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第三話 祝宴の断罪

都内有数の高級ホテル「ホテル・グランヴィア」。

その最上階にあるバンケットルームは、煌びやかなシャンデリアの光と、着飾った人々の熱気で満たされていた。

「株式会社ネクスト・イノベーション 設立五周年記念パーティー」。

表向きはそう銘打たれているが、招待客の誰もが裏のテーマを知っていた。

それは、北条タクミと相沢レイナの事実上の「婚約披露宴」であり、同時に「悪徳夫から解放されたヒロインを祝う会」でもあった。


会場の隅、目立たない円卓の影で、俺、相沢和也は静かにその時を待っていた。

ウェイターに幾らかチップを握らせ、スタッフ用の出入り口から紛れ込むのは造作もなかった。黒のスーツに身を包み、気配を消して壁際に立てば、誰も俺の存在になど気づかない。

彼らの目は、ステージ上の「主役」たちに釘付けだからだ。


「えー、本日はご多忙の中、これほど多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございます!」


マイクを握りしめ、高らかに声を上げたのは北条タクミだ。

イタリア製の高級タキシードを着こなし、髪を完璧にセットした彼は、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。

その隣には、純白のカクテルドレスを身にまとったレイナが寄り添っている。まるで結婚式の二次会のような装いだ。彼女の表情は、長年の苦しみから解放された聖女のように晴れやかだった。


「会社の五周年もめでたいことですが、今日はもう一つ、僕にとって大切な報告があります」


タクミがレイナの肩を抱き寄せると、会場から「ヒュー!」という冷やかしの声と拍手が湧き起こった。

俺の大学時代の友人たち、そしてレイナの親族たちが、温かい眼差しを向けている。


「ここにいるレイナさんは、僕の大学時代の友人でした。ですが、彼女は不幸にも、ある男との結婚生活で地獄を味わっていました」


タクミの声色が、芝居がかった深刻なトーンに変わる。


「その男……あえて名前は伏せますが、彼は外面こそ真面目な会社員ですが、家庭内では冷酷な暴君でした。レイナさんを無視し、経済的に締め付け、あろうことか暴力まで振るっていたのです」


会場がざわめき、同情の嘆息が漏れる。

最前列のテーブルでは、レイナの両親がハンカチで目頭を押さえていた。


「私は見ていられなかった。友人の妻だからと見て見ぬふりをするのは、僕の正義に反する。だから僕は、あらゆるリスクを背負って彼女を救い出しました! 愛する女性の涙を、僕はもう二度と見たくないんです!」

「タクミくん……」


レイナが潤んだ瞳でタクミを見上げ、マイクを受け取った。


「皆さん、ご心配をおかけしました。私は長い間、暗いトンネルの中にいました。夫の足音が聞こえるだけで震えが止まらなくて……自分には生きる価値がないんじゃないかって、何度も思いました。でも、タクミくんが私を暗闇から連れ出してくれたんです。彼は私のヒーローです」

「レイナ! よく頑張ったな!」

「幸せになれよー!」

「そんなクズ夫、別れて正解だぞ!」


友人席から野次馬のような声援が飛ぶ。

タクミは満足げに頷き、グラスを掲げた。


「あの男との離婚協議も、間もなく終わります。彼もようやく自分の罪を認めました。正義は勝つんです! さあ皆さん、僕たちの新しい門出と、レイナさんの未来に、乾杯!」

「「「乾杯!!」」」


グラスが触れ合う軽快な音が響き渡り、会場は祝福のムード一色に染まった。

誰もが二人を称え、俺という存在を「過去の汚点」として笑い飛ばしている。

その光景を眺めながら、俺は懐からスマートフォンを取り出した。

画面には一通のメッセージが表示されている。

送信相手は、このホテルの音響室に忍び込ませた協力者――探偵の神崎だ。


『準備完了。いつでもいけます』


俺は短く『GO』と返信し、ゆっくりとステージへ向かって歩き出した。

カツ、カツ、カツ。

革靴の音が、やけに鮮明に響く。

人混みをかき分け、ステージの階段に足をかけた時、最初に気づいたのは最前列にいたレイナの父親だった。


「……ん? お前、まさか」


義父が目を見開き、幽霊でも見たかのように立ち上がる。

その異変に気づき、会場の視線が一点に集中する。

ステージ上の二人が、怪訝な顔でこちらを振り向いた。


「……よお。盛り上がってるみたいだな」


俺は静かにステージへ上がり、二人の目の前に立った。

一瞬の静寂。

そして、レイナの悲鳴に近い声が空気を切り裂いた。


「ひっ……!? か、和也!? なんでここに!?」

「なんでって、招待してくれなかったからさ。お祝いに来たんだよ」

「帰れ! 今すぐ帰れ!」


タクミが顔を真っ赤にして怒鳴り、スタッフを呼ぼうと手を振った。


「不法侵入だぞ! 警備員、警備員は何をしてるんだ! このストーカー男を摘み出せ!」


会場が騒然となる。

「あれが噂のDV夫か」「よく顔を出せたな」「最低な男だ」という罵声が四方八方から飛んでくる。

かつての友人たちも、軽蔑の眼差しを向けてくる。

だが、俺は微動だにせず、マイクスタンドの前に立った。


「ストーカー扱いとは心外だな。俺はまだ、レイナの夫だぞ。離婚届はまだ受理されていない」

「うるさい! お前みたいな犯罪者と話すことなんてない! みんな、こいつが俺たちの幸せを壊そうとしてるんだ!」


タクミが俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした、その時だった。


『――ねえタクミくん、この痣メイクどう? リアルに見える?』


会場の大音量スピーカーから、場違いなほど能天気な女性の声が響き渡った。

タクミの手が空中で止まる。

レイナがギョッとして周囲を見回す。


「え……? なに、今の声……」


『すげー! 本物の痣みたいじゃん。これ写真に撮って親に見せればイチコロだな』


今度は男の声。紛れもなく、タクミの声だ。

会場のざわめきが、一瞬にして波が引くように静まった。

全員の視線が、俺ではなく、ステージ背面の巨大スクリーンに釘付けになる。


『でしょ? これで診断書も偽造できれば完璧なんだけどなー』


スクリーンに映し出されたのは、タクミのマンションのリビングだ。

そこには、今まさに「悲劇のヒロイン」を演じていたレイナが、鏡に向かってアイシャドウで腕に「偽の痣」を描いている姿が映っていた。

その横で、タクミがスマホを構えて爆笑している。


「な、な……っ!?」


レイナの顔から血の気が引いていくのが分かった。

彼女はパクパクと口を開閉させるが、声が出てこない。

映像は続く。


『診断書は俺の知り合いのヤブ医者に頼めばなんとかなるって。それより、昨日の和也の顔見た? 葬式みたいでウケたわw』

『見た見たw まじ哀れ。早くあのマンション売って、新しい新居の頭金にしよ♡』

『あいつ、真面目すぎて面白みがないからさ、社会的に抹殺してやろうぜ』

『キャハハ! 最高!』


映像の中の二人は、悪魔のように笑っていた。

俺の苦悩を嘲笑い、両親の心配を「イチコロ」と表現し、全てを金と快楽のためのゲームとして語っている。

会場の空気が、急速に凍りついていく。

さっきまで二人を称賛していたゲストたちの表情が、困惑から疑念、そして嫌悪へと変わっていくのが手に取るように分かった。


「ち、違う! これは捏造だ! AIで作った偽動画だ!」


タクミが裏返った声で叫び、スクリーンを隠そうと両手を広げる。

だが、無情にも映像は切り替わった。

今度はラブホテルの一室。

二人がベッドの上で絡み合いながら、カメラに向かってピースサインをしている。


『和也さん、今までご苦労様。あなたの稼いだお金、私たちが有効活用してあげるからね。感謝してよね』

『お前の親もチョロいよなー。娘の嘘泣き一つでコロッと騙されてやんの。あのジジイ、説教臭くてウザいけど、味方につければ最強の駒だわ』


その言葉が流れた瞬間、会場のどこかでグラスが割れる音がした。

最前列のテーブルだ。

レイナの父親が、震える手で立ち尽くしていた。足元には砕け散ったシャンパングラスが転がっている。


「……ちょろい……だと?」


父親の低い呻き声が、静まり返った会場に響いた。

映像はまだ続いているが、神崎はここで追撃の手を緩めなかった。

ピロン、ピロン、ピロン。

会場中のスマートフォンが一斉に通知音を鳴らし始めたのだ。

異様な光景だった。

数百人のゲストが、ほぼ同時にポケットやバッグからスマホを取り出す。


「な、なんだこれは……」


誰かが呟いた。

そこに送られてきたのは、俺が依頼していた「証拠の詰め合わせセット」だ。

レイナとタクミのLINE履歴の全ログ。

「DV捏造計画」というフォルダ名で整理された画像データ。

そして、興信所が作成した詳細な不貞行為の報告書。

それらが、会場にいる全員の端末へ、AirDropやメーリングリストを通じて強制的に共有されたのだ。


「嘘……でしょ……」


友人の一人が、スマホ画面とステージ上の二人を交互に見比べ、青ざめた顔で呟いた。


「全部、嘘だったのか? 和也が暴力を振るったって話も、お前らが被害者だって話も……」

「ち、違うの! 聞いて! これは和也が作った偽物なの!」


レイナが必死に叫ぶが、その声はもはや誰にも届かない。

スマホの画面に映る彼女の言葉遣いは、あまりにも汚く、そして残酷だったからだ。


『あの陰キャ夫、死ねばいいのに。保険金入るしw』

『親戚一同巻き込んでフルボッコにするの楽しみ~』


その文字の列は、彼女の本性を雄弁に物語っていた。

会場の空気が、完全に反転した。

同情は軽蔑へ。祝福は怒りへ。


「き、貴様ら……!!」


ドスッという重い音と共に、レイナの父親がステージに駆け上がってきた。

鬼の形相だ。血管が切れんばかりに怒張している。


「パ、パパ……違うの、これは……」

「黙れェッ!!」


バチンッ!!

乾いた破裂音が会場に響き渡る。

父親の平手が、レイナの頬を容赦なく打ち抜いたのだ。

レイナは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。白かったドレスが床に広がり、無様な染みのように見える。


「わ、私達を騙していたのか! 親を、親戚を、これほど愚弄して……!! 恥を知れ!!」


父親は肩で息をしながら、今にも倒れそうなほど激昂している。

義母もまた、顔を覆って泣き崩れていた。だがそれは娘への同情ではなく、あまりの情けなさとショックによるものだった。


「お、落ち着いてください! これは誤解なんです!」


タクミが取り繕おうとするが、今度は彼の会社の取引先と思われる中年男性が立ち上がった。


「北条くん。君がこれほど倫理観のない人間だとは思わなかったよ」

「えっ、社長……?」

「他人の家庭を壊し、嘘で塗り固めて陥れる。しかもそれを動画に撮って楽しむとはね。君の会社とは、今この瞬間をもって契約を打ち切らせてもらう」

「そ、そんな! 待ってください! これはプライベートなことじゃ……」

「経営者の品性は、そのまま会社の信用に関わるんだよ! 行こう、こんな汚らわしい場所には一秒たりともいられない」


その言葉を皮切りに、ゲストたちが次々と席を立ち始めた。

タクミの友人たちも、彼を軽蔑の目で見下しながら背を向ける。

SNSで俺を叩いていた連中も、バツが悪そうに顔を伏せて逃げ出していく。

残されたのは、崩れ落ちたレイナと、呆然と立ち尽くすタクミ、そして冷ややかに彼らを見下ろす俺だけだった。


俺はマイクを手に取り、震える二人に向かって静かに告げた。


「おめでとう、レイナ、タクミ。これがお前たちが望んだ『真実の公開』だ」

「か、和也……あんた、どうしてこんな酷いことを……」


レイナが頬を押さえながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔で睨みつけてくる。

まだ自分が被害者だと思っているのか。その神経の図太さには感服すら覚える。


「酷い? 酷いのはどっちだ。お前たちは俺の人生を壊そうとした。俺から全てを奪い、泥水をすすらせて笑おうとした。俺はただ、お前たちがやったことをそのまま返しただけだ」


俺はスクリーンを指差した。

そこにはまだ、二人が嘲笑いながら俺の悪口を言っている動画がループ再生されている。


「見ろよ。あんなに楽しそうじゃないか。自分たちが主役の映画だぞ? しっかり目に焼き付けておけ」

「やめろ……もうやめてくれ……!」


タクミが頭を抱えて蹲る。

その姿は、さっきまでの自信満々な「成功者」の面影など微塵もなかった。


「さて、俺はこれで失礼するよ。離婚届は弁護士を通じて送る。慰謝料の請求もな。ああ、それから」


俺は帰り際、二人の耳元で囁いた。


「この動画とデータ、拡散希望だったよな? お望み通り、SNSにもアップしておいたから。今頃、世界中の人がお前たちの『真実の愛』を祝福してくれている頃だと思うよ」


その言葉を聞いた瞬間、タクミは「あ、あぁ……」と絶望の声を漏らし、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。

レイナは「嘘よ、嘘よ……」と壊れた人形のように繰り返している。


俺は背後で響く彼女の嗚咽を聞きながら、一度も振り返ることなく会場を後にした。

ホテルの長い廊下を歩きながら、俺はネクタイを少し緩めた。

重くのしかかっていた何かが、すっと消えていくのを感じた。


外に出ると、雨は上がっていた。

雲の切れ間から差し込む月明かりが、濡れたアスファルトを照らしている。

俺は大きく息を吸い込んだ。

空気は冷たく、そして何よりも澄んでいて、美味かった。

さあ、これからは俺の人生だ。

あの汚れた場所には、もう二度と戻らない。


ポケットの中でスマホが震えた。

画面を見ると、大友部長からのメッセージだった。


『よくやった。月曜日は有給にしてある。ゆっくり休め』


俺は小さく笑みを浮かべ、スマホをポケットにしまった。

夜の街の明かりが、俺の新しい一歩を照らしているように思えた。

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