07:過去
「アルシア!おい、アルシア、応答しろ!」
アルシアが不審者を追って姿を消した後、クラウスはフランツにエルベスの身辺を任せると会場を飛び出して彼女の行方を探し回っていた。
彼にはアルシアの様に微弱な魔力を感知して探索する能力は無い。
よって、最終的な頼み綱は無線機のみなのだが、何度呼びかけても情報受信のみに範囲設定されてしまっているのか、声が届かない。
(俺達じゃ信用ならなかったっていうのかよ!)
彼女はまだ学校を卒業したてという身でありながらも、魔法技術では初級から上級までの殆どの魔法はマスターしており、特に魔力の質に関してはトップクラスだ。
まだ、初々しいながらも実戦を積んでいけばかなりの戦力として化けるだろう。
初級魔法でもその圧倒的な魔力の質からして、中級魔法士と対峙しても引けを取らないが、彼女には一つ問題がある。
その力の過信さから、自らの力で解決しようとしてしまう事だ。
実は研修時の時から言っていた事なのだが、彼女は己の力に自信を持ちすぎているのか突拍子無く走っていく傾向があった。
何度も冷やっとさせられたか、とクラウスは考えながらも、彼女の身を案じて捜索を続ける。
(此処は学生の闘技大会じゃないんだぞ……!)
汗だくになりながらも、クラウスは広い敷地内を走り回っていると、パーティ会場から一キロほど離れた場所から、攻撃系魔法の反応が起こったのを感じ取っていた。
急いでその場所へと向かうと、既に魔法は放たれており、鉄で出来たドアの外側からでもひんやりとした感触が手に伝わる。
恐らく、中にいる人物が氷系の魔法を放ち、その温度変化により鉄のドアが冷やされたのだろう。
クラウスは冷たいドアの取っ手を持ちながら引いて開けようとするが、一寸たりとも動かない。
(くっ……何で開かないんだ!)
システムを見る限り、ドアのロック自体は解除されているが、内側から何者かが魔法によってせき止めているようだ。
「アルシア!中にいるのか!私だ、クラウスだ!開けるんだ!」
ドアを叩いて呼ぶが、彼女から応答は無い。
その時、中から大きな魔法反応が起こるのをクラウスは感じ取っていた。
(まさか……)
最悪の事態が彼の頭の中をよぎる。
一瞬、迷いが生じるが、命に腹は変えられない。
一か八かの賭けである呪文を唱えると、クラウスの力に答えるかのように彼の右手からは淡い水色の光が発せられ、力を込めて輝きが大きくなっていく内に目の前にある扉は段々と凹んでいく。
クラウスが使った魔法は重力操作系で、対象物に極端な力を加えて破壊を起こしたり出来る魔法系統の物である。
彼は最大の出力を出したと同時に扉は大きく飛ばされて飛び上がろうとするのを操作により衝撃度を極端に下げ、邪魔にならない所に置くとそのまま暗闇の中へと走っていく。
季節の温度に比べて冷えてしまった書架を周っていると、ぼんやりとした明かりが見えてきた。
即座にクラウスは走るとそこには縛られて倒れているアルシアの姿が目に映った。
「しっかりしろ!」
彼女の元に駆けつけると急いで脈を図る。
どうやら最悪の事態だけは免れたらしいが、気を失ってしまっていた。
(とにかく、こいつを何処かで休ませなければ……!)
クラウスは彼女を背負うと一キロ先にある警備室の方へと走り去っていった。
◇◆◇
「逃げろ!逃げるんだ!」
各地の建物から炎が上がる中、初老の男性は近くにいたある家族に向かってそう叫んだ。
事態は一刻を争う状況までに発展しており、離れた場所にいる警備隊が放ったのか、爆発系の魔法攻撃の音が響き渡り、街中の人々はより一層パニックを起こしていた。
飛行系の魔法で逃げようとする人物もいたが、その人物は瞬く間に射撃系の術で狙われて落ちていく様子を見て、魔法を使おうとしていた人々は呪文を唱えるのを辞めると森の方へと走りだしていく。
その中で、灰色の髪の女性と一緒にいた男性も二人を連れて、錯乱するために森の中へ逃げようとするが、背後に感じた『あるモノ』の感覚に違和感を覚えた彼は入る寸前で足を止め、女性達の手を離すと、突如彼らに背を向ける。
「貴方、何をしているの!?」
当然の事ながら一緒に逃げるつもりでいた灰色の髪の女性は同じ髪の色をした男性の手を引こうとするが、彼は険しい表情でその手を解き、言葉を紡ぎ始める。
「待て……。何か様子がおかしい」
「えっ……!?」
「もしかしたら、あいつらは本気で平民を見捨てに来たのかもしれない……!」
彼が足を止めた理由。
前方から何かに注ぎこむかにように入れられていく魔力反応を感じたからだ。
(まだ、発動してないのに何だよ、この強さは……!)
魔力の単体の強さに彼は思わず唇を噛んだ。
量としては通常の魔術士が初歩魔法を使う量程かそれ以下の量であり、少量ながらに入れられた『何か』の中の魔力の質は通常の人に比べ、一段階違うほどの力の強さを秘めていたからだ。
彼は元々、体質的に魔力の流れと反応に過敏な方であり、時にはそれが元で魔法の発動が不利になった事もある為、余り良しとは思っていなかったが、魔力の異変に気が付いているのは彼だけなようで他の人々は恐怖に苛まれながら、水源都市・ノーブルへの移動方陣の方へ逃げていた。
ノーブルは地形の事情から特殊な場所に存在しており、列車などの交通機関では行く事は出来ず、行く為には郊外にある移動方陣を利用するしか無い。
その昔、他国へ戦争を持ちかけた時には防塞擁壁として利用されたという逸話までもが残っている為、そちらに逃げ込もうとしているのも無理はないだろう。
彼もまた、妻子と共にそちらに逃げようとしていたのだが、対する警備隊はそれを予測してまで向こう側から攻めこんでくる様子はない。
(まさか……。これって……!)
嫌な予感は的中した。
此処から七キロ程離れた先に大きな発動反応が感じられたのだ。
その瞬間、遠くの方で火柱が上がり、夜にも関わらず、目の前の視界は一瞬で赤く染められた。
流石にこれに気づいたのか、我先にと足を進めていた街の人々は戸惑いの表情を見せて足を止めるしかない。
「おい、どうなってるんだ!」
「何よ……何が起こってるのよ!」
逃げていた人々の中で悲鳴に近い声が響き渡る。
背後からの多くの魔力反応が徐々に迫ってくるのを感じた彼はもう時間が無いことに焦りを見せ始めた。
このままでは自分は愚か、家族も逃げ出すのも難しくなってくるだろう。
(どうする……。この状況を打開させるには……)
落ち着け、と自らの心の中で念じながら辺りに意識を飛ばして魔力の量と術式反応を調べる。
魔法の形態と魔力の反応からして、街の上空には発動妨害波の結界も張られており、移動方陣を利用した魔法の精度も極端に落ちているようだが、もう前にも後ろにも逃げれず、隠れていても一つ残らず一掃すると言われているあの暴君の目からは自らの魔力を最大限にして発動しても欺ける自信はない。
(妻とアルシアだけでも逃さなければ……!)
横にいる六歳ぐらいの灰色の髪の少女と女性は迫りゆく危機に怯えた表情を浮かべている。
彼は何かを決心したかのように彼らの方に視線を向けてゆっくりと言葉を発しはじめた。
「セシリア、アルシア、お前たちだけでも逃げろ」
「そんな……!貴方を置いていくわけにもいかないわ!」
「……俺だって、セシリア達を置いて行きたくはないんだ。ただ、この状況じゃ、二人を逃がすだけの移動方陣を発動させるのが限界だ」
混乱した様子の女性、セシリア・ブレッドは娘・アルシアを抱きしめて泣きながら、作業している彼の姿を目で追い続ける。
その様子に彼――アルヴィン・ブレッドは目を伏せて、魔法を発動させるために地面に術式を書き始めた。
周りにいた彼らと同じような家族も意を決めたように術式を書いていく。
移動方陣は他の魔法系統と違い、例え近場であっても複雑な術式を書かなければならない。
もし、術式を書かずにそんな事が出来る人物がいたら――恐らく、今までの魔法史を覆す程の存在になるだろう。
時間の無い焦りと闘いながら、アルヴィンは彼女らの周りを囲むように大きな六芒星を書くと、その隙間に発動のキーワードとなる単語を書き連ねていく。
全ての術式が書き終わり、彼は直ぐに自らの魔力をそれに注ぎこむと淡い光が発せられ、呪文を唱えるが思わぬ力に彼は表情を一変させた。
(っ!?予想よりキツイな)
一人や二人を別の場所に動かそうとなるとそれなりの魔力が必要だ。
ましてや今は発動妨害波がされている中での発動条件であり、それらの精度は恐らく四分の一以下にまで抑えられてしまっている。
このままだと、自らの魔力が取られているばかりで発動は難しいだろう。
他の人の手を借りるという選択肢もあるが、家族を逃がすために魔法を発動させた彼らからにはもう殆ど魔力は残っていないようだった。
此処にいる全員分の僅かな魔力をかき集めたとしても、移動方陣を発動させるまでには至らない。
最大限の力を絞りながらアルヴィンは魔力を注ぎ込んでいると、突然、魔法陣の中にいたセリシアが立ち上がり、彼の側へ来た。
アルシアは母親の後へついていこうと陣の外へ出ようとするが、母親は魔法を使い、それを制止した。
「ごめんね……。アルシアはそこで待っていて」
セリシアは彼と同じ手順で魔力を込めると淡かった光は更なる輝きを増していった。
何かに気が付いた少女だったが、彼らに向かって手を伸ばした時にはもう遅く、六芒星の周りには壁のような物で阻まれ、二人の姿は段々と薄れていく。
「お父さんとお母さんはちょっと行けそうにないけど……。アルシア、私たちは貴女の事を愛しているわ」
涙を浮かべながらも母親らしい笑顔を浮かべたセリシアは愛する娘に向かってそう言うのと同時に二人の姿は消え、暗い空間にへと飛ばされる。
そして、星のように存在している異次元空間へ飛ばされたアルシアはある扉へと飛ばされ――そこで彼女の意識は一旦途切れた。
◇◆◇
「っ!?」
無意識に手を伸ばそうとしていたのか、彼女の右手は上空の方へ向けられている。
天井には魔法の光によって灯されたランプが数多く存在し、時刻は真夜中にも関わらず、とても明るく感じられた。
彼女は白く綺麗に整えられたベットの上に自分が横たわっている事に気づき、被せてあった布団を取って大きく息を吐き出すと同時に自己嫌悪気味に表情を曇らせた。
(……もう、思い出しても無駄なのに)
あの日以降の日常は戻ってこない。
何度も分かったように自分に言い聞かせていた事だ。
しかし、心の中にある何かはそれを赦そうとしていない。
(何で、何でよ……)
彼女の瞳から複数の涙がこぼれ落ち、掛け布団が僅かに湿ってしまうがお構いなしに静かに泣き続ける。
――と、そこでドアのノック音が響き渡り、アルシアは我に返ると涙を拭いて「どうぞ」と小さく呟いた。
「良かった、起きたんだね」
現れたのはフランツであり、手には紙製の四角い箱が握られている。
彼は彼女の元へと近づき、その箱を開けると……中には甘い香りのするワッフルが入っていた。
「出来立てでちょっと熱いかもしれないけど……。食べる?」
じゃあ、頂こうかな、とアルシアは返事をすると、フランツは箱の中に入っているワッフルを皿の上に数個取り出し、部屋の中に置いてあったティーカップに紅茶を注いでいく。
「ありがとうございます……」
温かい紅茶の感触にホッとした気持ちを覚えながら、ワッフルを一つ取り上げて少し齧った。
確かに彼の言う通り、出来立てなのか少し熱いが、彼女からしてみたらこのぐらい温かいほうが美味しく感じられる。
「このワッフルは一体……?」
「ああ、これはね、さっき、使用人の方が持ってきてくれたんだよ。俺たち三人にどうぞって。アルシアちゃんが気を失った後、警備の周りは大混乱でね。一応、パーティ自体は無事に終了したけど、他にも探られた所がないかどうか調べてる所」
いつも通りの表情で紅茶を啜りながらフランツは彼女にそう言う。
普段とは違う彼女の表情に気が付いているが、彼は何事も無かったかのように普段から接してる様子で彼女と会話をしていた。
その気遣いにアルシアはありがたみを感じながらも、上司である社長のクラウスが現れない事に違和感を感じ、目の前にいたフランツに居場所を聞いた。
彼は窓の外の方向を指しながら答える。
「クラウスはね、その検証の指揮をやってる。本当はアルシアちゃんの看病したかったみたいだけど……。実務現場に詳しいのは彼しか居ないんだよね」
「それは、多くの実務をこなしているから……ですか?」
勿論、それもあるけどね、と彼は言葉を置いた上で、一息付くと再び言葉を紡ぎ始める。
「クラウスのお父さんは警備隊の人でね。将来、警備隊に相応しい人物として育てられたからそういう知識は豊富なんだよね」
「えっ……、じゃあ何で……」
「んー、こればかりは話せば長くなる、というか……」
困ったようにフランツは頭を掻く。
彼は話していいのか迷い、何かを決めたように口を開こうとした途端、タイミング良くドアを叩く音と共に扉が開いた。
今からその見知った人物の事について話そうとしたフランツはそちらに向けて思わず苦笑いを零すしか無い。
「本当、運命って呼ぶんじゃなくて呼ばれるものなんだね」
「ワッフルを片手に何を言ってるんだお前は」
入ってきて最初に言われた言葉がそれだった事にクラウスは怪訝そうな表情を浮かべながらも、奥にいるアルシアに視線を向ける。
暖めたおかげか、連れて来た時よりも血色が良くなっている事から、クラウスは安心した表情を見せると先ほどの会話についてフランツから問いただす。
「で、俺がどうかしたのか?」
「ああ、うん……。クラウスの経歴というか、その……」
口ごもる彼に対して、別に言っても構わないぞ、と何事も無くクラウスは言い放つ。
彼は、それにだ、と付け加えながらベットの上にいるアルシアの方へ向き直った。
「どっちにしろ、今から話す出来事もこれと共通してるからな。今から話しておいた方が色々と分かりやすいだろう」
近くにあった椅子を持ってクラウスは彼の横に来ると、一呼吸置いて話を始めたのだった――。