの問いに母親は一瞬、迷ったような表情を浮かべるが、意を決して言葉を選びながら彼に話を始める。
「お父さん、内乱に巻き込まれて病院に運ばれたそうよ」
「……嘘でしょ?」
起きている事実が信じられないとばかりに彼は顔を強張らせるが、母親は嘘じゃないと言いたげに鋭く視線を向ける。
「これから、ちょっとその病院に行ってくるから。レイにはそう伝えておいて」
母親は外出用の服へ着替えると必要最低限の荷物を持ち、扉を開けて外へ出ていく。
恐らく、彼の父親が務めているミリニアム支部へ詳細を聞きに行くのだろう。
母親の姿を見送ったクラウスは、落ち着かない気持ちを抑えながら、ソファーの上へ横になる。
うとうとと眠気を誘っていた時に玄関の方からレイモンドの声が聞こえてきたクラウスは起き上がって彼を出迎えた。
「あれ?お母さんは?」
彼とレイモンドは三つしか違わない。
クラウスが初等部の三年生に対し、彼は春にまだ入学したばかりの一年生だ。
事実を伝えようか迷っていると、丁度良いタイミングで出かけていた母親が帰ってきた。
「あら、レイ……。帰ってきていたのね」
「うん……。何処に行ってたの?」
母親は隠してこそいるが、その目にはまだ腫れぼったい物が残っており、恐らく相当な時間泣き続けたに違いない。
彼女は二人をリビングへと上がらせると、二人の目を見据えてゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「クラウスには話をしたけど……。お父さんが内乱に巻き込まれたの。それで様子を見に行ったのだけれど……」
我慢していたのだろうが、母親はついに耐え切れず涙を零す。
嗚咽を交えながらも彼女はそのまま話を続ける。
「私が行った時にはもう……。お父さんの部下の人の話では、家族に今までありがとうと伝えてくれって言われたみたいで……」
あまりにも衝撃的すぎる言葉に二人は依然として顔を強ばらせているしか無い。
いや、実感が無いとでも言うべきだろうか。
「――明日、二人共、学校は休むことになるから……。今日はもうご飯を食べて寝ましょう」
近くの屋台で買ってきたと母親は言うと二人に、ホットドックを手渡す。
まだそれは温かみが残るが、二人はとても食べる気にはならなかった。
◇◆◇
「あの時は何もかも衝撃的で、聞かされただけじゃ父親が死んだと思えなかった。ただ遠くに居るだけ……そんな感じだった。帰ってきた姿を見るまでな」
思い出したのか彼は表情を歪めて辛そうな表情を見せる。
アルシアは彼のそんな表情を見せたのは初めてだったが、彼女自身も親がいなくなるという感覚は分かっているため、彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。
「あれは、内乱で巻き込まれた物じゃない。とてもじゃないがそうとしか言えない傷ばかりだった。幼い俺と弟はそう感じていた。恐らく母親もな……。ただ、上層部は職務中の事故としてしか取り扱わなかった。それから、俺はこの国に疑問を持ち始めたって訳さ」
クラウスが国家組織に勤めている人と同等の力を持っているのに、何故避けるようにして職に付かなかったのか。
それはアルシアと同じ理由を持っていたからだ。
「俺は父親の真実とこの国の制度を変えるためにこの『アフロディテ』を作った。民間警備なら、そつなく調査できるし、裏の仕事も舞い込んでくるからな」
「そう……だったんですか」
「だからこそ、お前に聞く。今の仕事を続けたいか?」
会社の本当の意味を知ったからこそ、クラウスは彼女に問う。
この先、仕事を受けていくにつれて更なる真実が見えるのと引き換えにそれだけのリスクを負う、と言うことを彼は言いたいのだ。
彼の言葉の意味に気が付いたのだろう。彼女は少し考えた素振りを見せて再び二人の元に視線を上げると今の気持ちを正直にぶつける。
「私は……権力や財産なんかに興味はない。けど、何で両親があんな事に巻き込まれなきゃ行けなかったのか、その背景を知りたい」
そう言ってアルシアは一拍置くと、自らの中で光る黒色の瞳を彼らにぶつける。
「だから――私は貴方達と一緒に真実を求めていきたい」
アルシアの強い意思の言葉にクラウスはいつもは見せない不敵な笑みを見せる。
まるで予想通りの言葉だと言わんばかりに目の前にいる彼女に鋭い視線を向けると満足そうに席を立ち上がって一言言った。
「その言葉、忘れるんじゃないぞ」
今日はもう休め、とクラウスは言うとフランツと共に部屋を出ていったのだった――。
◇◆◇
「で、そっちの状況はどうなってたわけ?」
クラウスとフランツはアルシアが居た医務室を後にすると宿泊用に用意された別邸の廊下を歩いていた。
彼が現場指揮から離れてこちらに来たと言う事はそれなりに仕事は終わっているのだろう。
クラウスは嘆息を交えながら、隣にいるフランツに向かって話をし始める。
「まあ、書架以外には被害は及んでいなかった。それだけが救いだな。ただ、一つ気になることがある……。此処じゃ話せないから俺の部屋で話そうか」
丁度、用意されていたクラウスの部屋の前に来ていた二人はドアを開けて中へと入る。
部屋の内装はスイートルーム並に整えられており、殺風景な部屋で毎日を過ごしているクラウスにとっては少々落ち着かない。
ドアの鍵を掛けると、まあ、そこに座ってくれとフランツを椅子へ勧めて彼の方を振り向き話の核心部分へと迫っていく。
「書架で複数の書物が盗まれていた……。エルベス社長に確認してもらった所、大半は新薬に関しての資料だったらしいが、一つ気になるものまでも盗まれているらしい」
「新薬の情報より気になるもの?」
大手魔法医薬会社にとって、商品の要となる新薬の情報こそが何よりも大切な重要書類だ。
それ以上の物を上回るモノというのは一体なんだろうか、とフランツは思考を巡らせていると、直ぐ様クラウスはその答えを導き始める。
「俺達の待ち合わせ時刻と警備依頼を書いたメモがなくなっていたそうだ」
「……何だって?」
想定外だ、と言わんばかりにフランツは表情を変えて目の前にいる彼の顔を見据える。
「社長はいつも予定のメモを入門本にこっそり入れる癖があったそうだ。それは自分の部屋に置いているよりリスクが少ないと思ったかららしいが……。幸いだったのが、俺達の会社名『アフロディテ』が書かれていなかったことだ。――委託会社と書いていたそうだから、バレないとは思うがな」
「国家所属や俺達みたいな完全な独立経営に問わず、委託会社なんて国中の屋台の数と同じぐらいあるしね。ただ、向こうは国家に対する何らかの敵意ある組織が居るかも、と受け取るかもしれないから――暫くの間は用心に越したことはないって事だね?」
「そういう事だな。この件に関しては、もし政府から指摘されたら、自らの子会社の為の打ち合わせをしていた、と見解を示すらしいが……。どうなるかは分からない。十分警戒はしておくべき、って事だな」
この件に関しては先程、現場検証の時にエルベスがクラウスに謝っていた。
国家所属をしていないというだけでも、疑いを掛けざる得ないのにこの様な事になってしまい本当に申し訳ないと土下座をする勢いで謝っており、彼はそれを止めるのに時間がかかり、アルシア達の元へ来るのが遅くなってしまったのだ。
「しかし……ある意味、これはいいチャンスかもしれないしな」
「そうだね……。俺達が見つけようとしてる真実に一歩近づくかもしれない」
少しの間、思考に耽っていたフランツは彼に対して小さく呟くと、すぐに立ち上がる。
そして彼に背を向けて、扉の方へと歩み寄るとドアノブを回した。
「まあ、もう今日は遅いから……。また明日以降考える事にしようよ」
「そうだな……。おやすみ、フランツ」
おやすみ、と彼に軽く手を上げるとフランツはそのまま用意された自分の部屋へと戻っていった。
◇◆◇
「やれやれ……。ちょっとした調査のつもりがとんだ事になりましたね」
移動方陣を使って戻ってきた男はエルベス邸から抱えてきた資料を手に取ると一つ一つ目を通し始めた。
明日、依頼主に渡すために彼はこうして書類を見ているのだ。
大手魔法医薬会社とだけあってその人脈は図り知れず、依頼人である現当主のアレクシス・バラードですら掴めてない物も有ると聞く。
そして、書類整理をしていた彼の目に止まったのは一枚のメモ用紙。
筆記体で書かれた字には「委託会社 十三時から 警備打ち合わせ」と書かれているだけだ。
ただ、男にとってはこのメモが気になって仕方がなかった。
国家所属の会社であれば、そのまま名前を書けば良いはずなのに、何故かこのメモには「委託会社」としか書かれていないのだ。
(何か書けない事情でもあったのだろうか?)
そうとなれば辻褄が合うが、それが何なのかは分からない。
ああ、今回の報酬は減額されそうだな、と男は小さく呟いた。
今回の依頼は不穏な動きがあるエルベスとの繋がりを探してこい、ということだったが、まともらしい証拠といえばこのメモしか無い。
(もし、あの女がいなければもっと情報を掴めたかもしれないのに)
彼にとって、灰色の髪の女性が現れたのは想定外だった。
自分の変身系魔法が完璧にできており、バレない自信が合ったというだけの事だったが、あの女性は見事に見破ってしまった。
あの魔法を見破るにはそれこそ、巡回路の僅かな反応を見極めるしかない。
(次に出会ったとすれば厄介な相手ですね)
巡回路に過敏に反応する人物は全く居ない訳ではないが、それでも稀な例である。
彼は部屋の棚からアルコールの入った瓶を取り出すと、小さなコップへと注ぐと一気に飲み干した。
(依頼はまあ、成功とは言えども……。この私が気付かれるとは。飲まないとやってられませんね)
明日会う依頼主にどう誤魔化しを言い出そうか考えながら、彼は次々とコップの中のお酒を飲み干していったのだった――。