ゴルギウス
「私についてきて! この毒素のもとを探るわ!」
「あ、ああ!」
ソフィアは走った。
テンマでも驚くような速さだ。
彼女は運動もできるらしい。
ソフィアは職員室のある方向に向かった。
「この先は職員室だぞ!?」
「この先から毒の源を感じるわ!」
二人は角を曲がった。
その先にあるのは職員室――。
「フッフッフ、ようやくやってきましたね、ソフィエル、そしてセラフィエル!」
「なんだ、こいつ!?」
職員室の間で立っていた男は白い衣に、三重の後光輪を備えていた。
「あなた、アルコンテスの一人ね?」
「ウッフフフフ、その通り。我が名はゴルギウス(Gorgius)。あなたが言うようにアルコンテスの一人です」
「アルコンテス?」
テンマには聞き覚えの名前だ。
だが、どこか不快な感じがするのは気のせいではなかった。
「アルコンテスとはこの世界ウロボロス界を支配する選ばれし者です。我々の主はアカモート(Akamoth)様です」
「アカモートに伝えなさい! 私はあなたたちの支配を打ち砕くわ!」
「ほっほっほ! 威勢はよろしいことで。ですが、どうですか? プネウマ界でならそうはいかないのでしょうが、ここ物質世界ウロボロス界では我らの方が上ですぞ、ソフィエル? いくらあなたとはいえ、我々のテリトリーで勝てるなどど思わないでいただきたい」
テンマはゴルギウスから強力なプレッシャーを感じた。
それはへたをすれば、地面に這うようにさせるほどのものだ。
この男は強い!
少なくとも、自分が勝てる相手ではない。
唯一できることはソフィアの邪魔をしないことくらいだ。
「ほっほっほ、ソフィエル、取引と行こうじゃありませんか?」
「取引?」
ソフィアが眉をひそめる。
「そうです。セラフィエルを渡してくれませんか? そうすればキュリオスとはもめないと保証しましょう」
「答えはノーよ! セラフィエルは私が愛している人よ。そんな人を渡せると思うの?」
「まあ、そうでしょうな。では我々は戦うしかない」
「初めからそうと決まっていると思うけど?」
「ほっほっほ、この物質の世界ではあなたは本来の力を発揮できないはず? このわたくしに勝てるとお思いですか?」
「やってみなくちゃ分からないわ」
「そうですか。では」
ゴルギウスが手のひらに大きな球を作り出した。
テンマはそれが危険だと思ったが、テンマには防ぐ手段はない。
「ほっほっほ! これは毒の球です。さあ、くらいなさい! そしてあなたたちもぶざまにはいつくばるのです!」
毒の球が発射された。
毒の球はソフィアへと一直線に進んでいく。
だが、その瞬間ソフィアは不敵な笑みを浮かべた。
「スピリチュアル・フォース!」
ソフィアの手に光の槍が形成された。
ソフィアはそれで毒の球に突き刺した。
毒の球が霧散する。
「!? なんと!?」
「今のはいったい?」
テンマには何が起こったかわからなかった。
ただ、光の槍をソフィアが出したということくらいだ。
「どう、見た? この槍ならあなたの相手をするのに引けは取らないわ」
「ほっほっほ! さすがはソフィエル。さきほどの攻撃は失礼しました。では、今度は倍の毒でお相手しましょう! むうん!」
ゴルギウスは二発の毒の球を出した。
ゴルギウスの言う二倍である。
毒の球は禍々しく妖しい光を発していた。
「さあ、どうですか!」
ゴルギウスが二発の毒の球を撃ち出した。
ソフィアは前に出た。
そしてそのまま横なぎに槍を振るう。
毒の球はソフィアの一撃によってかき消された。
「やりますねえ。それに敬意を表して、私も最大の力でお相手いたしましょう! ギフト・バル!」
ゴルギウスは等身大の毒の球を作り出した。
これはソフィアに防げるのか!?
「ふうん? 試してみる?」
「ほっほっほ! その余裕、どこまで持ちますかねえ! 死になさい! ギフト・バル!」
特大の毒の球が放たれた。
ソフィアはそれに対して槍を突き付ける。
二人の力が正面からぶつかった。
その時である。
ゴルギウスがテンマめがけて、一本の矢を放った。
テンマは呆然としていた。
その瞬間テンマの前に何かが立ちふさがった。
「なっ!?」
「う……大丈夫?」
「ほう……わたくしの真の狙いに気づきましたか。ですが、あなたは負傷した。もはやこのわたくしには勝てませんぞ、ソフィエル?」
立ちふさがったのはソフィアだった。
ソフィアのおなかを血が染めていく。
「おい、どうして俺なんかをかばったんだ! 俺をかばわなければ君は勝てたかもしれないのに!」
「ほっほっほ! それは毒の矢ですよ? 物質化した肉体には効くでしょう?」
ニイッとゴルギウスが笑う。
「セラフィエル……いえ、テンマ君だったわね。逃げて」
「は?」
テンマは目の前がフリーズした。
今、ソフィアは何と言った?
「私なら時間は稼げるわ。残念だけど、私はここまでのようね。あなたは逃がしてあげるから、今すぐ動いて」
「そんなことできるわけないだろ! 君は俺をかばって!」
「ここで二人死ぬより、一人でも生き残った方がいいわ。私なら時間を稼げる……」
「何を言っているんだ!」
「あなたには迷惑をかけたわね。さあ、行って……ゴホッ!」
ソフィアが口から血をはいた。
ソフィアは無理して立ち上がる。
その様子は痛々しかった。
俺はここで逃げるのか!? 確かにこんな異常な戦闘を前にして逃げても、誰も非難はしないだろう。
だが、テンマにはそれはできなかった。
そんなことは死んでもできない。
そんなことをするくらいなら、死んだほうがましだ!
俺はここまでなのか?
ここで終わるのか?
母はどう思うだろう?
「安心しなさい、セラフィエル。あなたは死んでも再び輪廻を巡り、転生するのです。そうしてあなたは永遠の死を体験するのですから!」
俺は、こんなところでは終われない!
その瞬間テンマの中で何かが爆ぜた。
テンマの時間が逆流していく。
テンマの意識ではなく、セラフィエルの意識が現れる。
テンマの中ではテンマは消えてセラフィエルがいた。
セラフィエルは病院の上にいた。
セラフィエルはここから世界を眺めていた。
「ここがアカモートが支配する物質世界ウロボロス界……物質原理が優越している……人々は輪廻転生によって永遠に苦しみの中にある。このシステムを破壊しなければ、この世界の人間に救いはない。我らが神、主は生きておられる。まずはアカモートを倒すことか。ん?」
セラフィエルは病院の中でふしぎな感覚を感じた。
これは妊婦か?
セラフィエルにはその妊婦が流産することを幻視した。
母体も、子供も助からない。
二人とも死ぬ。
セラフィエルは透明化して、病室を眺めた。
そこには夫婦がいた。
「ふふっ」
「どうしたんだ?」
「いえ、うれしくて」
「何がうれしいんだい?」
「ようやく母親になれるんだなって、そんな気持ち。あなたにわかる?」
「俺は父親になるということか。男の子らしいな。名前はもう決めてあるんだ」
「何て名前?」
「テンマ」
「テンマ……いい名前ね」
「マリヤの子だ。きっといい子に育つ」
「私は普通に育ってくれればいいと思う。どんな子でも私にとっては特別な子だから」
セラフィエルはそんな夫婦の会話を聞いていた。
セラフィエルは物質世界の未来を見える。
「流産か……かわいそうだが、俺にはどうもできないな。それにより優先されるべきことがある」
セラフィエルはそのまま去ろうとした。
だが、マリヤという名の女性のほほえみが忘れられなかった。
その日の夜、マリヤは眠っていた。
セラフィエルは病室に入ってきた。
セラフィエルは理性ではこの二人を無視した方がいいと理解していた。
だが、セラフィエルの何かがそれを許さなかった。
なぜだ?
なぜ死すべき命に憐れみなどかける。
そんなことをしても無駄だろうに……。
俺はいったい何を迷っているんだ?
マリヤは穏やかな表情をしていた。
その顔は慈母を思わせた。
セラフィエルの目的は世界を救済することだ。
セラフィエルは世界救済のために派遣された。
主がセラフィエルを派遣したのだ。
輪廻転生はシステムだ。
それはアカモートが人間に嫉妬して人間たちを物質世界という檻の中に入れたのだ。
その中で人間は永遠の苦しみを与えられ、生かされる。
転生は希望ではない。
転生からの離脱こそ救い。
セラフィエルは輪廻転生を破壊するためにこの世界にやって来たのだ。
すべては人間が主を、主を知るため。
これは主なる神による人類救済の計画なのだから。
それからすれば目の前の人間の死など大したことはない。
そのはず、だった。
だが、セラフィエルはどうしてもこの女性と子供を見捨てられなかった。
セラフィエルにはこの母子を救う方法がある。
だが、それは主のみ旨に反することになろう。
「ソフィエル……人類の救済にはまだ時間がかかるかもしれない。すまないな。俺にはこの母子を見捨てられない。俺が、この子に宿る。そうすれば、この母子は救われる」
そうしてセラフィエルはマリヤの母体に宿った。
天使セラフィエルの受肉である。
こうしてテンマは生まれた。
この記憶が校内にいるテンマに、いな、セラフィエルに戻った。
もはやここにはテンマではなく、セラフィエルがいた。
「セ、セラフィエル? あなた、記憶が?」
「ソフィエル……手間をかけたな。だが、もう大丈夫だ。俺はセラフィエル。光の天使だ! スピリチュアル・フォース!」
セラフィエルの手に光の剣ができた。
「くっ!? セラフィエル!? あなたは記憶を取り戻したのですか!?」
「ソフィエルの手当てが必要だ。すぐに終わらせる」
セラフィエルは光の剣でゴルギウスに斬りつけた。
「? 浅かったか。まだ、勘は取り戻せてないな」
「ぐうっ!? よくも私に傷を! ですが、セラフィエルが覚醒するとは夢にも思いませんでした! ここは引かせてもらいますよ!」
ゴルギウスは毒の粒子をセラフィエルに振りかけた。
セラフィエルは光の剣で消し去る。
「逃がした、か」
セラフィエルは、テンマはつぶやいた。
あの手のやからはまたどこかで暴れるだろう。
だが、追撃している暇はない。
ソフィエルを助けなくてはならない。
「ソフィエル、無事か?」
「え、ええ。あなたのおかげでね」
「大丈夫か?」
「毒が回っているわ。これを治療するにはしばらく眠る必要があるわね」
「そうか。安心してくれ。俺がついている」
「そうね。ねえ、セラフィエル?」
「何だ?」
「愛してる」
「俺もだ。さあ、眠れ。俺が家まで君を連れて行く」
「お願い、それじゃあね」
「ああ」
ソフィアはそのまま眠てしまった。
テンマはかくして覚醒し、自分自身を取り戻した。