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君の忘れたい記憶、僕だけが永遠に覚えている  作者: ledled


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第二話 復讐の設計図は、君との思い出の中に

あの日を境に、俺の世界は二つに分かれた。

一つは、何も知らない恋人を演じ、詩織さんに優しく微笑みかける天海奏の世界。

もう一つは、彼女の嘘と裏切りを冷静に分析し、静かに復讐の牙を研ぐ、もう一人の天海奏の世界だ。


「昨日はごめんね、会食長引いちゃって。奏、一人で寂しくなかった?」

「大丈夫ですよ。詩織さんもお仕事大変ですね。お疲れ様です」


俺の労りの言葉に、詩織さんは安心したように表情を緩める。その安堵の裏にある罪悪感と欺瞞を、俺は正確に読み取る。彼女の言葉、表情、仕草、そのすべてが、俺にとっては復讐計画を練り上げるための貴重なデータだった。


俺の脳は、詩織さんの行動パターンを完璧に解析していく。

鴉越然と名乗る男と密会するのは、主に水曜日と金曜日の夜。

「会社の飲み会」「クライアントとの会食」という口実を使う確率、七十八パーセント。

嘘をつく時、彼女の瞬きの回数は平均より十五パーセント増加し、視線は無意識に左下へと泳ぐ。


俺は、何も気づかない恋人のフリを完璧に演じきった。彼女の嘘に「そっか、大変だね」と心から同情しているかのように相槌を打ち、彼女が帰宅した際には「おかえりなさい」と笑顔で迎える。そのすべてが、彼女を油断させ、より多くのボロを出させるための計算された演技だった。


並行して、俺は「鴉越然」という男の正体を徹底的に洗い出した。詩織さんのスマホから偶然見えた会社名と名前を頼りに、俺は自作のプログラムを走らせ、インターネットの海に散らばる情報を拾い集める。表向きは新進気鋭のITベンチャー企業の役員。メディアにも何度か取り上げられ、若きカリスマとして注目されているらしい。だが、その経歴には不自然な空白期間があり、会社の登記情報を調べると、実態の不明なペーパーカンパニーがいくつもぶら下がっていることが判明した。


典型的な詐欺師か、あるいは産業スパイか。


彼らが狙っているのが、俺のPCに保存されている開発途中の「次世代型記憶補助AI」のデータであることは、ほぼ間違いなかった。このAIは、俺自身のハイパーサイメシアの脳構造をモデルに構築した、いわば俺の分身だ。断片的な情報から、忘れてしまった記憶を再構築したり、未来の出来事を高精度で予測したりすることを可能にする、画期的な技術。もし完成すれば、世界を変えうるほどのポテンシャルを秘めている。


この技術のことは、まだ誰にも話していない。もちろん、詩織さんにも。彼女はただ、俺がプログラミングを得意な、少し変わった大学生としか認識していないはずだ。鴉越然は、どこからか俺の才能を嗅ぎつけ、その技術を盗むために、最も手駒にしやすい詩織さんを利用したのだろう。


「奏、今度の週末、サークルのOB会があるんだって。久しぶりにみんなに会いたいし、行ってもいいかな?泊まりになると思うんだけど」


ある日の夕食後、詩織さんが切り出してきた。俺の記憶が正しければ、次のOB会は三ヶ月後のはずだ。これは、俺を家から追い出し、PCを操作する時間を作るための、見え透いた嘘。


好機だった。


「いいですよ。楽しんできてください。俺もその日は、大学の研究室に泊まり込んで、卒論を仕上げようと思ってたところです」


俺は、彼女に絶好の機会を与えるための嘘で返した。詩織さんの顔に、あからさまな安堵の色が浮かぶ。


その日から、俺は周到な罠の構築に取り掛かった。


俺の能力と技術を総動員し、本物のAIデータと見分けがつかないほど精巧な「ダミーデータ」を創り上げた。一見すれば、それは革新的なプログラムのソースコードの塊だ。だが、その実態は、鴉越然への復讐のためだけに作られた、凶悪なデジタル爆弾だった。


このダミーデータには、特殊な時限式ウイルスが幾重にも巧妙に仕込まれている。然の会社のサーバーにコピーされた瞬間、潜伏期間に入る。そして、彼らがこの技術を発表するであろうプレスカンファレンスの場で、デモンストレーションを実行した瞬間に作動する。


作動と同時に、ウイルスは然の会社のサーバー内にある全データを破壊。それだけではない。顧客情報、財務記録、そして彼の裏の顔である産業スパイとしての活動記録、違法な取引の証拠などをすべて外部のサーバーに転送し、指定した日時に複数の告発系ウェブメディアと警察のサイバー犯罪対策課へ自動で送信するようプログラムした。


さらに、詩織さんが俺のPCを操作する決定的な証拠を掴むため、俺は自室のデスクに超小型のカメラを仕掛けた。ペンの形をしたそれは、普通の文房具にしか見えない。動体検知で作動し、録画データはリアルタイムで俺のスマホに転送される仕組みだ。


復讐の準備は、すべて整った。

あとは、主演女優が舞台に上がるのを待つだけだ。


週末の金曜日。

「じゃあ、行ってくるね。奏も、卒論がんばって」

「はい。詩織さんも、飲みすぎないように」


玄関で、俺たちはいつもと変わらないやり取りを交わす。彼女は、これから男と密会するために嘘をついている罪悪感と、目的を達成できるという高揚感で、頬を微かに紅潮させていた。


「いってらっしゃい」


ドアが閉まる音を聞き届けた俺は、研究室には向かわず、マンションの地下駐車場に停めてある車に乗り込んだ。エンジンをかけ、近くのコインパーキングに移動する。そこで、ノートPCを開き、監視体制に入った。


数時間後、俺のスマホが静かに振動した。自室に仕掛けたカメラが、動体を検知したのだ。

画面に映し出されたのは、聞き慣れない足音と共にリビングに入ってくる、詩織さんと鴉越然の姿だった。


「ここが奏くんの部屋?へえ、すごいマンション住んでるんだな」

「でしょ?でも、本人は全然そういうの興味ないみたい。ちょっと変わってるの」

「まあ、天才ってのは大体そんなもんだろ。で、PCは?」

「こっち。私の指紋、登録してもらってるからロックは開けられる」


二人の会話が、マイクを通して鮮明に聞こえてくる。俺の書斎に入り、詩織さんが慣れた手つきでPCのスリープを解除する光景が映し出された。


俺は、詩織さんが困ることがないようにと、彼女の指紋を登録してやっていた。まさか、それが裏切りのための扉を開ける鍵になるとは。皮肉なものだ。


「よし、開いた。例のデータは、デスクトップの『KAI』ってフォルダに入ってるって言ってたよね」

「うん。たしか奏のイニシャル、『Kanade Amami Initiative』の略だって」


それは、俺がわざと詩織さんに漏らしておいた偽情報だ。まんまと罠にかかってくれた。


画面の中で、詩織さんがおもむろにUSBメモリを取り出し、PCに接続する。フォルダが開かれ、データがコピーされていくプログレスバーが、まるで死へのカウントダウンのように見えた。


「コピー、できた…!」


安堵したような詩織さんの声。鴉越然が彼女の肩を抱き、その唇を奪うのが見えた。


「よくやった、詩織。これで俺たちの未来は約束されたようなもんだ」

「然さん…」


甘い言葉と偽りの愛情。その光景を、俺は無表情で見つめていた。かつて、この胸を締め付けた嫉妬や悲しみは、もうどこにもない。あるのは、獲物が罠にかかったのを確認した狩人のような、冷たい満足感だけだ。


データがコピーされたUSBメモリは、然の手に渡った。俺が仕込んだ追跡プログラムが、そのUSBメモリが然の会社のPCに接続され、データがサーバーにアップロードされたことを即座に知らせてくる。


第一段階は、成功だ。


だが、俺の復讐はまだ終わらない。鴉越然という男を社会的に抹殺するだけでは生温い。彼を踏み台にして、その背後にいる、より大きな悪まで引きずり出す。


俺は、然の会社のサーバーに侵入したウイルスの一部を使い、彼のPC内の情報を密かに抜き出していた。そこには、今回の産業スパイ行為の依頼主と思われる、大手IT企業『ネオ・イノベーション』の役員との、暗号化されたチャットログが残されていた。


『天海奏のAI技術は、必ず手に入れろ。報酬は弾む』

『成功の暁には、弊社のCTO(最高技術責任者)のポストを用意しよう』


巨大な利益のために、一人の学生の未来を平然と踏みにじろうとする巨大企業。鴉越然は、その犬に過ぎなかった。


俺は、かつて詩織さんとの旅行プランを練るために使ったノートを取り出した。そこには、訪れたい場所、食べたいもの、二人で見たかった景色のリストが、俺の几帳面な文字でびっしりと書き込まれていた。


パラパラとページをめくり、白紙のページを開く。

そして、そこに新しいリストを書き込み始めた。


『鴉越然:産業スパイ容疑、詐欺罪による逮捕。社会的信用の完全失墜』

『ネオ・イノベーション:不正競争防止法違反、株価暴落、役員の総辞職』


そして、最後の一行。

震えることなく、冷徹な文字を書き連ねる。


『月詠詩織:共犯者としての社会的制裁。そして、永遠に消えない後悔と絶望』


かつて愛する人との幸せな未来を描いた設計図の上に、冷酷で完璧な復讐の青写真を、俺は静かに重ねていった。すべては、俺の記憶の中にある。君たちが犯した罪の記録も、そして、君たちが迎えるべき結末も。

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