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澤の蛍  作者: せりもも
10/32

蛍邸 ― その10

「さてと。もう少し先までいってみませんかな」


 再び師直(もろなお)に肩を貸し、立派な庭園の中をよろよろと歩く。


「師直殿は、どの木がお好きですかな。やはり、桜でしょうか」

「桜の花は、私には派手過ぎます。いつの間にやら盛りを迎え、地味に長く咲く、桃の花が好きですね」


「長く」は、「百歳(ももとせ)」など、「桃」と同じ読みをする「(もも)」を踏まえている。

これまた、雅な表現である。

沙醐は、再び感心する。


 それにしても、師直の体は、重い。柔らかくて、捉えどころがない。もう少し、鍛えた方がいいのではないか。


 「なるほど、桃の方が大きくてうまいですしね」

一睡が、見当外れの感想を、述べた。


 師直は足をもつれさせ、なかなか前へ進めない。

 身軽な一睡はどんどん先に行ってしまった。


 「庭を歩くのは、久しぶりです」

息を切らせながら師直が言う。

「はあ」

いらいらしながら沙醐は答えた。


 師直の体臭がきついのだ。息が切れているのに、思い切り呼吸するのがためらわれる。

 だいたい、女の肩を借りなければ歩けないなんて、ちょっと、まずいんじゃないか。そう言いたかった。

 しかし、身分が高く、教養豊かな貴公子に、そのような野卑な暴言は許されよう筈もない。


「あなたとは、どうも、初めて会った気がしない」


「ばっちり、初対面です」

短く沙醐は答えた。

 沙醐の知り合いの中には、体の具合が悪いわけでもないのに、一人で歩けないような、なよなよとした男はいない。


「あなたは、なにか、とても懐かしい……」

師直が言いかけた時、

 「おおい、こっち、こっち」

一睡が呼んでいる。


見ると、桃の木の下に座り込んで、みずみずしい果実にかぶりついている。


 「ほほう、見つけなさいましたか」


微笑を含んで師直が言う。


「水蜜桃ですな」

「水蜜桃です」


師直と一睡は微笑みを交わす。

 重い荷物をここまで担いできて、沙醐は、喉が渇いていた。

一睡の食べている桃から目が離せない。


 「師直殿、ここに縄が吊ってあります。ここにお首を差し入れられたら、下賎の者の肩にすがらなくても、よろしうございますよ」


誰が下賎の者だよ。沙醐は心の中で毒づいた。


 「おお、ごくろうさんだったねえ」


師直は素直に、垂れ下がった丸い輪の中に首を掛けようとするが、少し高すぎる。


 「ほら、この桶の上に乗って」


どこから拾ってきたのか、一睡が、丸い桶を逆さにして差し出す。


「何から何まですまないねえ。どれ、どっこい、しょ、っと」

師直は桶によじ登り、縄に首を差し入れた。


 その時、一睡が、桶を蹴飛ばした。


 縄がぐっとしまる。


 「うぐっ、ぐぐぐっ」


師直の顔がみるみる紅潮していく。


「ひえぇぇぇー! 一睡さま、何を……」


考えるより先に、体が反応していた。

 沙醐は慌てて師直の体を下から抱き上げ、首に掛った縄をたるませた。


 「ほら、首をお出しなさい!」


師直は両手をばたばたさせる。

暴れられると、沙醐は、腕がちぎれそうだ。


「そうじゃないの、首から縄を外すのよ、あんたの両手は自由なんだから!」


もはや身分どころではない。沙醐はどなりつけた。


 ようやく、師直が首に巻きついた縄を外した。

 沙醐は力を抜いた。

火事場の馬鹿力を出し切ってしまったのだ。

 支えを失って、師直の体が、どさりと地面に落ちた。


「うっ。腰が……」

「腰くらいなんなのよ……」


危うく死ぬところだったではないか。


 「そうだぞ、沙醐、乱暴だぞ」


一睡がはやし立てる。


「乱暴ってねー!」

沙醐は、一睡を睨みつける。その手に、短刀が握られているのを見て、ぎょっとした。


 一睡は、素早く身を躍らせ、倒れている師直の首筋に短刀を突きつけた。


 「どうも今日は仕損じる。師直殿、あいすまぬのう、手際が悪くて」


状況がわかっているのかいないのか、師直は、目を白黒させているばかりだ。


 「実を申すとな、マロは、血が出るやり方が、一番好きなんだ。沙醐、お前は、初めて見るんだろ?」

「一睡さま、何を申されます!」


 もはや、何が何だか、わけがわからない。ナントカに刃物というやつだ。とにかく、なだめなければ、と思った。


 「この辺りを切るとね、血が、それはそれは激しく飛び散るんだ。なんといったらいいか、まるで、抑えられていた流れが、一気に開放され、喜び躍り出るよう。身の丈くらいは、軽く飛ぶよ。赤くてね、それはそれは赤くて……」

師直の首筋を、うっとりとした目で見据え、一睡が言った。

妖しい目つきに変わっている。


 「一睡さま、刃物はなりませぬ。ほら、血は、お着物が汚れます」


自分でも、妙な言い草だと思ったが、異常事態にフリーズしてしまって頭が働かないのだから、仕方がない。


「心配は要らないよ。百合根が洗ってくれるから」

「って、そういう問題じゃありません!」

「フヒーィ、沙醐とやら、助けてたも」


今頃我に返ったのか、師直が哀れな声で助けを求める。


「ほら、師直さまが、助けてくれって」

「血が噴き出すやり方は、好みじゃない?」


一睡が心外そうに首を振った。


「あの噴き出す血の優美さは、雨上がりの虹の架け橋にも似て、一瞬の生命の美の極致というか……」


 その後に残るのは骸でしかないというのに、生命の美の極致はないものだ。

 沙醐は呆れた。


「師直さま、ほら、なんとかおっしゃって!」

「た、助けて……」

「では、他の方法を考えようか」


一睡は、短刀を鞘に収めた。

 沙醐は素早くそれをひったくった。


「あ、何をする……」

「こんなものを、子どもが持つもんじゃありません」

「マロをコドモ扱いしたな!」

「だって、コドモじゃありませんか」

「マロがコドモなんじゃない、そなたが、ババァなんだ」

「ババァですって!」


沙醐は柳眉を逆立てる。


「ま、迦具夜やカワよりは若いかもしれないけど」


 「た、助かった……」

首をもたげたが、腹筋が足らず、師直は、起き上がることができない。

あいかわらず、地面に横たわったまま、じたばたしている。


「池や木に掛けた縄とか、さっきからずっと、この人を、殺そうとしてません?」


沙醐は問いただした。


「あれ、気がついてた?」

「気がつかないわけ、ないじゃないですか」

「そんなにロコツだった?」


「わ、わしを、殺そうと……」

師直が、か細い悲鳴を上げる。


「あんた、何か殺されるようなこと、したの」

「なにも……」

「コヤツは、悪いことのできるタマじゃないよ」


ひとごとのように一睡が言う。


「で、投身と首吊りは失敗、流血もダメ、そうすると、残りの選択肢はあまりないねえ。師直殿、どうする?」

「た、助けて……」

「助けてって、言ってますよ」

「助けてとは、人聞きが悪い。コヤツが死にたいと本音で語ったからこそ、マロは、手助けしようとしているのに」

「嘘。この人、死にたくないみたいじゃありませんか」


現に今、助けを求めている。


「嘘ではない。ゆうべ、糺の森(ただすのもり)で出会った時、確かにそう言ってた」

「ゆうべ……。糺の森……」

「そう。あんた、生霊(いきりょう)になって、さ迷っていたじゃないか。とても辛い恋をした。叶う望みはない。もはや、生きていたくない、と、言ったんじゃないか」

「……」


師直は黙り込んだ。


 沙醐は、はっと思い当たった。

「すると、さきほどの、あの、白い玉……イキスダマの主は……」

「そう。橘師直、こいつだよ」

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