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澤の蛍  作者: せりもも
18/32

月からの使者 ― その2

 満月の夜が近づいていた。

 迦具夜姫は、月を見上げて、ため息をついてばかりいるようになった。


「どうなさいました、この頃。夜遊びにもおいでにならないで、月を見上げてばかり、おいでになります」


十五夜も間近のある晩、沙醐は、また、縁に出て、月を見ている迦具夜姫の側に座って、問いかけた。


「月の顔を見るのは、忌むべきこと、と申しますよ」

そんな言い伝えを聞いたことがある。


 迦具夜姫は、深くため息をついた。

 何か言いかけ、口をつぐんだ。

 そしてもう一度、思い切ったように、口を開いた。

「沙醐や。今まで黙っていたのだけれども、実は私は、この地上の人間ではないのだよ」


「知っています」

「知ってるって……」

「姫さまが人間であろう筈がありません。カワ姫も一睡さまも人間離れしていらっしゃいますが、特に迦具夜さまは、怨霊、とまでは申しませんが、妖怪、に限りなく近いのでは、と、私、思っております」

「お前、それは、失礼じゃないかい?」

「むしろ、妖怪に失礼かと……」

「安心していいわ、私は妖怪などではないから。もちろん、怨霊でもないけど。聞いて驚くがいい、実は私は、月の世界の住人なのです」

「はあ」

「……驚かないの?」

「だって、お体が光ったり、消えたり、空を飛んだりするのを見てますからね」

「うーん、状況証拠をばら撒きすぎたのね」


迦具夜姫はため息をついた。


「とにかく、もうすぐ満月、非常にヤバイ事態です」

「なにをやらかされたので?」

「何にしても、もはや手遅れ」

「はあ?」

「私は、月の世界に帰らなければならなくなるやもしれません」


迦具夜姫は、再び月を見上げ、深いため息をつくのだった。






 「カワ姫、カワ姫、大変です!」

「あ、これ、粗忽者め! そこな箱に触るな!」

「おっとっとッと」


沙醐は、踏みかけた白い箱の真上で、足を止めた。


「危ないところでした。このような足元に、大切な虫を、お置きなさるな」

「あわてふためいて侵入してくる馬鹿者がいなければ、何をどこに置こうと、妾の勝手」

「少しは、掃除する者の身にもなって下さいよ」

「だから、掃除はいいと言っているだろうが」

「そういうわけには参りません」


現に、この局に近づくだけで、妙に咳込む。


 「それで、何をそんなに騒いでいるのだ」

「ああ、そうだ、迦具夜さまです。迦具夜さまが、月からの使者に連れ戻されてしまうかもしれない、と、こうおっしゃるのです」

「ああ、また、それか」


迦具夜姫と聞いて、何かを期待しているように見えなくもなかったカワ姫は、心底がっかりしたように、肩をすくめた。


「またそれか、って、前にもそんなことがあったのですか?」

「毎年のことよ。毎年、十五夜が近くなると、月に帰るの帰らないのと、大騒ぎをしとる」

「では……」

「もちろん、帰ったことなど、一度もござらぬ。現にこうして、この邸に暮らしておるのだからな」

「はあああああ」


一気に力が抜ける思いがした。


 なんだ。


「お前、迦具夜に、月の世界に帰って欲しくはないのか?」

面白いものでも見るように、カワ姫は、沙醐の顔を覗き込んだ。


 確かに、迦具夜姫は、エキセントリックだし、邪悪なところもある。そのうえ、非常に美しい。

同性として、これほどカンに触る存在もない。


 しかし、だからと言って、姫が嫌いかというと、決して、そうではなかった。

 突飛な言動は、純粋さの裏返しだし、邪悪さは、何かを面白がっているだけで、決して悪意からではない。

 少なくとも、沙醐への悪意は、微塵もない。

むしろ、好意の片鱗めいたものを感じるのだが、それは、或いは、勘違いかもしれない。


 「それは、帰ってほしくないのに決まっています」

沙醐にしては珍しく、きっぱりと言い切った。


「ほう」


カワ姫は目を細めた。


「迦具夜に言えば、喜ぶぞ」

「お願いです、黙っていて下さい」


迦具夜姫が聞いたら、本人は好意だと信じる、どんな裏返しの行為……単純に、仕返しと言っていい……が返ってくるかわからない。


 「安心せい、月の世界でも、あやつは、持て余されておるのだから」

「……」


 その時、邸の入り口の方が、にわかに騒がしくなった。


「吾が子、吾が子、ご無事でいるか?」

「ああ、竹取りのじいさんが来た」


カワ姫が露骨に眉をしかめた。


「毎年毎年……。絶対に、月に帰ることなどありえないのに」

「竹取のおじいさんって……」

「迦具夜の育ての親よ。光る竹の節で泣き喚いている迦具夜を見つけ出し、育て上げたのだ。もう、よほどいい年の筈だ」

「はあ」

「迦具夜がいつまでたっても結婚しないので、心配で心配で、死ぬことができないのだそうだ。……気の毒に」


話していると、ぱたぱたという軽い足音がして、御簾のすだれが、ぱっと捲り上がった。


 「おお、カワ姫! 久しぶりだな」

「一年ぶりでございますね」


カワ姫が、冷静に返した。


 「ふん」


答えた老人は、なるほど、梅ばあさんと張りそうなひどい年寄りではあったが、その小柄な体は鍛えぬかれ、動く足取りも敏捷であった。


「按察使の大納言殿からの言付けじゃ。虫ばかり愛でてないで、はよ、婿を取れ!」

「まったく、どこの親も……」


カワ姫は露骨に舌打ちをした。

 その後に、どのように辛辣な罵詈雑言が続くかと、沙醐は首を竦めたが、意外なことに、カワ姫は、それ以上、何も言わなかった。


 「あ、竹取の、お爺さま!」

心底嬉しげな声がして、一睡が顔をのぞかした。


「おお、一睡殿! さてもさても大きうなられましたな」

爺の相好が崩れた。


 一睡が走りよってきて抱きつくと、竹取の翁は、その体を持ち上げ、高い高いをした。

 老人と子どものそれは、まことに、心洗われる、麗しい情景だった。


 不意に、爺の顔が歪んだ。

 さては、一睡の体が重すぎたか。

 腰の骨にヒビでも入ったかと、沙醐は、本気で心配になった。


 「うっ」


一睡の体を下に下ろし、爺は、目を拭う。


「お爺さま、どうなされたの?」


天使のような純粋な声と言葉遣いを、一睡も使用できるものらしい。


「わしはいったい、いつになったら……。いつになったら、おまえ様のような、かわいいマゴを持つことができるのか……」

「それは永久にムリ」


氷にのように冷たく、巌のように厳かに、カワ姫が言い渡した。






 十五夜の日がやってきた。


 竹取の翁は、朝から大張りきりで、邸の周囲を見回っている。

竹の筒から大金が出てきたとかで、つわものを大勢雇い、警備に充てている。

中には、迦具夜姫目当ての貴族もいるらしい。


「ほれ、どこにどんな縁が転がっているやもしれぬからな」

皺だらけの瞼をひくひくさせて、不気味なウインクを沙醐に送ってきた。


 「懲りぬヤツじゃ、あのジジイも」

入れ違いにカワ姫がやってきて、うんざりしたようにつぶやく。


「あれ、姫さま、お出かけですか?」

「うん、ここはうるさいからな。虫も寄り付きはせぬ。しばらく、メメらのところにでも世話になりにいこうかと思って」

「メメたちのところですって? いけません、そのような下賎の者の所へまかりなさっては!」


虫取りの名人と言ったって、近在の、下々の者の子らではないか。


 「沙醐、口を慎め」

珍しくきつい口調でカワ姫が言う。


「人に貴賎はないわ。むしろ、額に汗して口を糊する糧を得る人々が、本当に尊いのだと思わぬか?」

「それは……」

「食べ物が一番の宝なのだよ。物や金になぞ、何の価値も無い。そんなことを言うのは、フジの世になってからだ」


理解しかねることをつぶやきながら、カワ姫は、引き寄せた牛車に、ひらりと飛び乗った。


「そういうわけで、二~三日帰らぬが、心配するな」

「はあ……」

「ああ、それから、これ」


カワ姫は、何やらかさかさとしたものを二枚、沙醐に手渡した。


「今夜はこれが必要になると思うぞ」

「なんですか、これ?」

「蝉の羽じゃ。光を遮ってくれる」

「蝉の羽?」


悲鳴を上げて投げ捨てなかったのは、沙醐にもある程度の馴れが生じていたからであろう。


 カワ姫は、満足そうに頷いた。


「では、留守を頼む」

「……いってらっしゃいませ」


 その時、牛の轡を抑えていた侍従が、こちらを向いて、にやりと笑った。


「あ、メメ……」

「俺らが、一番尊いんだよ。国の宝さ」

少年は、にやりと笑った。

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