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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: U3
【第1章】 社畜、悪魔と契約する

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第2話 退職届はダマスカス鋼で

 ウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!


 遠くから、パトカーのサイレン音が聞こえてくる。それも一台や二台ではない。まるで夜の東京中の警察車両が集まってきているような騒がしさだ。

 無理もない。六本木の高層ビルの24階で爆発騒ぎを起こし、窓ガラスを吹き飛ばしたのだから。


 隣の雑居ビルの屋上で、俺は、コンクリートの床に仰向けになったまま、ぼんやりと夜空を見上げていた。

 全身の筋肉が悲鳴を上げている。指一本動かせないほど疲弊しているのに、心臓だけが早鐘を打っていた。


「……夢、じゃないよな」


 頬を撫でる夜風の冷たさが、これが現実であることを容赦なく突きつけてくる。

 俺は会社を辞めた。

 いや、「辞めた」なんて穏やかな言葉で表現していいものだろうか。どちらかと言えば「脱獄」に近い。


「サトル、いつまで寝てるの? ここに警察が来るまであと3分よ」


 頭上から降ってきたのは、この事態を引き起こした張本人――青木裕里子の呆れたような声だった。

 彼女は屋上の縁に腰掛け、優雅にタバコを吹かしている。眼下で起きている大騒動など、まるで他人事のようだ。


「3分……!? に、逃げないと……」

「そうね。でも、あんたのその足じゃ、階段を下りるだけで日が暮れそう」


 裕里子は吸い殻を携帯灰皿に収めると、懐から小型の無線機を取り出した。


『回収班、到着まであと何秒?』


 短い問いかけ。無線機から、ノイズ混じりの陽気な声が返ってくる。


『Just now! 上を見て、ボス!』


 上?

 俺が視線を巡らせた瞬間、夜空から強烈なハイビームが降り注いだ。


 バババババババッ!


 プロペラのような回転音が空気を切り裂く。ヘリコプターか?

 いや、違う。

 屋上のフェンスギリギリの高さに現れたのは、巨大なドローンだった。家庭用のラジコンなんてものではない。人がぶら下がれそうなほどごつい産業用ドローンだ。それが4機、編隊を組んで飛んでいる。

 そして、その下にはワイヤーで吊り下げられたゴンドラ――というよりは、工事現場で使うような鉄製のケージが揺れていた。


「え、なにこれ」

「タクシーよ。乗りなさい」


 裕里子は俺の襟首を掴むと、有無を言わさずケージの中に放り込んだ。

 ガシャーン! と無骨な音がして、俺は鉄格子の床に転がる。


「ちょ、これドローンですよね!? 人間乗せて飛ぶやつじゃないですよね!?」

「重量計算はギリギリ合ってるはずよ。落ちたらごめんね」

「ごめんで済むかァァァッ!」


 裕里子も軽やかにケージに飛び乗ると、無線機に向かって合図を送った。


「回収開始」


 浮遊感。

 次の瞬間、俺たちの乗った鉄の檻は、東京の夜空へと吸い込まれていった。


 死ぬかと思った。

 いや、三回くらい死んだ気がする。


 ビルの谷間を縫うようなアクロバティックな空中遊泳を経て、俺たちが着地したのは、港湾エリアにある古びた倉庫街の一角だった。

 ドローン部隊が去っていくのと入れ替わりに、一台の真っ黒なハイエースが猛スピードで滑り込んでくる。タイヤがアスファルトを削り、白煙を上げてドリフト停車した。


「ハ〜イ! ボス、サトル・サン! 無事生還おめでとう!」


 運転席から飛び出してきたのは、モデルのようにスタイルの良い金髪の美女だった。

 年齢は20代半ばだろうか。パーカーにショートパンツというラフな格好で、首には大きなヘッドフォンをかけている。

 彼女は俺を見るなり、キラキラした笑顔で抱きついてきた。


「ワオ! あなたが噂の『伝説の社畜』ね! 顔色が死体みたいでクールだわ!」

「……えっと、誰?」

「私はアストリッド! このチームの天才ハッカー兼ドライバーよ。よろしくね、サトル・サン!」


 アストリッドと名乗った彼女は、俺の背中をバシバシと叩く。痛い。骨が折れそうだ。

 裕里子がため息交じりに口を挟む。


「アス、遊んでないで早く出しなさい。Nシステムに引っかかるわよ」

「了解! さあ乗って! 私の『北欧の風』を見せてあげる!」


 俺は再び、今度はハイエースの後部座席に荷物のように放り込まれた。

 車内は外見とは裏腹に、モニターやサーバー機材が所狭しと並んだ移動司令室のようになっていた。

 アストリッドがハンドルを握ると、車はロケットのような加速で走り出した。


「うおぉっ!?」


 シートベルトがなければ即死だっただろう。

 車は首都高に乗り、夜の闇を切り裂いていく。

 俺は揺れる車内で、隣に座る裕里子に問いかけた。


「あ、あの……俺たち、どこに向かってるんですか?」

「あんたの新しい職場兼、自宅よ」

「職場……」


 その言葉を聞いて、ふと我に返る。

 そうだ。俺はあの会社を辞めたんだ。

 もう、あのデスクに戻ることはない。


「……本当に、退職できたんでしょうか」


 不安が胸をよぎる。

 権田部長は激怒していた。明日になったら、警察に通報して、俺を指名手配にするかもしれない。あるいは、実家にまで押しかけてくるかもしれない。

 そんな恐怖に震える俺を見て、裕里子は懐から一枚の紙を取り出した。


「心配ないわ。これを見て」


 それは、スマートフォンで撮影された写真のプリントアウトだった。

 写っていたのは、破壊されたオフィスの床。

 コンクリートの基礎まで深々と突き刺さった、あの金属板――ダマスカス鋼製の退職届だ。


「さっきのアクションで、現場検証が始まる前にドローンで撮影させたの」

「こ、これは……」

「見て、ここ」


 彼女が指差した先。

 金属板の横には、腰を抜かして失禁している権田の姿と、彼の手からこぼれ落ちたであろうハンコが転がっていた。

 そして偶然か、奇跡か。

 飛び散ったインクが金属板の『決裁者印』の欄に、赤いシミを作っていた。


「見事な捺印ね。これで退職は法的に……まあ、物理的に受理されたとみなすわ」

「物理的すぎるでしょう……」

「それに、あの退職届には細工がしてあるの」


 裕里子は悪戯っぽく笑う。


「あの金属板、内部に大容量のメモリチップが埋め込んであるのよ」

「メモリ、ですか?」

「ええ。中身は特大の爆弾よ。一つは、アストリッドが会社のサーバーから抜き出した、過去3年分の違法な勤怠改ざんログと裏帳簿のデータ」


 彼女は運転席のアストリッドを親指で示した。アストリッドがVサインを送ってくる。


「そしてもう一つは、依頼を受けてから今日までの72時間、あんたのスマホのマイクをハッキングして録り溜めた音声データ」

「えっ、俺のスマホを?」

「上司からの罵声、深夜のオフィスに響くため息、そしてあんたの『死にたい』という独り言……。この3日間の地獄が、全部高音質で記録されてる。警察がこれを証拠品として押収して解析すれば、あの会社がどんな労働環境だったか、一発でバレるわね」


 俺は絶句した。

 あの金属板は、ただの退職届じゃなかった。

 俺の3年間の地獄を裏付けるデータと、直近3日間の決定的な証拠音声を詰め込んだ、巨大な告発状だったのか。

 置いてきたんじゃない。あれは、あそこに「在り続ける」ことで意味を持つ墓標なのだ。


「……すごい」

「でしょ? 素材費20万、加工費諸々で50万。高いけど、いい仕事するわよ」

「だからって、100万請求されるのは納得いきませんが……」


 抗議しようとしたが、急激な眠気が襲ってきた。

 緊張の糸が切れたことと、車の振動、そして何より「もう戦わなくていいんだ」という安堵感が、俺の意識を強制的にシャットダウンしようとしていた。


「寝ていいわよ、サトル。着いたら起こしてあげる」


 裕里子の声が、遠く聞こえる。

 その声は、心なしか少しだけ優しかった気がする。

 俺は泥のように深い闇へと落ちていった。


 鳥のさえずりで目が覚めた。

 電子アラームでも、上司からの着信音でもない、本物の小鳥の声だ。


「……ここは?」


 重いまぶたを開けると、そこは見知らぬ天井だった。

 高い天井にはアンティーク調のシャンデリアが吊るされ、窓からは柔らかな朝の光が差し込んでいる。

 俺はふかふかのベッドに寝かされていた。シーツからは高級な洗剤の香りがする。


 天国か?

 過労死して、天国に来たのか?


「お目覚めかしら、眠れる森の社畜くん」


 部屋の隅にある一人掛けのソファから、凛とした声が聞こえた。

 声の主を見て、俺は思わず居住まいを正した。


 そこには、一人の女性が座っていた。

 黒髪のロングヘアを無造作にかき上げた、知的な美女だ。年齢は30歳前後だろうか。仕立ての良いスーツを着こなし、手には分厚い六法全書を持っている。

 ただ、その美しい顔には、冷ややかな侮蔑の色が浮かんでいた。


「あ、あの……あなたは?」

「福田由希。この組織の顧問弁護士よ」


 由希と名乗った女性は、六法全書をバタンと閉じると、俺のベッドサイドまで歩み寄ってきた。

 そして、一枚の書類を突きつける。


「遠藤悟さん。貴方の退職手続きは、先ほど完了しました。未払い残業代842万円、および慰謝料300万円の請求内容証明を会社に送付済みです。相手方は全面的に非を認め、支払いに応じる意向を示しています」


 淡々とした口調だったが、内容は衝撃的だった。

 一晩寝ている間に、全てが終わっていた?

 842万? 慰謝料?


「す、すごい……ありがとうございます! これで借金も返せるし、当面の生活費も……」

「ええ。よかったわね」


 由希はにっこりと微笑んだ。

 だが、その笑顔は一瞬で氷点下まで凍りついた。


「……で、こちらが我々『ミッドナイト・エグジット』への支払請求書です」


 彼女はもう一枚の紙を差し出した。

 そこには、目が飛び出るような数字が並んでいた。


 ・基本救出費用:500,000円

 ・危険手当:300,000円

 ・特注退職届作成費:200,000円

 ・ビル修繕積立金:1,500,000円

 ・ドローン使用料:400,000円

 ・逃走車両ガソリン代:50,000円

 ・弁護士成功報酬:3,426,000円

 ・その他諸経費:……


「合計、680万円になります」


「はあああああああああ!?」


 俺はベッドから転げ落ちそうになった。

 680万?

 回収した残業代と慰謝料の半分以上が持っていかれる計算だ。いや、手元に残る額はあるが、それにしても暴利すぎる。


「ちょ、ちょっと待ってください! 窓ガラス代ってなんですか! あれ割ったの裕里子さんですよね!?」

「ええ。ですが、業務遂行上の必要経費ですので、依頼人負担となります」

「そんなどこぞの悪徳リフォーム業者みたいな!」

「文句があるなら、元の会社に戻りますか? 今ならまだ、権田部長に『全部夢でした』と土下座して戻るコースも用意できますが」


 由希は冷徹な眼差しで俺を見下ろす。

 元の会社に戻る。

 その想像をしただけで、全身に鳥肌が立った。死んでも嫌だ。あそこに戻るくらいなら、ここで全財産むしり取られる方がマシだ。


「……は、払います。払えばいいんでしょう」

「賢明な判断ね。……でも、貴方、今すぐ現金で用意できないでしょう?」


 確かに。残業代が振り込まれるのはまだ先だ。今の手持ちは数千円しかない。


「そこで、提案があります」


 由希は背後にある重厚な扉を開けた。

 そこに立っていたのは、エプロン姿……ではなく、いつものレザージャケットを羽織った裕里子だった。手にはなぜか、お玉とフライパンを持っている。


「よう、起きたかサトル。腹減ってるだろ?」

「裕里子さん……」

「この屋敷、広すぎて掃除が行き届かないのよ。それに、アストリッドはジャンクフードしか食べないし、由希は酒しか飲まない。私は料理をするくらいならC4爆弾を解体する方がマシな人間だしね」


 裕里子は俺にフライパンを押し付けた。


「借金680万。身体で返してもらうわよ」

「……へ?」

「今日からここが、あんたの新しい職場。業務内容は、事務、経理、掃除、洗濯、そして――全員分の食事を作ること」


 裕里子はニヤリと笑った。


「歓迎するわ、遠藤悟。ようこそ、『深夜0時の退職代行』へ」


 俺はフライパンを握りしめたまま、呆然と立ち尽くした。

 窓の外には、広大な洋館の庭が広がっている。ここは東京のどこか、地図にも載っていないような場所なのだろう。


 社畜から解放されたと思ったら、今度は怪しい組織の家政夫兼借金奴隷。

 俺の人生、どこで間違えたのだろう。

 でも――。


 キッチンから漂ってくるコーヒーの香りと、アストリッドの笑い声、そして目の前の裕里子の不敵な笑顔を見て、俺は小さく息を吐いた。


「……まずは、朝食のメニューから考えればいいですか?」


 俺の問いに、裕里子は満足そうに頷いた。


「生姜焼きがいいわね。豚肉なら冷蔵庫にあるわよ」

「朝から生姜焼きですか……。まあ、いいでしょう。作りますよ」


 俺は袖をまくり、キッチンへと向かった。

 少なくともここには、理不尽なエラーログも、人格否定の罵声もない。あるのは、法外な借金と、少し変わった同居人たちだけだ。


 こうして、俺の「退職代行」エージェントとしての新しい日々が始まったのだった。

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