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君の忘れたい記憶、僕だけが永遠に覚えている  作者: ledled


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第三話 偽りの愛の終焉、そして因果応報のゴング

俺が仕掛けたデジタル爆弾に気づくはずもなく、鴉越然は今頃、手に入れたデータを黄金の切符だと信じ込み、成功の夢に酔いしれていることだろう。そして詩織さんもまた、あの男の甘言に浸り、罪悪感を麻痺させながら、俺を捨てる決意を固めているに違いない。すべては俺の予測通り、復讐の設計図の上を滑稽なほど正確に進んでいた。彼らの愚かな行動パターンは、俺の完璧な記憶と分析能力の前では、あまりにも単純なアルゴリズムでしかなかった。


案の定、その電話は月曜日の夜にかかってきた。ディスプレイに表示された「月詠詩織」の名を、俺は数秒間、無感情に見つめてから通話ボタンを押す。


「もしもし」

「あ、奏?今、大丈夫?」


電話口の詩織さんの声は、妙に硬く、これから何かを成し遂げようとする人間特有の決意が滲んでいた。いよいよ、最終段階への引き金を、彼女自身が引きに来たのだ。


「大丈夫ですよ。どうしました?」

「あのね、大事な話があるの。今夜、時間もらえるかな」

「わかりました。どこか外で会いましょうか」


俺がそう言うと、彼女は一瞬の間を置いて、信じられないほど残酷な提案をしてきた。


「うん。前に奏が連れて行ってくれた、夜景の綺麗なレストラン、覚えてる?」


覚えている。もちろん覚えている。忘れたくても、忘れられるはずがない。

去年の俺の誕生日に、予約してくれた場所だ。窓一面に広がる東京の夜景を前に、詩織さんは少し照れながら「来年も、その次も、ずっと一緒に奏の誕生日をお祝いしたいな」と言ってくれた。あの時の彼女の笑顔も、声も、プレゼントしてくれた時計の箱を開けた時の指の震えも、俺の脳は寸分違わぬ解像度で記憶している。


そんな、二人にとって「特別」だったはずの思い出の場所を、彼女は別れの舞台に選んだ。俺の心を少しでも深く傷つけようという悪意からか、あるいは、ただの無神経さからか。どちらにせよ、その選択自体が、彼女がもはや俺たちの過去を何とも思っていないことの証明だった。


「……ええ、覚えていますよ。じゃあ、そこで」


俺は感情の揺れを声に乗せないよう、慎重に言葉を紡いだ。


指定された時間にレストランへ着くと、詩織さんはすでに窓際の席に座っていた。あの日の席と、まったく同じ場所だ。テーブルの上では、揺れるキャンドルの炎が彼女の横顔を不安げに照らしている。


「ごめん、待った?」

「ううん、今来たとこ」


俺が席に着くと、彼女はメニューに視線を落としたまま、しばらく黙り込んでいた。やがて、何かを決意したように顔を上げ、まっすぐに俺の目を見つめてくる。その瞳には、これから告げる言葉への覚悟と、わずかな怯えが混じっていた。


「奏、単刀直入に言うね」

「……はい」

「ごめんなさい。好きな人が、できたの。だから……別れてください」


ついに来た。

予測していた言葉。練習までした場面。それなのに、実際に彼女の口から発せられると、心臓を直接、氷の指で鷲掴みにされたかのような鈍い痛みが走った。復讐を決意した冷徹な俺の裏側で、彼女を愛していた俺が、まだ悲鳴を上げていた。


俺は、その痛みを悟られないよう、静かに息を吐いた。そして、あらかじめ用意しておいた、物分かりの良い恋人の仮面を被る。


「……そっか。そうだったんだ」

「本当にごめんなさい。奏が優しい人だってわかってる。わかってるんだけど、もう、私の気持ちは止められないの」


彼女は必死に言葉を募らせる。俺が縋ったり、怒ったりすることを想定していたのだろう。その防衛的な態度が、俺には滑稽にすら見えた。


「……わかった。今まで、ありがとう。詩織さんが幸せなら、それでいいよ」


俺は、自分でも驚くほど穏やかな笑みを浮かべてみせた。

その反応は、彼女の想定の範囲外だったらしい。詩織さんの瞳が大きく見開かれ、驚きと混乱の色が浮かんだ。もっとも、その奥には、面倒なことにならずに済んだというあからさまな安堵の色も透けて見えたが。


「え……いいの?本当に?怒ったり、しないの…?」

「うん。俺が無理に引き留めても、詩織さんが辛いだけでしょう。だったら、俺は身を引くよ。その人のこと、大切にしてあげてください」


あまりにもあっさりと引き下がる俺の態度に、彼女は完全に拍子抜けしていた。その表情には、安堵と共に、ほんのかすかな罪悪感と、何か得体の知れないものを見るような、説明のつかない不気味さが浮かんでいる。そのすべてを、俺は脳のメモリに刻み付けた。


「ありがとう、奏。あなたには、本当に感謝してる」


感謝。その言葉のなんと空々しく、薄っぺらく響くことか。

こうして、俺たちの関係は、偽りの感謝と偽りの微笑みの中で、あっけなく終わりを告げた。彼女は、俺という障害を無傷で乗り越えたと、安堵していることだろう。それが、破滅へのカウントダウンが始まった合図だとも知らずに。


それから数週間後。

鴉越然の会社『ゼン・イノベーティブ』が主催する、新技術のプレスカンファレンスの招待状が、俺の新しい仮住まいのアパートに届いた。ご丁寧にも、VIP席のチケットだ。鴉越然からの、無慈悲な勝利宣言のつもりだろう。俺がこれから失うものの大きさを、その目で見ろというわけだ。もちろん、喜んで見届けさせてもらう。お前たちが失う、すべてのものを。


会場となった都内の有名ホテルは、異様な熱気に包まれていた。多くの報道陣と、血眼で次の投資先を探す国内外の投資家たち。誰もが、世界を変えるという触れ込みの新AI技術『Norn-System』の発表に、期待と興奮の眼差しを向けている。


俺は指定された後方のVIP席に静かに腰を下ろし、会場全体を見渡した。

前方の、最も目立つ席。今日の主役である然の隣には、美しいドレスに身を包み、誇らしげに微笑む詩織さんの姿があった。まるで彼の妻であるかのような立ち振る舞いだ。彼女は俺の存在にはまったく気づいていない。過去の男のことなど、もう頭の片隅にもないのだろう。


やがて会場が暗転し、ステージに一本のスポットライトが当たる。

自信に満ち溢れた表情で、鴉越然がステージ中央に歩み出た。


「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!我々ゼン・イノベーティブは、本日、世界のあり方を根底から覆す、革命的なAI技術を発表いたします!」


大きな拍手。彼は流暢なプレゼンテーションで、Norn-Systemがいかに素晴らしい技術であるかを語っていく。記憶の補助、未来予測、ビッグデータの高速解析。それは紛れもなく、俺がたった一人で、血の滲むような努力の末に創り上げたAIのコンセプトそのものだった。自分の子供を、見ず知らずの男が「これが私の子供です」と紹介しているような、歪んだ不快感が胸をよぎる。


「百聞は一見にしかず。それでは皆様、Norn-Systemが起こす奇跡を、その目でご覧いただきましょう!」


然がプレゼンテーションのクライマックスを宣言し、高らかに指を鳴らす。

アシスタントがキーボードを叩き、デモンストレーションが開始される。会場中の誰もが、ステージ背後の巨大なスクリーンに釘付けになった。俺もまた、この瞬間を待っていた。


その、瞬間だった。


スクリーンに映し出されたのは、AIの華麗な動作画面ではなかった。

ただ、静かに明滅する、不気味なドクロのマーク。

そして、その下にゆっくりと浮かび上がる、血のように赤い、たった一言。


【 Gotcha (捕まえた) 】


会場が、ざわめき始める。

「なんだ?」「トラブルか?」

ステージ上の然の、自信に満ち溢れていた顔から、急速に血の気が引いていくのが遠目にもわかった。


「な、何かの間違いだ!システムを再起動しろ!」


彼の叫びは、俺が設計したプログラムの前では無力だ。

次の瞬間、スクリーンは新たな画面に切り替わった。そこに大写しになったのは、鴉越然と詩織さんの、生々しいLINEのやり取りだった。


然:『次のデータ、いつ手に入りそう?奏くんのPC、まだ見れないかな』

詩織:『今度の週末、彼が出かけるからチャンスあるかも!』

然:『頼んだぞ、俺の女神様』


会場は、水を打ったように静まり返る。

だが、俺が用意した地獄のフルコースは、まだ前菜に過ぎない。


画面はさらに切り替わり、ホテルのベッドで抱き合う二人の写真がスライドショー形式で次々と映し出されていく。そして、極めつけは、俺の部屋に仕掛けた隠しカメラの映像だった。PCを不正に操作する詩織さんと、彼女を唆す然の姿、そして交わされるキス。その一部始終が、クリアな音声付きで、大々的に会場中に晒された。


「ひっ…!」


最前列の詩織さんが、小さな悲鳴を上げて顔を覆うのが見えた。

会場は、一瞬の静寂の後、怒号と悲鳴、そして無数のカメラのシャッター音の渦に包まれた。


「詐欺だ!」「スパイ行為じゃないか!」「警察を呼べ!」


投資家たちの怒声が飛び交う中、然はステージ上で腰を抜かし、へたり込んでいた。

そして、とどめの一撃。

スクリーンには、然と大手IT企業『ネオ・イノベーション』の役員とのチャットログが映し出され、今回の産業スパイ行為が、単独犯ではなく、企業ぐるみの犯罪であったことが暴露された。


その完璧なタイミングを見計らったかのように、会場の後方の扉が開き、制服姿の警察官たちがなだれ込んできた。すべて、俺が匿名で通報し、証拠データを送っておいた筋書き通りだ。


「鴉越然!不正競争防止法違反、および詐欺の容疑で逮捕する!」


力なく腕を掴まれ、引きずられていく然。彼は最後に、憎悪に満ちた目で客席を睨みつけた。その視線が、後方の席に座る俺を、確かに捉えた。


俺は、ただ静かに、冷たい瞳で彼を見返した。

すべて、お前の自業自得だ。


会場の喧騒を背に、俺はゆっくりと席を立った。

崩れ落ち、床に突っ伏して嗚咽を漏らす詩織さんの姿が視界の端に映ったが、俺の心はもはや少しも動かなかった。


因果応報のゴングは、高らかに鳴り響いた。

偽りの愛の劇は、最悪の形で終焉を迎えたのだ。


ホテルの外に出ると、初夏の冷たい夜風が頬を撫でた。

空には、星一つない。


俺の復讐は、まだ終わっていない。

彼らにとって本当の地獄は、ここから始まるのだから。

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