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澤の蛍  作者: せりもも
23/32

紅の袴 ― その2

少し、残酷なシーンがあります。

 「あなたはここで待っていて」


検非違使の詰め所上空まで来ると、迦具夜は言った。


「ですが、姫さま」

「ほら、あそこ、あの、建物ね、あそこに下手人は囚われているの。見張りをちょっとたぶらかして外へ出してから、あの屋根の真ん中に穴を開けてあげる。そしたら、上から見物できるでしょ」

「姫さまが危険すぎます」

「私は、ほら」


迦具夜の姿が、ふっ、と消えた。

 ああ、そうだった。迦具夜姫は、自在に姿をかき消すことができるのだ。


 「じゃ、見てらっしゃい」

迦具夜姫の気配が消えた。


 暫くすると、看守が、建物から出てきた。

何やら、後ろ髪でも引かれるような様子で、中を覗き込んでいる。


「では、信乃大路の廃寺で。待っておるぞ。きっとだぞ」

未練がましい声が聞こえた。


 看守は建物から出ると、足早に歩き去っていく。

 まだ屋根があるので、迦具夜がどんな手管を用いたのか定かではないが、うまく偽の逢引の約束を取り付け、看守を外へと追い出したのだろう。


 それにしても、出会って即、逢瀬の約束とは、凄い早業である。


 間もなく、空気が揺れる気配があって、静かな竜巻のようなものが、吹き上がってきた。


 音もなく、何の騒ぎも起こらない。


 風が静まると、屋根の一部が、嘘のように丸く切り取られていた。

 沙醐は、恐る恐る、屋根に開いた穴の上空まで行って覗き込んだ。


 中に、一人の男の姿が見える。

 なるほど、墨染めの衣を着け、頭も丸めている。

 よもや盗賊の成れの果てとは、言われなければわからない。


 ピシッ。


 何もない空中から、いきなりムチが舞った。柳の若枝のようによくしなるムチだ。


「ひっ」

短い悲鳴が聞こえた。


 ピシッ。


再び、鋭く空気を裂く音。

 繰り返し繰り返し繰り出される、しなやかな一撃。


 僧衣の男がのけぞった。

 「名前は知らない。先月、市で知り合った……」

掠れた声を絞り出す。


 ピシリッ。

一際大きくしなるムチ。


 男はぜいぜいと息を吐き、まるで死んだように、ぐったりと打ち伏した。


 すると、部屋の隅からするすると縄が伸びてきて、あっというまに、男の体を、台の上にくくりつけた。


 男の口に、金色に輝く漏斗が差し込まれる。

 目に見えない空中から水が湧き出し、次から次へと、漏斗に注ぎ込まれる。


 男が息を吹き返し、激しく咳き込んだ。

 情け深くも、口から漏斗が外された。


「ダメだ。あのお方のことを言ったら、俺は、殺されてしまう……」


容赦なく、再び漏斗が口に突っ込まれ、光る水が、しぶきを上げて注ぎ込まれていく。


 男の顔が、激しく左右に打ち振られた。

 眦が裂けそうに広がった。


 再び漏斗が外された。


 その頬が、激しく鳴った。

 右の頬。左の頬。


 ぴしゃり! ぴしゃり!


 肉を叩く、くぐもった音。


 激しい殴打が加えられている。


 「わかった……。許してくれ……。藤原の、道雅さまだ。三位(さんみ)・道雅公。あの方の仰せで、女を拉致した。けれど、誓ってそれだけだ。俺は、殺してはいない……」


顎が鳴り、目鼻の造作が激しく上に寄った。

口から血が噴出し、男は悶絶した。


……。






 「ああ、楽しかった」


何事も無かったかのように舞い上がってきた迦具夜姫は、涼しい顔で言った。


「黒幕は、荒三位(あらざんみ)だったのですね」

「確かにあの男ならやりかねないわ。あなた、あの男のこと、知ってるの?」

「先だっての宴に、来てましたよ」


沙醐は、一睡との間で起こったことを、手短かに話した。


 「一睡の向こう見ずにも困ったものね。それにしても、そんな男を招待するとは、お父さまの人を見る目のなさときたら……。男なら誰でもいいんだから」


それは姫自身にもいえるのではないかと、沙醐は思ったが、黙っていた。

 空高く舞い上がったまま迦具夜姫の不興を買ったら、身の安全は、保障の限りでない。


「これからどうします?」

「もちろん、道雅邸へ直行よ」

「私は一度、蛍邸へと帰った方がいいような気がします」

「なんでぇー」


迦具夜姫は不服気だ。


「カワ姫や一睡さまも、主犯の荒三位の拷問に一枚噛みたいとお思いになるんじゃありませんか?」

「拷問?」


迦具夜姫が聞きとがめた。


「あなた、さっきのアレ、拷問だと思ってるの?」


拷問以外のなんだというのだ?


 「あいつはあれで、結構ヨロコんでたわよ。僧衣なんてつけちゃって、さ。仏教関係のヤツには、ヘンタイさんが多いのよ」


仏や僧に、含むところがありそうだ。


 「先ごろも月よりの使者の方がおっしゃっておられましたが、姫さまは、仏とライバルの関係におありだとか」

「そうよ。人類救済の手段において、ね。私への絶対的な服従か、仏への帰依か。それを言うなら、神道も景教も、拝火教も、みんなライバル」


「……よくわかりませんが。それにしても、かの男、私には、死ぬほど苦しんでいたように見えましたが」

「私にブタレて、ヨロコばない男が、この世に存在するわけ、ないじゃない」

「姫さまは姿を消しておられたわけですから……」

「ああ、そうか。次からは、姿を現してやるわ。出血大サービスよ」

「はあ。しかし、あれだけ痛い目に遭わされて、喜ぶなどとは……」

「あの悶え苦しむさまが、ヨロコビなのよ。……あら、どうしたの?」


「深遠な謎でございます」


 迦具夜も迦具夜で、考え込んだ。

「沙醐の言うことにも一理あるわね。特に一睡は、血を見るのが好きだから……漂の君にも懐いていたし。ここは、あのチビに、ハナを持たせてあげようかな」


 「あの、姫さま。私、ちょっと立ち寄りたい所がございまして」

「この辺に、いい男でもいるの?」


迦具夜の目の色が変わった。


「いえ、男ではございませぬ。女でございます。それも、かなり年配の」

「なんだ」


迦具夜姫は、あっさり興味を失った。


「つきましては、この羽衣、もう少しお貸し頂けないでしょうか」

「いいわよ。じゃ、蛍邸で待ってるわ。あなたも、荒三位をムチ打ちたいでしょうから」


 この人と完全に会話が噛み合うのは、永遠に不可能ではなかろうか。

 そんな思いを感じながら、空中で、姫と別れた。


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