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澤の蛍  作者: せりもも
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月からの使者 ― その4

 (くりや)で気絶していた百合根が息を吹き返すと、宴会が始まった。


 大量の酒がふるまわれ、笛や琴が、かしましく鳴り響いた。

 ざわざわというざわめきの中、しかし、平穏だったのは、初めのうちだけだった。


 たちまちのうち、貴公子たちは酔漢と化し、あちこちで、目もあてられないような乱れた光景が繰り広げられた。

 コンパニオンとして連れ込まれた女房に言い寄るなんてのは、まだ、かわいいうちである。

 悪口雑言をわめきたてる者、蔀を押し倒して暴れまわる者、四股を踏み、家具調度を壊す者たち……。中には、取っ組み合いの大立ちまわりを演じる者もいた。


 これが、平安貴公子というものか?


 動きやすい衣裳から、紅葉襲に着替えて出てきた沙醐は、あきれ果てて、乱れに乱れた宴席を見回した。


 ……いやだ。私ったら、何を期待していたのだろう。

 少なくともそこには、沙醐の求めるような理想の貴公子などいなかったのである。


 宴の主役、迦具夜姫は、といえば、竹取の翁の面前に据えられ、なにやら説教されている。

 きっと、早く良い男を見つけよ、と、くどくどと申し渡されているのであろう。


 ……人間を不幸にして救うとは、どういうことだろう。

 沙醐は、さきほどの天人との会話について、姫に教えて欲しいと思ったが、これでは、割り込む隙がありそうもない。


 それにしても、竹取の爺さまも、迦具夜姫を自由にして、参加している貴公子たちに機会を与えてあげればいいものを。

 せっかくのお見合いパーティーを、親自らが握りつぶしているようなものである。

 いざ、結婚、とか、お見合い、とかいうと、男親など、こんなものなのかもしれない。

 翁と迦具夜姫は、激しく何かを言い争いつつ、居所へと引き上げていった。


 ふと、沙醐は、広間の隅を、一睡が、抜き足、差し足で歩いているのに気がついた。

 辺りは一面、濃い酒の匂いが立ち込め、みな、自分の楽しみに夢中である。

 誰も、こそこそ歩く、小さな子どもの姿など気にも留めない。或いは、本当に見えていないのだろう。


 しかし、しらふの沙醐には、はっきりと見えた。

 一睡が、抜き身の刀をぞろりと引きずっているのが。


「一睡さま……」

沙醐は息を飲んだ。


 一睡が目ざしているのは、部屋の隅で、すねたように胡坐をかき、ぐいぐいと、流し込むように酒を飲んでいる一人の男だった。


 水色の水干、白い袴。

 まさしく、当代切っての御曹司と見受けられる身なりである。


 しかし、その白い顔面には無精ひげが生え、眼光鋭く辺りを睥睨するさまは、貴族というよりも、むしろ近頃新興してきた武士のようであった。


 一睡は、まさか、あの男を……。


 不意に、師直を殺そうとした時のことが、脳裏に蘇った。

 一睡は、生霊の辛い思いを消し去る為、その願いを叶えてやろうとする。


 生霊が死にたいと願えば、自殺の手助けをすることだって、やりかねない。

 あそこで酒を飲んでいる男が、生霊になり、自殺を希望しているとは考えがたいが、しかし、明らかに、一睡の狙いは、あの男である。


 あぶない……。

 あの男が相手では、勝ち目はない……。


 しかし、あまりに距離があり過ぎた。

 ここからでは、止めるに間に合わない。


 男の背後に立った、一睡が刀を振り上げた。


 もはやこれまでか。


 切りつける!


 沙醐は目をつぶった。

 息が詰まり、時間が止まったように感じた。


 恐る恐る目を開いたとき、刀は、男の手にあった。


 「一睡さま!」


時間が緩やかに流れ出す。周囲の人はまだ、何も気がついていない。

 沙醐はあわてて駆けつけた。


「一睡さま、お怪我は」

沙醐は一睡をしっかりと抱きしめた。一睡は、真っ青な顔をしていた。


「なぜ死なぬ。なぜ、血が出ぬのだ」

「このようなおもちゃで、死ねるわけがなかろう」


男は太刀を投げ捨てた。

 ぱたり、という、およそ刀らしからぬ音ががした。


 「だが、お前は死なねばならぬのだ、この、人でなし!」

沙醐の腕の中で、一睡がわめいた。

「お前を怨んでいるものがいる。怨みのあまり、身は生霊となって、宙有をさ迷っている者がいる!」


 「知ったことか」

男は鼻で笑った。

「乳母の腕に抱かれて安心したか。なんとも情けない小僧よのう」


一睡が、沙醐の腕をほどこうとして暴れた。そうはさせじと、沙醐は必死に一睡を抱き止めた。


「子どもの悪戯です、悪戯ですから……」

沙醐は必死で訴えた。


 広間が、しんと静まり返った。

 ひそひそとささやき声が聞こえた。


「おい、お前」


男は、沙醐をぎろりと見た。


「おもちゃとはいえ、命を狙われたのはこのわしじゃ。そいつの心配をするなら、このわしのことを気遣うべきではないのか」

「も、申し訳ありません」

「不愉快だ。帰る!」


男は立ち上がり、周りに侍っていた人々を引き連れて、立ち去っていった。


 「一ツ目のヤツ!」


緩んだ沙醐の腕の中から躍り出るようにして、一睡が地団太を踏んだ。


「偽の太刀を寄越したな。くそ!」

「何をおっしゃいますか。偽だったからこそ、助かったのですよ」

「沙醐は、マロがあいつにしてやられると思うのか?」

「気迫が……。あのお方の全身からは、何か、殺気のようなものが感じられました。一睡さまでなくても、危のうございます」


「奴が、荒三位だ」

吐き出すようにして一睡が言った。


 荒三位、荒ぶる三位、藤原道雅。


 藤原道隆の孫で、中関白家の御曹司。故中宮定子は、叔母にあたる。

 大叔父である道長が勢力を握ってからは、すっかり落ち目になってきてはいるが、それでも藤原一族であることに代わりはない。


 「あやつはな、沙醐。何の罪も無い、使用人に……それも他人の使用人だぞ……、ただ、気晴らしの為だけに、部下に指図して、殴る蹴るの集団暴行を加えさせたんだ。藤原でなければ人でないと思っているんだ。おかげで、その使用人は、大怪我をした上に精神を病み、生霊となって、毎晩毎晩、糺の森をさ迷っている。そんなの、人間のすることか? そんな奴を生かしておいていいのか?」


 「しかし、相手が悪過ぎます……」


 荒三位の悪い噂は、都で知らぬ者はない。

 藤原の跡継ぎとして甘やかされて育った彼は、父親の失脚と共に、失意の人となった。

従者を使っての乱暴狼藉の他、自身も、衆人環座の中、派手な暴力沙汰を起こしている。


 「おまけに、マロのことを子ども扱いした。沙醐、お前のことは、乳母扱いだ!」

「それは、別に構いませぬ」


現に、一睡に対して普段やっている仕事は、乳母の仕事である。


 「あいつだけは、許さぬ。一ツ目に言って、今度こそ、本物の太刀を鍛えさせる」

「一睡さま、どこへ……」

「ここは酔っ払いばかりだ。空気が悪い。百合根、百合根!」

一睡は、通りかかった百合根の後を追った。


 荒三位が立ち去った後、周囲は何事もなかったかのように、酒池肉林の世界に立ち戻っていた。

 この酔客たちの何人が、今の一幕を覚えているか、心もとない限りだ。

もっとも、その方が、沙醐や一睡にとっては都合がいいのだけれども。


 酔っ払いに袖をつかまれ、振り放すことができないでいた百合根は、一睡の姿を見ると、ほっとしたような顔をして、懐に招き入れた。

 百合根をつけ狙っていた酔っ払いは、なんとも白けた顔になって、袖を放し、次の獲物を探しに行ってしまった。


 百合根にまかせておけば、安心だな。

 沙醐は思った。


 それにしても、その、一ツ目とやらを厳しく諫めて、たとえ贋物であろうとも、二度と太刀など渡さぬよう、きつく申し渡さなくてはならない。






 「いちまーい、にーまーい、」


 百合根が一睡と立ち去ってしまった後、雇われ女房たちと、酒肴を運んだりして、懸命に立ち働いていると、耳元で不気味な声がする。


 同時に、熟柿にも似た、気色の悪い匂いが、ぷんと漂ってきた。


「あ、これは、右大将殿」


なんと、賢人右府と呼ばれるほど、賢者で名高い、右大将・藤原実資(さねすけ)も、この、お見合いパーティーに参加していたのだ。


「ふふふ、動いちゃダメ。さんまーい、」

「右大将殿、何をしておいでで?」


きっと、深遠な、真理についてでも熟考しておられるのであろう。


「君の、衣裳を数えているの。何枚着ているのかなー」


 このぉ。


 沙醐は、男の襟首をむんずと摑んで、どう、と投げ飛ばした。

 右大将、藤原実資は、幸福そうな笑顔を浮かべて、目を回した。

 これだけできあがっていれば、後日、沙醐の狼藉を思い出すことなど、出来よう筈もない。


 で、酒席はといえば、実資のささやかな受難など、大海のさざ波と言えるほどに、乱れに乱れているのであった。

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