紅蓮 ― その4
「ううむ。今回は、少し、やり過ぎたようじゃの」
梅がつぶやく。
「道真さまも、是非、参加したいとダダをこねたが、梅の牢獄に閉じ込めておいてよかった。このような仕儀に手を貸したのが、歴代の怨霊たちに知られたら、それこそ面目丸つぶれ」
梅は、沙醐を抱いたまま、ゆっくり旋廻した。
骨ばった手が両脇に差し込まれて後ろから抱き上げられた格好になっているので、脇の下が痛い。
「また、眠り姫に頼まねばならぬな」
梅がそうつぶやくと、不意に、脇の下の痛みが消えた。
突然の花吹雪が、沙醐の体を包み込む。
はなびらは、よく見ると、桜より小ぶりだった。
濃い紅色や、真っ白なものも混じっている。
一面の、梅の花びらの、乱舞だった。
……。
花吹雪がおさまると、沙醐は、立派な寝殿造りの屋敷の前に立っていた。
蛍邸よりずっと、大きく、手入れが行き届いている。
御簾は、下ろしていなかった。蔀も格子も取り払ってある。
広々とした空間に、色あでやかな色彩が広がっていた。
紅色、薄紅色、朱鷺色、そして所々に混じる、萌黄や鶸色……。
赤と緑の競演の中に、水気を帯びた黒が、しっとりとした量感を保って流れている。
規則手正しくうねる、色の競演。
……女が、眠っているのだった。
開け放した広い空間を占拠し、くうくうと軽い寝息をたてて、気持ちよさ気に。
「こりゃ、眠り姫! 起きよ!」
梅が罵声をあげた。
「起きよ! 起きよ!」
目覚める気配もない。
「起きよったら! おい、お前の息子の、一睡が……」
言いかけた途端、色の山が、むくりと起き上がった。
「一睡がどうした!」
茫洋とした、つかみ所のない声が響き渡った。
起き上がった女は、あでやかな衣のわりには、あまり、若くは見えなかった。
引き目鉤鼻、おちょぼ口。全体的にふっくらと、よく太っている。
「今度は何をやらかした」
さっきよりだいぶはっきりとした口調で問う。
この人が、一睡の母。眠り姫……。
眠っていて、迫害を免れた、古き神……。
「おうよ。都を潰したぞ。四条から北は、壊滅状態じゃ」
小気味よさげに、梅が応じた。
「すまぬ」
女はぽつんと言った。それから、調子を変え、ぼやくように付け足した。
「あの子が生まれてからというもの、わしは、謝ってばかりじゃ……」
「仕方なかろう。おぬしが眠り呆けていて、育児放棄をするから。迦具夜やカワに託したのが、誤りであったな」
「わしが託したわけではない。あの子が、勝手にあやつらの元へと行ってしまったのじゃ。わしが眠っている間に」
「……せめて、子どもが小さい間は、起きておることができぬのか」
「それができるくらいなら、わが民を滅ぼさせたりはせなんだわ」
「そうじゃの。起きていたら、今頃、お前もいなかったろうな」
天から降臨したという新しい「神」によって、なきものにされていたろう。
沙醐は、眠り姫が自分の息子に、なぜ一睡という名をつけたか、わかった気がした。
一睡……ひとねむり。眠りに落ちても、一眠りしたら、目覚めて欲しいという、親心だったのだ。
「わかっておろうな」
駄目押しするように、梅が言った。
「おうよ」
眠り姫は、ごそごそと寝床を離れた。そのまま、部屋の隅にしつらえられた、小さな文机に向かう。
筆を執って、一心に何かを書き始めた。
「時を、書き直しておるのじゃ」
「え?」
「時を書き直して、都の大火をなかったことにしている。あの女はそうやって、息子の不始末を塗りつぶしてきたのじゃ」
「梅さま。一睡さまは、今までに、いったい、幾人……幾人の人たちを……」
殺してきたのですか?
そう聞こうとしたのだが、言葉にならなかった。
「さあな。じゃが、その都度、母親が、ああやって責任をとっておる。ま、ついでに、迦具夜とカワの分も、な」
それから、駄目押しするように言った。
「じゃが、あの女が始末をつけるのは、息子の悪行だけじゃ。漂の君を生き返らすことは、できぬぞ」
沙醐はうつむいた。
「古の神々にも、文字はあったのじゃ。ただ、それを司っていた神がネボスケで、他の神々が勉強嫌いだったところが、悲劇だったな……」
「勉強は、眠いものでございます」
ひそひそと、沙醐もささやいた。
「お許しください。私、漢文は殆ど読めません」
「いいのじゃ」
梅は、うっとりと言った。
「ご主人さまは、梅屋敷を本宅となさると言って下さったから。ずうっーと一緒。もう、文で指示が来ることはない……」
その声は、若い女のような媚を含んでいて、やっぱり気持ち悪かった。