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悪役令嬢と聖女ちゃん

モラハラ王子が酷いので私好みに調教いたします

作者: モコナッツ
掲載日:2026/05/20

「君のためを思って言っているんだ、エレナ」


 王太子レオナルド殿下は、今日もたいへん涼やかな顔で最低の言葉を口にした。


 王宮の庭園、白薔薇が咲き誇る午後のお茶会である。


 出席者は、私こと公爵令嬢エレナ・フィオリス、王太子レオナルド殿下、そして殿下のお気に入りである男爵令嬢ミーナ様。


 他にも貴族令嬢たちが数名いたが、皆、すでに目が死んでいた。


 理由は簡単。


 殿下のお説教が、朝の鐘から昼の鐘まで続いているからである。


「君は少し気が強すぎる。王妃になる女性は、もっと柔らかく、しなやかで、僕を立てるべきだ。ミーナを見なさい。彼女はいつも僕の言葉を素直に聞いてくれる」


 ミーナ様は、隣で曖昧に微笑んでいる。


 違う。


 彼女は素直なのではない。


 反論すると話が長くなるから、魂を半分ほど椅子の背もたれに預けているだけだ。


「殿下」


 私は静かにティーカップを置いた。


「ひとつ確認してもよろしいでしょうか?」

「何だい。君のそういう理屈っぽいところも、僕は直してあげたいと思っているんだ」

「それです」

「何がだい?」


「今の一文だけで、減点が三つございます」


 私はテーブルに置いたベルでチリン、と合図をすると、側仕えの侍女は手に持っていた小さな黒板を表に返した。


 黒板には、すでに白墨でこう書かれていた。


『第一回 王太子殿下モラハラ矯正講座』


 庭園が静まった。


 鳥の声だけがやけに明るい。


「エレナ。これは何の冗談だい?」

「冗談ではございません。講座です」

「僕を誰だと思っている」

「教材です」


 殿下が顔をしかめる。


「エレナ。そういう態度がいけないんだ。君は僕の婚約者なのだから、僕に恥をかかせるような真似は」

「はい、ストップ」


 私は白墨を手に取って、こう綴った。


『一、恥をかかせるな=自分の不快感を相手の責任にする発言』


「殿下。これは責任転嫁でございます」

「責任転嫁?」

「はい。殿下が今恥ずかしいのは、私が黒板を用意したからではありません。黒板に書かれると困るような発言を、殿下が普段からなさっているからです」

「……君は本当に口が達者だな」


「はい、二つ目」


『二、口が達者=反論できない時に相手の性格のせいにする発言』


「殿下。内容に反論できない時、相手の人格や話し方を責めるのはおやめください」

「僕はそんなつもりで言ったわけじゃない」


「三つ目」


『三、そんなつもりじゃない=結果への責任を回避する便利な呪文』


 かっかっ、と白墨の音が響く。


 殿下は口を開けたまま固まった。


 実に珍しい。


 いつもなら、このあたりで声量が三倍になっている。


「本日は、殿下のモラハラ発言をひとつずつ採取し、分類し、矯正いたします」

「採取……?」

「ご安心ください。命に別状はございません。多少、尊厳が削れるだけです」

「それは安心していいのかい?」

「殿下が日頃から周囲になさっていることです」


 ミーナ様が小さく拍手した。


 殿下が彼女を見る。


「ミーナ?」

「あっ、いえ、その……虫が」

「拍手したように見えたが……」

「気のせいですわ」


 ミーナ様もなかなか肝が据わっている。


 私は侍女に目配せすると、今度は銀盆を運んでくる。


 盆の上には、小さな札が何枚も載っていた。


『君のため』

『普通は』

『女のくせに』

『僕を怒らせるな』

『君は変わった』

『昔は可愛かった』

『冗談だよ』

『泣けば済むと思うな』


 庭園にいた令嬢たちの目が、じわじわと光を取り戻していく。


「こちらをご覧ください。どう思いますか?」

「悪意があるね」

「殿下の口癖を忠実に書き写しただけです」

「記録していたのか」

「婚約して八年でございますので」

「怖いな、君は」


「はい、四つ目」


『四、怖い=相手が記録と反論を始めた時に使う被害者ぶり』


「待ってくれ。何を言っても黒板に書かれるじゃないか」

「学習が早くて何よりです」

「僕は王太子だぞ」


「五つ目」


『五、僕は王太子=論理が尽きた時の身分カード』


「違う! 今のは違う!」

「では、どういう意味で?」

「……僕は、王太子だから」

「ほう?」

「……ええと」

「続きは?」


「……発言には、気をつけるべきだな」


 庭園がどよめいた。


 王太子殿下が、自力で正解にたどり着いた。


 奇跡である。


 王宮の噴水がいつもより美しく見える。


「素晴らしいです、殿下」

「褒められている気がしない」

「褒めております。ではご褒美です」


 私は侍女から小さな焼き菓子を受け取り、殿下の皿に置いた。


 殿下は不審そうにそれを見る。


「これは?」

「正しい自己認識ができた時のお菓子です」

「僕は犬か何かかい?」

「犬はもう少し素直です」


 ミーナ様が今度こそ吹き出した。


 殿下は睨みかけたが、私が白墨を構えると、すっと視線を戻した。


 よろしい。


 訓練の成果が出ている。


「では次の実践です。殿下、ミーナ様に何か褒め言葉を」

「簡単だ。ミーナはエレナと違って素直で可愛らしく――」


 私は黒板を叩くと、かんっ、と良い音がした。


『比較しない』


「……ミーナは、素直で可愛らしい」

「素直とは?」

「僕の言うことをよく聞く」


 かんっ。


『服従を美徳にしない』


「……人の話を、落ち着いて聞いてくれる」

「よろしい。では、ミーナ様が殿下の話を聞く理由は?」


 殿下はミーナ様を見る。


 ミーナ様はにこにこと笑っている。


 ただし、目は笑っていない。


「……僕の話が、有益だから?」


 ミーナ様はにこにこしている。


 目は笑っていない。


「……僕が、王太子だから?」


 ミーナ様の笑顔が少し深くなる。


 殿下の額に汗が滲む。


「……逆らうと面倒だから?」


 ミーナ様が拍手した。


「正解でございます」


 庭園中から拍手が起こった。


 殿下は傷ついた顔をした。


「ミーナまで……」

「殿下。私は殿下のことを嫌いではありません」

「ミーナ……」

「ただ、お話が長く、結論が遅く、褒め言葉の九割が自分の気持ちよさのためにできています」


「そこまで?」


 令嬢たちが全員頷いた。


 殿下はさらに傷ついた顔をした。


 私は優しく言った。


「殿下。自覚は矯正の第一歩です」

「矯正という言葉を婚約者に使われるのは複雑だな」

「調教より柔らかい表現です」

「タイトルが最悪だ」

「これまでの人生もだいぶ最悪でしたので、おあいこです」


 殿下は黙った。


 今までなら、ここで怒っていただろう。


 僕を馬鹿にするな。


 君のために言っている。


 そんな女では王妃になれない。


 だが殿下は、言わなかった。


 言いかけて、飲み込んだ。


「ただいまの沈黙は大変よろしいです」

「沈黙を褒められたのは初めてだ」

「殿下の場合、沈黙には希少価値がございます」

「君、本当に僕が嫌いなのでは?」


「嫌いなら、ここまで手間をかけません」


 殿下が瞬きをした。


 その表情から、少しだけ棘が抜ける。


 だが、ここでしんみりしてはいけない。


 この講座は感動巨編ではない。


 調教である。


 私は最後の道具を取り出した。


 小さな金の鈴である。


「次回から、殿下がモラハラ発言をした場合、この鈴を鳴らします」

「鈴?」

「はい。鳴ったら発言を止め、今の言葉のどこが問題だったか自分で考えていただきます」

「犬ではないか」

「犬は鈴なしでも学びます」

「君は今日、犬への評価が高いな」

「犬は可愛いので」


 殿下は諦めたように笑った。


「分かった。やってみよう」

「よろしい」

「ただし、僕にも条件がある」

「何でしょう?」

「僕がちゃんとできたら、焼き菓子をもう一つくれ」


 私は少しだけ迷った。


 王太子を焼き菓子で釣る。


 国家の未来としてどうなのか。


 だが、怒鳴るよりはましである。


「よろしいでしょう」


 その日から、王宮では時折、ちりん、という鈴の音が響くようになった。


「エレナ、君はもう少し女らしく――」


 ちりん。


「……今のは、性別で役割を押しつけた。言い直す。君はもう少し休んだ方がいい。最近忙しそうだ」

「よろしい」

「焼き菓子は?」

「半分です」

「厳しい……」


 また別の日。


「ミーナは本当に素直で、誰かさんと違って――」


 ちりん。


「……比較した。言い直す。ミーナ、資料をまとめてくれて助かった」

「ありがとうございます、殿下」

「焼き菓子は?」

「今のは一個です」

「やった!」


 さらに別の日。


「僕を怒らせる君が悪――」


 ちりん、ちりん、ちりん。


「三回!?」

「危険発言です」


「……僕は今、怒っている。だが、怒りの責任は僕にある。少し時間をくれ」


 その場にいた宰相が泣いた。


「宰相?」

「殿下が……殿下がご自分の感情を他人のせいにしなかった……!」

「大げさです」

「八年待ちました」

「では、泣いてよし」


 宰相は泣いた。


 殿下は少し得意げな顔をした。


「エレナ。今のは焼き菓子二個では?」

「得意げになったので一個です」

「やっぱり厳しい……」


 後日、王太子殿下の評判は妙な方向に上がった。


 以前は、


『顔はいいが話が長い』


『褒めているようで支配してくる』


『声の大きい香水瓶』


 などと陰で言われていたが、最近は、


『たまに鈴で止まる』


『反省すると焼き菓子を食べる』


『犬より少し遅いが成長している』


 と言われるようになった。


 本人は不服そうだったが、私は十分な進歩だと思っている。


 そして今日も、王宮の庭園でお茶会が開かれている。


 殿下は私の隣に座り、難しい顔で紅茶を飲んでいた。


「エレナ」

「はい」

「僕は、君好みになってきただろうか?」


 私は殿下を眺めた。


 まだ偉そうで、まだ面倒くさくて、まだ時々言葉を間違える。


 けれど、言い直すようになった。


 謝るようになった。


 そして何より、人の話を聞く時、途中で口を挟まなくなった。


「そうですね」


 私は鈴を指先で転がしながら微笑んだ。


「ようやく、飼い主の言葉を聞くようになりました」

「僕は犬か」

「犬ならもっと可愛いです」

「焼き菓子は?」

「今の返しは悪くありません。一つ差し上げます」


 殿下は満足そうに焼き菓子を受け取った。


 王国の未来は、まだ少し不安ではある。


 だが少なくとも、鈴ひとつで止まる王太子なら、止まらない暴君よりはずっといい。


 人間、最初から立派でなくてもいい。


 けれど、「好き」と言ってしまうにはまだ早い。


 だから当分、殿下へのご褒美は焼き菓子だけである。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
長く続いたちょっとした生き地獄(無間地獄系)を一時の生き地獄(八寒地獄 第1~第5系)で返すのが面白かったです。 多分その根底にちゃんと愛があったのが一番素敵でした♪
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