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第四話 虚構の崩壊とその後

あの狂乱のパーティーから一週間が過ぎた。

俺、相沢和也は、一時的に借りているウィークリーマンションの一室で、淹れたてのコーヒーを飲みながらノートパソコンを開いていた。

画面には、SNSのトレンドワードが表示されている。

一位:『#虚言DVカップル』

二位:『#ネクストイノベーション解任』

三位:『#真実の公開』


あの日、会場にいた誰かが撮影していたのだろう。俺がスクリーンをジャックし、北条タクミと相沢レイナの悪事を暴露した一部始終が、動画サイトにアップロードされていた。

動画の再生回数は、瞬く間に数百万回を超えていた。


『これマジ? 映画みたいなんだけど』

『旦那さんの冷静な返しがスカッとするわw』

『この男、意識高い系ツイートしてた奴だろ? ブーメランすぎて草』

『女の方もヤバい。親まで騙すとか人間のクズ』


コメント欄は、二人への批判と俺への同情で埋め尽くされていた。

特にタクミのアカウントは炎上状態となり、過去の投稿が次々と掘り起こされていた。「不倫は文化」などと嘯いていた裏垢まで特定され、彼の「若き実業家」としてのメッキは完全に剥がれ落ちていた。


「……自業自得だな」


俺は静かに画面を閉じた。

彼らが望んだ「社会的な抹殺」。その刃は、見事に彼ら自身へと跳ね返ったのだ。

俺のスマホが震えた。弁護士の先生からだ。


「はい、相沢です」

『あ、相沢さん。例の件ですが、あちら側の弁護士から連絡がありました。全ての条件を無条件で受け入れるとのことです』

「そうですか。慰謝料の支払い計画は?」

『一括は不可能とのことで、公正証書を作成した上での分割払いになりますが、かなり無理をしてでも初回の頭金は大きく入れると言っています。そうしないと、彼らはもう身動きが取れない状況ですからね』


弁護士の声は明るかった。

俺は小さく息を吐き出した。これで、法的な決着もついたことになる。


          ◇


その頃、都内某所のオフィスビル。

「株式会社ネクスト・イノベーション」の会議室では、重苦しい空気が流れていた。

長テーブルの端に座らされているのは、北条タクミだ。

かつては役員席にふんぞり返っていた彼が、今は小さくなって脂汗を流している。


「北条くん。今回の騒動による我が社のイメージダウンは計り知れない。株価は暴落し、主要なクライアントからは契約解除の申し入れが相次いでいる」


社長が氷のような声で告げた。

タクミは震える声で弁解を試みる。


「し、社長……あれはプライベートなトラブルでして……仕事とは関係ありません。私が一言、世間に説明すれば誤解は解けます。私はハメられたんです!」

「ハメられた? 被害者のフリをして他人を陥れようとした動画が、世界中に拡散されているんだぞ? これ以上、恥の上塗りはやめたまえ」


社長は一枚の書類をテーブルに滑らせた。


「懲戒解雇通知書だ。退職金は出ない。それどころか、会社が被った損害についての賠償請求も検討している」

「そ、そんな……! 私は創業メンバーですよ!? 私がいなきゃ、この会社の営業はどうなるんですか!」

「君がいなくても会社は回る。いや、君がいる方が迷惑なんだよ。社員たちからも『あんな不道徳な人間と一緒に働きたくない』という嘆願書が出ている」


タクミが周囲を見渡すと、かつての部下や同僚たちは、誰一人として彼と目を合わせようとしなかった。その目は、汚物を見るような冷たさに満ちている。

軽蔑。嫌悪。拒絶。

彼が今まで積み上げてきた(と思っていた)地位と名誉が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。


「荷物をまとめたら、すぐに出て行ってくれ。二度と敷居を跨ぐな」

「ま、待ってください! お願いします! 今、職を失ったら私は……!」

「警備員!」


社長の非情な声と共に、屈強な警備員が二人入ってきた。

タクミは両脇を抱えられ、引きずられるようにして会議室から連れ出された。


「離せ! 俺は北条タクミだぞ! こんな扱いが許されると思ってんのか! クソッ、クソォォォ!!」


廊下に響き渡る彼の叫び声に、社員たちは冷ややかな視線を送るだけだった。

ビルの外に放り出されたタクミは、アスファルトの上に膝をついた。

通り過ぎる人々が、スマホを片手に彼を見てヒソヒソと話している。


「あれ、あの人じゃない?」

「うわ、本当だ。DV捏造男だ」

「マジでいたんだ。キモッ」


タクミは慌てて顔を隠し、逃げるようにその場を去った。

だが、どこへ行っても視線が突き刺さる。世界中が敵になったような錯覚。

これが「社会的抹殺」の味か。

彼は初めて、自分が和也に行おうとしていたことの恐ろしさを骨の髄まで味わっていた。


          ◇


一方、相沢レイナの実家でも、修羅場が繰り広げられていた。

玄関先には、レイナの私物が入ったダンボール箱が無造作に積み上げられている。


「パパ、お願い! 家に入れてよ! 私、行くところがないの!」


レイナはドアにしがみつき、泣き叫んでいた。

だが、ドアの向こうから聞こえてきたのは、父親の怒声だった。


「誰がパパだ! お前のような恥知らずな娘を持った覚えはない!」

「そ、そんな……。パパだって、和也のこと嫌いだったじゃない! 私、パパのためにやったのよ?」

「黙れ! 親の愛情を利用し、親戚の前で泥を塗りやがって……! お前のおかげで、わしは親戚中から笑い者だ。『あんな嘘つき娘をどう育てたんだ』と罵られたわ!」


ガチャリとドアが少しだけ開き、隙間から封筒が投げつけられた。

離婚届だ。


「これに判を押して、さっさと和也くんに送れ。そして二度とこの家の敷居を跨ぐな。戸籍からも分籍させる。お前とは絶縁だ!」

「ママ……ママは味方でしょ? お願い、助けて……」


レイナは母親に助けを求めたが、母親は目を腫らしたまま首を横に振った。


「……情けないわ。あんなに優しかった和也さんを裏切って、あんな男と……。あなたには失望したわ。もう、顔も見たくない」


バタン!

無情な音と共にドアが閉まり、鍵がかかる音が響いた。

レイナはしばらくドアを叩き続けたが、二度と開くことはなかった。


「うぅ……なんで……どうして私がこんな目に……」


レイナは座り込み、途方に暮れた。

雨が降り始める。冷たい雨が彼女のブランド物の服を濡らしていく。

ふと、スマホを見ると、友人たちからのLINE通知が数百件溜まっていた。

心配するメッセージではない。全て、罵詈雑言だった。


『最低』『死ねばいいのに』『二度と連絡してこないで』『あんたのせいで私の評判まで落ちたんだけど』


ブロックされ、グループから退会させられ、彼女の世界は急速に閉じていく。

頼れるのは、もうあの男しかいない。

レイナは震える手でタクミに電話をかけた。


『……なんだよ』


数コールで出たタクミの声は、荒んでいた。


「タクミくん……私、家を追い出されちゃった。今どこ? そっち行っていい?」

『来んじゃねーよ! 俺だって会社クビになって、社宅も追い出されるんだぞ!』

「えっ……クビ?」

『全部お前のせいだ! お前が「DV捏造しよう」なんて言い出さなきゃ、こんなことにはならなかったんだ!』

「はあ? 何言ってんのよ! 計画したのはタクミくんでしょ!? 『社会的に抹殺してやろうぜ』って言ったの、あんたじゃない!」

『うるせえ! この疫病神! お前となんか関わるんじゃなかった!』


プツッ。ツーツー……。

電話が切れた。

レイナはスマホを握りしめたまま、呆然と空を見上げた。

誰もいない。

夫も、親も、友人も、そして不倫相手さえも。

全てを失った。

自分が撒いた嘘の種が、巨大なイバラとなって自分自身を絡め取っていく。

レイナはその場に突っ伏し、誰にも届かない嗚咽を漏らし続けた。


          ◇


それから数ヶ月後。

郊外の古いアパートの一室。

薄汚れた壁、散らかった床。そこには、やつれ果てたレイナとタクミの姿があった。

結局、二人はここに行き着くしかなかった。

タクミは再就職先を探したが、ネットで名前を検索されれば即座に「不採用」の烙印が押される。日雇いのバイトで食いつなぐのが精一杯だった。

レイナも同様で、水商売の面接に行っても「あ、ネットの動画の人ですよね? うちはトラブルお断りなんで」と門前払いされる日々だ。


「おい、飯は? まだ作ってねーのかよ」


安酒を飲んで顔を赤くしたタクミが怒鳴る。


「うるさいわね! お金がないんだから買えるわけないでしょ! あんたがもっと稼いできなさいよ!」

「誰のせいで借金背負ってると思ってんだ! 和也への慰謝料と、会社への損害賠償で俺の人生は詰んでんだよ!」


タクミが空き缶を投げつける。

レイナはそれを避けて、叫び返す。


「私だって! クレジットカードも止められて、着る服だってリサイクルショップの安物よ! こんなはずじゃなかった……私はもっと輝けるはずだったのに!」

「輝く? 笑わせんな。お前はただの薄汚い詐欺女だ。一生、日陰でコソコソ生きていくしかないんだよ」


二人の会話は、いつも罵り合いで終わる。

それでも、一人になる恐怖と金銭的な事情で、離れることもできない。

地獄のような共依存。

コンビニに行けば店員にヒソヒソと指をさされ、道を歩けば誰かにスマホを向けられる。

「デジタルタトゥー」は消えない。

彼らは引っ越すたびに噂に追いつかれ、また逃げるように街を去る。

そんな生活が、死ぬまで続くのだ。


「……ねえ、和也。助けてよ……」


レイナは薄暗い部屋の天井を見つめ、かつての夫の名前を呟いた。

優しくて、誠実で、自分を大切にしてくれた人。

その温もりを自ら捨て去った代償は、あまりにも大きすぎた。


          ◇


初夏の風が心地よい、日曜日の昼下がり。

俺は、新しく購入したマンションのバルコニーで、大友部長とグラスを傾けていた。

眼下には美しい公園の緑が広がり、遠くには都心のビル群が見える。

以前のマンションよりも広く、日当たりも良い。ここが俺の新しい城だ。


「いい眺めだな。気分はどうだ、相沢」


部長がビールを飲みながら尋ねてきた。

俺は空を見上げ、深く呼吸をした。胸の中にあった鉛のような重りは、もう跡形もなく消え去っている。


「最高です。空気がこんなに美味いなんて、久しぶりに感じます」

「そうか。それはよかった。……例の二人からは、慰謝料の振込はあったか?」

「ええ、今月分もしっかりと。どうやら相当無理をして働いているみたいですね。遅れたら即、強制執行だと伝えてありますから」


俺は淡々と答えた。

彼らに対する恨みや怒りといった感情も、今では薄らいでいる。

許したわけではない。ただ、彼らはもう俺の人生において「どうでもいい存在」になったのだ。

彼らがどこで何をしていようと、俺の幸福には何の影響もない。


「お前も災難だったが、まあ、高い授業料を払って『男を見る目』ならぬ『女を見る目』を養ったと思えばいいさ」

「そうですね。次は間違えませんよ」

「ほう? ということは、もう次の候補がいるのか?」


部長がニヤリと笑う。

俺は苦笑いしながら、先日出会った女性のことを思い浮かべた。

このマンションの購入でお世話になった、不動産会社の担当者だ。

真面目で、仕事熱心で、少し不器用なところがある女性。

先日、「お引越し祝いに」と観葉植物を持ってきてくれた時の、あのはにかんだ笑顔が印象に残っている。

『相沢さん、また何かあったら相談してくださいね。私、全力でサポートしますから』

その言葉には、嘘や計算の色は全くなかった。


「……まあ、焦らずゆっくり探しますよ。今度は、平穏で、当たり前の幸せを大切にできる人と」

「それがいい。お前には幸せになる権利がある。いや、義務があるな」


部長が俺の背中をバンと叩いた。

俺はグラスに残ったビールを飲み干した。

苦味の中に、確かな希望の味がした。


風が吹き抜け、バルコニーに置いた観葉植物の葉を揺らす。

新しい命、新しい生活。

過去の泥沼は乾き、そこからはもう新しい芽は出ない。

だが、俺の足元には、しっかりとした大地が広がっている。


「さて、飲み直しますか。今日はとっておきのウイスキーがあるんです」

「おっ、いいな。付き合うぞ」


俺たちは笑い合い、ボトルを開けた。

かつてないほどの開放感と共に、俺の第二の人生が、ここから始まる。

もう、誰も俺の邪魔はできない。

俺は、俺自身の足で、光の射す方へと歩き出していた。

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