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澤の蛍  作者: せりもも
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蛍邸 ― その4

 「なんじゃ、うるさい」

「ひっ」


不意に身近でどやされ、沙醐はぎょっとした。


 そして、ど迫力で迫ってくる人を見て、よりひどい恐怖を感じた。

 確かに、それは女だった。

 着ている花撫子の(かさね)から、若い女、それも身分のある姫君であることは間違いない。


 しかし、驚くべきは、その顔だった。


 まず、四角い。

 そして、白粉など一粒ものっていないと思われる浅黒い顔には、毛虫と見まごうばかりのもじゃもじゃの眉が鎮座ましましている。

 眉は、剃り落とすのが普通で、沙醐でさえ、そのくらいのたしなみはある。

 天然自然の毛深い、恐ろしげな眉の下から、猛烈なインパクトを放つ鋭い眼が、沙醐のことをきっと見据えた。


 「何を騒いでおるのじゃ」


言い放ったその口元から、白い歯が、きららら……、と光りこぼれるのを見て、沙醐は、度肝を抜かれた。なんとこの姫君は、お歯黒もしていない。


「お前は誰じゃ」


口をぱくぱくさせている沙醐に、重ねて問う。


「さ、沙醐……」


名を名乗るのが精一杯である。


「そうか、新しい女房だな。小式部のアトガマの。妾は、按察使(あぜち)の大納言の(むすめ)じゃ」


 すると、この姫君は一睡と名乗った少年と並んで、沙醐の新しい主人の一人であるわけだ。


 「なんじゃ、百合根は。いかが致した」


うまく言葉が出てこない沙醐に痺れをきらして、按察使の姫君は、局の奥を覗き込んだ。


「ほう。また、何か、あらざる物を見たのじゃな」


 姫君は、ずかずかと踏み込み、倒れている年配の女を抱き起こした。

 かさつな物言いには似合わぬ、優しい仕草でゆるゆると揺すると、百合根は、ぱっと目を開けた。


「あっ、カワ姫!」

「また、何か見たのか?」

「いいえ、私は何も……」

「ふむ。見たのじゃな」


姫君は、一人頷く。


「何も見てはおりませぬ。ただ、一睡さまがおいでになって、……。そう、蛍が。蛍じゃ! そうであったな、沙醐殿」

「えっ?」


ふいにふられて、沙醐はうろたえた。おまけに、按察使の姫君が、例の天然自然の毛深い眉毛の下から、疑い深そうな目をぎょろりとさせて、こちらを見ているので、余計、落ち着かない。


「私は……。私には、蛍は……」

「何も見なかったのか?」

「いえ、光る白い物が見えました」


 百合根が蛍と言い張るので、沙醐の言葉に勢いはない。ただ、蛍にしては大きすぎるし、光り過ぎていた。昼間のこの明るさの中でも、はっきりとわかる白い光を放っていた。


「よいのう、新参者は無邪気で」


つぶやくように、姫君が言った。はっとして姫君を見たが、それ以上の言葉は続かなかった。

 

その時、邸の奥の方で、何やら大きな物音がした後、甲高い叫び声が聞こえていた。


「男よ! 男だわ! 捕まえて! 捕まえるのよ!」


続いて、固い角ばった物を転がすようなものすごい音が聞こえた後、幼い子どもの泣く声が響き渡った。


 「やれやれ」


按察使の姫は、百合根から手を離して立ち上がった。


「男はいかん。成敗してくれよう」

「姫様、一睡さまは子どもです。何卒お手柔らかに」


百合根が縋りつく。


「お前、何を勘違いしておる。男が迷い込んでおると、迦具夜(かぐや)が言うておるのじゃ。一睡のことであるわけがなかろう。きっと、あの子がゆうべひっつかまえてきた、生き須玉(いきすだま)のことに違いない。それに……」


にやりと不気味に笑う。


「迦具夜のそばに、たとえ生き須玉といえ、男を置いておいておいたら、どんなことになるか、お前にも予想がつくだろう」


 按察使の姫は、長く垂れ下がっている横の髪を、耳の後ろにたばさんで、意気揚々と、立ち去っていった。


「あなた、あなた、お願い……」


百合根が息も絶え絶えに、沙醐に懇願する。


「どうぞ、一睡様を見てきて。あの子がもう、泣くことのないように」


 沙醐は頷いて、按察使の姫の後を追おうとした。

 一歩踏み出した足が、なにやら、ぐにゃっ、と、踏み潰した。

 足元を見ても、理解できなかった。

 なぜ、そのようなものが、この(まゆ)にこもったように奥深い、(つぼね)に落ちていたのか。

 それは、およそ考えられる限りの数の、とげとげした毛を、体中に生やした、鳥毛虫(かわむし)――毛虫――だった。

 そうしてそれは、もちろん、潰れていた。


 再び、静かな貴族の邸宅に、沙醐の悲鳴が響き渡った。


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