忘却少女とその些細な末路
――あなたの能力は。
この言葉はこの国における最も重要な言葉だった。
十歳となると同時に与えられる神様からの祝福。
侯爵家の三女として生まれたアイリアのそれは『忘却』だった。
「忘却?」
幼いアイリアが神殿の司祭に尋ねると彼は張り付けた笑みを優しく浮かべながら答える。
「はい。どうやら人々が忘れたものを自由に動かせる……という能力のようです」
一番目の姉は『神算』だった。
卓越した知恵からもたらされる様々な計算――もとい謀を用いて当家に利益をもたらし続けている。
二番目の姉は『慈愛』だった。
まるで聖女の如しと評される愛――それを用いて一番目の姉の謀で得た幸福を人々に還元している。
二人の姉のお陰でアイリアの家は実に裕福だった。
なにせ、神算による謀で得られた益を慈愛によって還元することで可能な限り敵を作らずに生きていたから。
見方を変えるならばこの二人によって完成していたのだ。
故にアイリアが妙な祝福を受けたことを知った両親は特別落ち込むこともなく笑うばかりだ。
「構わない。全ての人々に偉大な能力が宿るわけでもないのだから」
父の言葉がチクりとアイリアの胸を刺す。
「ええ。多くの人々は能力を活かすことなく生きているのだから。私は優しい人に育ってくれたならそれでいいのだから」
母の抱擁が心の奥底に痛みを沈ませる。
深く。
*
手に入れた能力はあまりにも使いどころがない。
そもそもがアイリア自身もどのように使えば良いのか分からないくらいだった。
「奥様にいただいた指輪がない」
そう言って慌てているメイドが居た。
その言葉を聞いたアイリアの脳裏にタンスの影に落ちている一つの指輪が浮かぶ。
克明に。
まるでその場に居るかのように。
おそらくは何かの表紙にそこに置き、いつの間にか転がり落ちたのだろう。
「あっ」
自身の能力を思い起こしたアイリアはそのまま小さく手を握る。
すると掌に固い感触が当たり、指輪がそこに出てきた。
「ありがとうございます。お嬢様」
指輪を返すとメイドは涙を流して喜び、事態を聞いた両親も姉たちもアイリアの能力を誉めてくれた。
それらの言葉を聞きながらアイリアは何となしに自分の行き先を想起していたのかもしれない。
家族が笑顔で誉めてくれたあの日。
アイリアは『役に立つ』ことと『認められる』ことは別のものなのだと知った。
姉たちが与えてくれる栄光の輪の外側に自分はいるのだと。
二人の姉により栄える当家。
居場所がないわけではない。
誰かと仲が悪いわけでも、不満があるわけでも――。
それなのにアイリアは十五歳の歳を数える頃に出奔同然に家を出た。
「世界を見てまいります」
そう告げると家族は何度か止めたが最終的にはアイリアの意思を尊重した。
様々な場所に居ようとも手紙は何度か届いたがそれも年を追う毎に届かなくなり、やがてアイリアの方からも手紙を出すのをやめてしまった。
数年の旅の後、アイリアが居ついた場所は港町だった。
様々な人間が行き交うこの場所では無くしものは数えきれないほどあり、それを探し求める人の数もまた同じだけ存在していた。
「アイリアさん。探し物をしているのですが……」
港町に住む者達ならば誰でもアイリアの事を知っている。
困ったときに頼れば探している物がすぐに見つかることも知っている。
しかし、彼女が元々は侯爵家の三女であることは誰も知らない。
この港町でアイリアは小さな家を買い、その日を細やかな暮らすことに終始していた。
生きているのか、死んでいるのか。
その事実さえも曖昧に感じるような穏やかな日々。
アイリアは港町で自分と性格の合う青年と出会い恋に落ちて結婚をした。
子供を産んで、子供を育てて、子供を見送り、そして子供と夫に見送られて生涯を閉じた。
細やかで幸福な人生だった。
少なくともアイリア自身はそう本気で信じていた。
故郷で起きた戦争も。
度々国で流行った疫病も、飢餓も。
そのいずれもがアイリアの人生に無関係であったのは。
人々から忘れられた彼女が細やかな幸せを願い、彼女自身がいつしか忘れていた『忘却』の能力が叶えたのだと知る者はこの世界にはもう誰も居ない。
――港町では今日も静謐な波の音が響くばかり。




