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澤の蛍  作者: せりもも
25/32

糺の森で ― その1

やや、下品な描写があります。

五、(ただす)の森で



 「行ったぞ、沙醐! そっちだ!」


 糺の森に、蛮声が走る。

 沙醐は、網を、きっ、と構えた。


 ここは、辛い思いを抱えた人の魂が、生霊となって漂う空間。

 この世とあの世の境。中有の闇。


 荒三位が、漂の君の死に、どれだけ関係していたかは、まだ、わからない。

 また、今までに、どれほどの人から恨みを受けた身かも、問わない。


 ただ、逃がすわけにはいかなかった。


 ほんの僅かでも、ヒントが欲しかった。

 なぜ、漂の君は死なねばならなかったのか。

 その答えの、とっかかりなりとも、引き出さねばならない。


 逃がすものか。


「行ったぞ。その先は、袋小路だ。任せたぞ、沙醐」


木々の枝の向こうに、怨霊の鬼火が青白く燃えている。


 幽かな風圧が、飛んでくるモノがあることを教えた。


 網は、中腰で構えた位置だ。

 竹の柄を持つ両手が、汗でじっとりと湿っている。


 逃がさない。


 ぼうん! ぼうん!


 飛んでくるそれは……。


 え?


 裸の、男?


 生霊って、着物、着てなかったっけ? いや、漂の君は、ちゃんと着ていた。

 たくさんの疑問やら反論やらが、頭の中をうずまいている間に、それは、ぐんぐん、ぐんぐん、迫りくる。


 そのまま、狙い済ましたように、網に飛び込んだ。勢い余って網を突き破り、大変な衝撃に、沙醐は尻餅をついた。

 そのまま、上半身も、仰向けに倒れる。


 ……本当は、口から飲ませる虫が、一番効果があるんだ。でも、警備が厳重で、飲ませることができないというなら、仕方がない、羽虫を使うしかないな。今ひとつ、使い勝手の悪い虫じゃが。


 歯切れの悪い、カワ姫の言葉が蘇る。


 魂が、体に留まっていることを、辛くさせる虫。

 使い勝手が悪いって、魂が着物を着ていないということ?


 き、聞いてません。そんなこと。


 「おお、沙醐、よくやった」


鬼火が辺りをぱっと照らす。


「沙醐? 沙醐?」


一睡の声。


「げ。気絶しちゃってる」

「打ったのは尻だけだろ。気絶する道理がない」


誰かの手が、顔面を撫でる、さわさわした気配。


 沙醐はうっすらと目を見開いた。

 菅公と一睡が、雁首並べて覗き込んでいる。


 そして体の上の、この、気配。


「ぎゃーっ!」


我ながら、この世のものとも思われぬ悲鳴があふれた。


 「沙醐、お前」


菅公が言った。にやにやしている。


 笑う怨霊。


「もしかして、キムスメか」

「キムスメって、何?」


すかさず一睡が聞いた。






 羽虫を使うもう一つの弱点は、魂が外にいる時間が短いこと。


 カワ姫は、その点を繰り返し強調した。

 聞き出すことは、早めに。魂は、あっという間に、結界をもすり抜け、体に戻ってしまう。

「わしの結界をすりぬけることなど、できるものか」

菅公は、鼻で笑っていたが。


 「しかし、見事なまでの生霊だな。生きた体と、少しも変わらないように見える。カワの虫の威力は、大したものだ」


生霊は、ふてくされたような顔をして、あぐらをかいていた。


 その腰には、一睡の上着が巻きつけてある。

 腰巻に使用されるのは厭だと抵抗した一睡だったが、最終的には沙醐の為だから、と、菅公が、恩きせがましく言って、上着を差し出させた。


 「やっぱり、網で取ってるうちは、ダメなのかな。沙醐みたいに、全身で抱きとめるのでなくちゃ」


 沙醐は、自分の体についた匂いが気になって、体中を嗅いでいた。

 なんだか、生臭い匂いがする。


「だから厭なんだよ。素手で捕るの」


すまして一睡が言った。


 「さて」


菅公の怨霊が、荒三位の生霊と向き直る。


「お前が、漂の君をさらわせたのであろう」


金棒を、地面に、ずん、と突き立てる。


「そして、殺したのだ」


 並の人間なら、たとえ無実であっても、たやすく己の罪を認めてしまいそうな、恐ろしい声である。

 しかし、荒三位の生霊は、断固として首を横に振った。


「嘘をつけ。お前が、漂の君を追い回していたことは、屋敷の者なら、皆、知っている。しかし、漂の君は、お前を避けて逃げ回っていた。可愛さ余って憎さ百倍、かなわぬ恋の腹いせに、さらって殺したのであろう」


生霊は、傲然と顔を持ち上げ、菅公の亡霊をにらみつけた。

 貴公子とは名ばかりの、ふてぶてしさである。


 「隆範は、吐いたよ。その程度の男を、部下とすべきではないね。え? 何か言ったらどう?」


あざけるように、一睡が言った。


 生霊の顔つきが変わった。


 と、その体が一条の光となり、横とびに飛んだ。

 結界が発光し、びりりと震えた。


「おお、危ない。逃げられるところだった」


 目を傷めそうなほど強い光が治まると、荒三位の生霊は、哀れな様子で、結界に限られた僅かなスペースに倒れていた。


「こいつ、結界に、体当たりをしおった。下手をすると、死ぬぞ」


「どうせ死ぬのなら、魂じゃなくて、体の方に傷をつけて、出血多量で死なせたい」


一睡が希望を述べた。


 「あの、」


沙醐が間に入った。


「私も、話していいでしょうか」


「おお、沙醐、裸の男に慣れたか? こんなの、大したことはないぞ、何しろ、実体がないのだからな」


そう言うあんただって、怨霊ではないか。


 沙醐は菅公を無視して、結界の前に立った。


「三位さま、いえ、藤原道雅さま。あなたと亡くなられた漂の君は、ご兄妹でいらっしゃいますね」


沈黙が流れた。

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