『電車の中で』
風紀委員の朝は早い。午前六時に起床、三十分で朝の一連の行動(顔洗い、朝飯、歯磨き、着替え、学校の準備)を終え、スクールバッグ片手に家を飛び出す。
「行ってきます!」
春の柔らかな風を胸いっぱいに吸い、人通りの少ない朝の住宅街で声を張り上げる。
「学園の風紀は、俺が守る!」
申し遅れた。俺の名前は五条守。平望学園の二年生で風紀委員をやっている。風紀委員には去年から所属しているのだが、去年の行いが評価され、今年、俺は晴れて委員長に任命された。そして今日は委員長になって初めての活動日だ。その為あまりにもテンションが上がってしまい、先程のような浮ついた行動に至ったというわけだ。風紀委員に対する俺の思いは強い。俺は子供の頃から、警察官であり男手一つで育ててくれた父に憧れており、父の背を見て育った俺は正義感溢れる人間に育った。だから、風紀委員はまさに俺にとっての天職とも言えるのだ。まあ俺の話をだらだら話していても退屈なだけだし、とりあえずこの辺にしておこう。
学園までは電車で三十分。立地よし、設備よし、校風よしの平望学園は、まさに俺が通うために設立されたと言っても過言ではないだろう。高校受験の際、第一志望にこの学園が挙げられるのは、もはや必然だった。
駅に着くと、定期で改札を通過し、ジャストタイミングで到着する電車に乗り込む。家を出る時点から計算されているこの見事な時間調整は、去年一年間の通学経験の賜物だ。
電車の中では、よくある顔ぶれがちらほら。ほら、通勤通学の際、いつも同じ車両に乗る癖ってあるだろう? だから自然とメンバーも固定されてくる。
俺は車両の中ほどまで移動し、吊皮を掴む。電車に乗っている間はいつも、手帳を開き一日のスケジュールをチェックする。去年までは風紀委員の雑用しか仕事がなかったのだが、今年はやたらと仕事が増え、それがまた遣り甲斐を感じさせる。風紀委員は、俺を含めて六人。この学校の風紀委員は各学年三人体制で、一年生がまだ入ってないこの時期は二年生と三年生で仕事を行う。一年生が入ると同時に三年生が任期を終えるので、実質六人という形が維持される。
何駅か過ぎた頃の事だった。茶髪を肩まで垂らした一人の少女が乗ってきた。
ウチの制服か……?
普段見掛けない子だったので、何となくその子が気になった。
その駅は比較的大きな駅で、乗り降りが激しく、その少女は後ろから乗り込んでくるサラリーマンに押され、俺のすぐ隣まで押し込まれて来た。
むう、この少女が電車で犯罪に会う可能性。痴漢、スリ……と、そんなものか。だが大丈夫、風紀委員である俺が隣にいる限り、ウチの生徒に手出しはさせない。
俺は一人で拳をグッと握り、自分の胸に押し当てた。
特に事件は起こらず、そろそろ学園の最寄り駅に着くだろう頃の事だった。
少女に動きが見られた。何やらもぞもぞもどかしく動いている。さすがに気になったので、さりげなく少女の方を見た。
なんと、その少女は、隣のサラリーマンの尻を触っていた!
目を疑った。そりゃあ、誰だって目を疑うだろう。何せ、その少女は痴漢される側でなく、する側の人間だったのだから。まさかこんなに可愛い子にこんな性癖があるなんて。
……ショックだ。初日の朝からひどいもの見せやがって……。俺のやる気を返せ!
電車はようやく目的の駅に着いた。平望学園の生徒は皆ここで降りるので、この駅では雪崩のように人が降りる。俺はその少女の後ろに付いて行き、混雑した電車から降りる。
すると、少女はさっきサラリーマンの尻を触っていた方の手を後ろに回した。
見ると、そこに握られていたのは、一つの黒い長財布。
そして俺は全てを悟った。この少女、サラリーマンのおっさんに痴漢してたわけじゃない、スリをしていたのか!
早足で歩くその少女に、あわてて声をかける。
「おい、そこの君」
少女は振りかえり、俺の目をチラと見る。
そして、穏やかでない俺の様子を察すると、血相を変えて一目散に逃げ出した。
「あ、おい!」
急いで追いかけようとしたが、道行くサラリーマンに思いっきり激突してしまう。
「な、何なんだ君は!」
「す、すいません……」
辺りを見回すと、もうそこに少女の姿はなかった。
「くそっ……」