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澤の蛍  作者: せりもも
15/32

虫愛ずる姫 ― その4

 「それで、連れて来ちゃったの?」


しきりに爪を気にしながら、迦具夜が言う。


「はあ、もう、何やなにやら、大混乱で」

「そもそも、なぜまた、梅屋敷になぞ行ったかのう」


カワ姫がしたり顔で言った。


「なぜまた、って、私は、姫様のご命令で、あの人外魔境へと連れて行かれたんですよ」

「妾は、梅屋敷へ行けとは、一言も言ってはおらぬが」

「メメやオケラたちと一緒に虫取りに行けって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」


「虫取り!」

カワ姫は、はたと膝を打った。


「そうじゃ、虫取りじゃ。で、収穫はあったか?」

「あるわけないじゃありませんかっ!」

「まさか、手ぶらで帰ってきたというのか?」


 「収獲は、この生霊だよ」

躍り上がらんばかりにして、一睡が言う。

 さっきから、しきりと漂の君の生霊の周りを飛び跳ね、うつむいたままのその顔を、しげしげと覗き込んだり、髪の毛の匂いをかいだりしている。


「近年にない収獲じゃないか。沙醐、でかした」


「それは、あんたのウデがないせいよ。前から思ってたんだけど、むしりとられた生霊の一部というのは、ほんとに、気の毒なものね」

迦具夜姫は、何が気になるのか、右手の人差し指の甘皮の辺りをしきりに掻いている。


「うるさい。網の柄が短いせいだ。いつも、ほんの少しのところで、本体に逃げられるんだ」


 「いいか、沙醐、今後、虫取りに行って、収穫なくして帰るのは、まかりならぬ……」

これは、カワ姫。


「虫取りにはもう、行きません!」

沙醐は、思わず声を荒げた。

 「それより、この姫さまです!」


「そうよ。どうするつもり?」

「この方は、悩んでおいでです。誰からも愛されることがないと。親御様からも打ち捨てられてしまったと……」


思わず、声が詰まった。


「もし、男が欲しいなら、私にへばりついてくるのを、適当にみつくろってあげる。いくつ欲しい?」

迦具夜姫が、爪から目を離した。嬉しそうな顔をして、瞳がきらきらしている。

 迦具夜姫は確かに美しいのだが、清純な内気さを漂わせる漂の君と並ぶと、非常に邪悪な美しさであることは否めない。


「みつくろってって、大根じゃないんですから。この姫さまには、幸せになってもらいたいんですよ……」


恐怖の梅屋敷からの逃避行の間中、漂の君は、一言も発しなかった。

 途中沙醐が気遣って声を掛けても、怯えたように頷いたり、首を横に振ったりするだけ。

 しかし、沙醐が転んだ時は、心配そうにそばにしゃがみこみ、泣きそうな顔で、助け起こそうとしてくれた……。

 いつしか沙醐は、漂の君を、妹のように感じていた。


 「私の男は、大根……」

迦具夜姫の姿が、ふっ、と消えた。


「あっ、迦具夜姫さま……!」


「心配しないでよい。この女は、意に染まぬことがあると、すぐに姿を消す」

忌々しげに、カワ姫が言った。


「私はまだ、ここにいるわよ。悪口を言ったら、承知しないから」

「私は別に、姫さまのことを、悪く言ったわけではございませんよ」

慌てて、沙醐は言った。


「でも、私の引っ掛けてくる男のことは、よく思っていないでしょ? 漂の君を幸せにすることもできないような、ヘタレばかりだと、思ってるんでしょ」

「それは、まあ」

「ふん」


迦具夜姫の機嫌は直りそうもない。


 「まさか、あの、師直とメアワセようというんじゃないだろうね?」

信じがたいという風に、目を大きく見開いて一睡がつぶやいた。

「幸せにって……。無理と違うか?」


「でも、あの方は、お金持ちです」

手入れの行き届いた、大きな邸を思い出して、思わず、沙醐は口走っていた。

「この際、とりあえず、財産のある方に託すことです。師直さまなら、女性に暴力をふるうこともなさそうだし」


「というか、あいつは、尻に敷かれるタイプだし」

自信たっぷりに一睡が言った。


「大切なのは、漂の君を思うお気持ちです」


先に財産のことを持ち出してしまった自分を恥じながら、沙醐は慌てて付け足した。


「生霊になるほど、姫を思い続けたのですよ」

「それは単に、奴の優柔不断というか、自信のなさの表れというか……」


 「いいじゃなーい、一度枕を交わしてさ、気に入らなかったら、二度と会ってやらなきゃ、いいんだから」

不意に、空中から、迦具夜姫の姿が現れた。その両目が、きらきらと輝いている。


 「そうじゃ、漂の君は、血筋が良いのだから、師直殿から搾り取るだけ搾り取ったら、さっさと別れて、新しい奴を見つけるのがよい」

「ああら、カワと意見が合ったのは、久しぶりね。五百年ぶりくらいかしら」

「知るか。妾はな、男に頼る人生はよくないと思うておる。だが、一般女子が自立して生きるのは、難しい世の中だから、仕方がないではないか」

「なんだか、私の育ての親のようなことを言うわね」

「あの、竹取りの……?」

「そう、私が結婚しないと、死ねないって言うのよ」

「ヌシには、決まった殿方がおらぬのう」

「だから、まだ生きてるわ。親孝行なのよ、私って」

「永遠に死ねないとは、気の毒なことよ」

「なによ、永遠にって」


 「ね、あなたのことを、一生懸命思ってくれている殿方がいらっしゃるのよ」

沙醐は、恥ずかしそうに下を向いている漂の君の生霊に話しかけた。

「そのお方はね、あなたを思うあまり、魂が体から飛び出してしまうほどなの」


漂の君の生霊は、信じられないという風に、沙醐を見た。

そのふっくらとした唇が、何か言いたそうに、細かく震えた。


「親から好かれなくたって、別にいいじゃない」

沙醐は小さな声で付け加えた。


 それから、おもしろそうに迦具夜とカワ姫の掛け合いを見物している一睡に言った。

 「取り合えず、師直さまに、和歌を贈るように説得してみて下さい」


「なんでマロが」

心外というように、一睡は膨れた。恐らく、めんどうくさいのだろう。


「だって、顔見知りだし」

「沙醐だって顔見知りじゃないか」

「私の身分では、そのようなことは申し出せません」

「でも、マロだって、師直の体とは、あの時が初対面だし。それに、腰が抜けた奴を放り出して来ちゃったじゃないか」

「しっ!」


沙醐は、漂の君を気にして、制した。「生霊にまでなって恋に悩む貴公子」のイメージを大切にしなければならぬ。


 一睡は、不服そうに、さらに言い募った。

「それに、マロは、まだ子どもだから、色恋のことはよくわからない」


「都合のいい時にばかり、子どもぶって……」

沙醐は呆れた。


 しかし一睡は、ケほども気にした様子はない。うっとりと無遠慮に、漂の君を眺めている。

「それより、見てよ、なんて美しい生き須玉だろう。完璧な人型をしてる。この上は、永遠に苦悩とやらを続けてもらって、マロの至高のコレクションのひとつにしたい」

「一睡さま!」

「じょ、冗談だよ、冗談。でも、そういうことなら、百合根に頼んだらいいんじゃない? 根回し的なことなら、大の得意だから」

「百合根さま……」


なるほど、考えてもみなかった。

確かに、デリケートの男女のことなら、一睡や姫たちよりも、世慣れた百合根の方が適役かもしれない。


 問題は……。


 「百合根、ゆりねー!」

一睡が蛮声を張り上げ、迦具夜とカワ姫が、はっとしたようにこちらを見た。


「なんでございますかー」

間延びした声が戻ってきて、筋張った指が垂れた布を押し上げた。

「あらまあ、皆さん、お揃いで。何か楽しいご相談?」


 百合根はぐるりと一同を見渡し、漂の君の上に目を止めた。

 ゆっくりと息を吸った。

 そして、そのまま、ひっくり返った。

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