モラハラ王子が酷いので私好みに調教いたします
「君のためを思って言っているんだ、エレナ」
王太子レオナルド殿下は、今日もたいへん涼やかな顔で最低の言葉を口にした。
王宮の庭園、白薔薇が咲き誇る午後のお茶会である。
出席者は、私こと公爵令嬢エレナ・フィオリス、王太子レオナルド殿下、そして殿下のお気に入りである男爵令嬢ミーナ様。
他にも貴族令嬢たちが数名いたが、皆、すでに目が死んでいた。
理由は簡単。
殿下のお説教が、朝の鐘から昼の鐘まで続いているからである。
「君は少し気が強すぎる。王妃になる女性は、もっと柔らかく、しなやかで、僕を立てるべきだ。ミーナを見なさい。彼女はいつも僕の言葉を素直に聞いてくれる」
ミーナ様は、隣で曖昧に微笑んでいる。
違う。
彼女は素直なのではない。
反論すると話が長くなるから、魂を半分ほど椅子の背もたれに預けているだけだ。
「殿下」
私は静かにティーカップを置いた。
「ひとつ確認してもよろしいでしょうか?」
「何だい。君のそういう理屈っぽいところも、僕は直してあげたいと思っているんだ」
「それです」
「何がだい?」
「今の一文だけで、減点が三つございます」
私はテーブルに置いたベルでチリン、と合図をすると、側仕えの侍女は手に持っていた小さな黒板を表に返した。
黒板には、すでに白墨でこう書かれていた。
『第一回 王太子殿下モラハラ矯正講座』
庭園が静まった。
鳥の声だけがやけに明るい。
「エレナ。これは何の冗談だい?」
「冗談ではございません。講座です」
「僕を誰だと思っている」
「教材です」
殿下が顔を顰める。
「エレナ。そういう態度がいけないんだ。君は僕の婚約者なのだから、僕に恥をかかせるような真似は」
「はい、ストップ」
私は白墨を手に取って、こう綴った。
『一、恥をかかせるな=自分の不快感を相手の責任にする発言』
「殿下。これは責任転嫁でございます」
「責任転嫁?」
「はい。殿下が今恥ずかしいのは、私が黒板を用意したからではありません。黒板に書かれると困るような発言を、殿下が普段からなさっているからです」
「……君は本当に口が達者だな」
「はい、二つ目」
『二、口が達者=反論できない時に相手の性格のせいにする発言』
「殿下。内容に反論できない時、相手の人格や話し方を責めるのはおやめください」
「僕はそんなつもりで言ったわけじゃない」
「三つ目」
『三、そんなつもりじゃない=結果への責任を回避する便利な呪文』
かっかっ、と白墨の音が響く。
殿下は口を開けたまま固まった。
実に珍しい。
いつもなら、このあたりで声量が三倍になっている。
「本日は、殿下のモラハラ発言をひとつずつ採取し、分類し、矯正いたします」
「採取……?」
「ご安心ください。命に別状はございません。多少、尊厳が削れるだけです」
「それは安心していいのかい?」
「殿下が日頃から周囲になさっていることです」
ミーナ様が小さく拍手した。
殿下が彼女を見る。
「ミーナ?」
「あっ、いえ、その……虫が」
「拍手したように見えたが……」
「気のせいですわ」
ミーナ様もなかなか肝が据わっている。
私は侍女に目配せすると、今度は銀盆を運んでくる。
盆の上には、小さな札が何枚も載っていた。
『君のため』
『普通は』
『女のくせに』
『僕を怒らせるな』
『君は変わった』
『昔は可愛かった』
『冗談だよ』
『泣けば済むと思うな』
庭園にいた令嬢たちの目が、じわじわと光を取り戻していく。
「こちらをご覧ください。どう思いますか?」
「悪意があるね」
「殿下の口癖を忠実に書き写しただけです」
「記録していたのか」
「婚約して八年でございますので」
「怖いな、君は」
「はい、四つ目」
『四、怖い=相手が記録と反論を始めた時に使う被害者ぶり』
「待ってくれ。何を言っても黒板に書かれるじゃないか」
「学習が早くて何よりです」
「僕は王太子だぞ」
「五つ目」
『五、僕は王太子=論理が尽きた時の身分カード』
「違う! 今のは違う!」
「では、どういう意味で?」
「……僕は、王太子だから」
「ほう?」
「……ええと」
「続きは?」
「……発言には、気をつけるべきだな」
庭園がどよめいた。
王太子殿下が、自力で正解にたどり着いた。
奇跡である。
王宮の噴水がいつもより美しく見える。
「素晴らしいです、殿下」
「褒められている気がしない」
「褒めております。ではご褒美です」
私は侍女から小さな焼き菓子を受け取り、殿下の皿に置いた。
殿下は不審そうにそれを見る。
「これは?」
「正しい自己認識ができた時のお菓子です」
「僕は犬か何かかい?」
「犬はもう少し素直です」
ミーナ様が今度こそ吹き出した。
殿下は睨みかけたが、私が白墨を構えると、すっと視線を戻した。
よろしい。
訓練の成果が出ている。
「では次の実践です。殿下、ミーナ様に何か褒め言葉を」
「簡単だ。ミーナはエレナと違って素直で可愛らしく――」
私は黒板を叩くと、かんっ、と良い音がした。
『比較しない』
「……ミーナは、素直で可愛らしい」
「素直とは?」
「僕の言うことをよく聞く」
かんっ。
『服従を美徳にしない』
「……人の話を、落ち着いて聞いてくれる」
「よろしい。では、ミーナ様が殿下の話を聞く理由は?」
殿下はミーナ様を見る。
ミーナ様はにこにこと笑っている。
ただし、目は笑っていない。
「……僕の話が、有益だから?」
ミーナ様はにこにこしている。
目は笑っていない。
「……僕が、王太子だから?」
ミーナ様の笑顔が少し深くなる。
殿下の額に汗が滲む。
「……逆らうと面倒だから?」
ミーナ様が拍手した。
「正解でございます」
庭園中から拍手が起こった。
殿下は傷ついた顔をした。
「ミーナまで……」
「殿下。私は殿下のことを嫌いではありません」
「ミーナ……」
「ただ、お話が長く、結論が遅く、褒め言葉の九割が自分の気持ちよさのためにできています」
「そこまで?」
令嬢たちが全員頷いた。
殿下はさらに傷ついた顔をした。
私は優しく言った。
「殿下。自覚は矯正の第一歩です」
「矯正という言葉を婚約者に使われるのは複雑だな」
「調教より柔らかい表現です」
「タイトルが最悪だ」
「これまでの人生もだいぶ最悪でしたので、おあいこです」
殿下は黙った。
今までなら、ここで怒っていただろう。
僕を馬鹿にするな。
君のために言っている。
そんな女では王妃になれない。
だが殿下は、言わなかった。
言いかけて、飲み込んだ。
「ただいまの沈黙は大変よろしいです」
「沈黙を褒められたのは初めてだ」
「殿下の場合、沈黙には希少価値がございます」
「君、本当に僕が嫌いなのでは?」
「嫌いなら、ここまで手間をかけません」
殿下が瞬きをした。
その表情から、少しだけ棘が抜ける。
だが、ここでしんみりしてはいけない。
この講座は感動巨編ではない。
調教である。
私は最後の道具を取り出した。
小さな金の鈴である。
「次回から、殿下がモラハラ発言をした場合、この鈴を鳴らします」
「鈴?」
「はい。鳴ったら発言を止め、今の言葉のどこが問題だったか自分で考えていただきます」
「犬ではないか」
「犬は鈴なしでも学びます」
「君は今日、犬への評価が高いな」
「犬は可愛いので」
殿下は諦めたように笑った。
「分かった。やってみよう」
「よろしい」
「ただし、僕にも条件がある」
「何でしょう?」
「僕がちゃんとできたら、焼き菓子をもう一つくれ」
私は少しだけ迷った。
王太子を焼き菓子で釣る。
国家の未来としてどうなのか。
だが、怒鳴るよりはましである。
「よろしいでしょう」
その日から、王宮では時折、ちりん、という鈴の音が響くようになった。
「エレナ、君はもう少し女らしく――」
ちりん。
「……今のは、性別で役割を押しつけた。言い直す。君はもう少し休んだ方がいい。最近忙しそうだ」
「よろしい」
「焼き菓子は?」
「半分です」
「厳しい……」
また別の日。
「ミーナは本当に素直で、誰かさんと違って――」
ちりん。
「……比較した。言い直す。ミーナ、資料をまとめてくれて助かった」
「ありがとうございます、殿下」
「焼き菓子は?」
「今のは一個です」
「やった!」
さらに別の日。
「僕を怒らせる君が悪――」
ちりん、ちりん、ちりん。
「三回!?」
「危険発言です」
「……僕は今、怒っている。だが、怒りの責任は僕にある。少し時間をくれ」
その場にいた宰相が泣いた。
「宰相?」
「殿下が……殿下がご自分の感情を他人のせいにしなかった……!」
「大げさです」
「八年待ちました」
「では、泣いてよし」
宰相は泣いた。
殿下は少し得意げな顔をした。
「エレナ。今のは焼き菓子二個では?」
「得意げになったので一個です」
「やっぱり厳しい……」
後日、王太子殿下の評判は妙な方向に上がった。
以前は、
『顔はいいが話が長い』
『褒めているようで支配してくる』
『声の大きい香水瓶』
などと陰で言われていたが、最近は、
『たまに鈴で止まる』
『反省すると焼き菓子を食べる』
『犬より少し遅いが成長している』
と言われるようになった。
本人は不服そうだったが、私は十分な進歩だと思っている。
そして今日も、王宮の庭園でお茶会が開かれている。
殿下は私の隣に座り、難しい顔で紅茶を飲んでいた。
「エレナ」
「はい」
「僕は、君好みになってきただろうか?」
私は殿下を眺めた。
まだ偉そうで、まだ面倒くさくて、まだ時々言葉を間違える。
けれど、言い直すようになった。
謝るようになった。
そして何より、人の話を聞く時、途中で口を挟まなくなった。
「そうですね」
私は鈴を指先で転がしながら微笑んだ。
「ようやく、飼い主の言葉を聞くようになりました」
「僕は犬か」
「犬ならもっと可愛いです」
「焼き菓子は?」
「今の返しは悪くありません。一つ差し上げます」
殿下は満足そうに焼き菓子を受け取った。
王国の未来は、まだ少し不安ではある。
だが少なくとも、鈴ひとつで止まる王太子なら、止まらない暴君よりはずっといい。
人間、最初から立派でなくてもいい。
けれど、「好き」と言ってしまうにはまだ早い。
だから当分、殿下へのご褒美は焼き菓子だけである。
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