マリヤ
テンマとカズヒコ、ユキオは放課後、ゲーセンに行った。
テンマからすれば、こうして三人で遊べるのも高校時代の思い出となるだろう。
テンマの学力では平均的な大学にしか受験できない。
ユキオはもっとハイレベルな大学に行けるだろう。
カズヒコも実家は高学歴者が多い。
必然的に、有力な大学を目指すだろう。
テンマはこの二人の熱にかかっただけだ。
テンマには特別に大学でやりたいことがあるわけではない。
というより、テンマには大学に行くしかやることがないのだ。
テンマに必要なのは大卒の資格である。
テンマが大学に行かねばならない理由は、母マリヤが望んでいるからだ。
大学を出れば、つける仕事の範囲が広がるからだ。
将来、やりたいことができた時、きっと役立つから、というのがマリヤの意見だった。
「あー、ちっくしょう! やりやがったな!」
「ははは、この程度軽い!」
テンマは格闘ゲームでカズヒコをコテンパンにのした。
実のところ、この手のゲームはカズヒコの家に置いてあるのだ。
ユキオはあまり、この手のゲームが好きではないのか、クレーンゲームで遊んでいる。
三人はそのまま駅に行き、電車に乗った。
それから各々の駅で別れた。
テンマは一人になる。
「ふう……」
電車の乗客はまばらだ。
テンマが住んでいるのは笠井市。
人口五万人の地方都市だ。
テンマの感覚では今は自分は夢を見ているのではないかと感じる。
どこか夢うつつで、非現実的な世界にいるように感じる。
いつからだろうか、テンマがこんなことを考えるようになったのは。
昔は違ってた。
子供のころは近所を回って遊んだものだ。
あの頃はこんなことは考えなかった。
ただただ楽しかった。
テンマは窓から外の景色を眺める。
空は茜色に染まっていた。
「俺はいったい何をすべきなんだ? あ……」
テンマは考えていたことが口に出ていた。
不意に周囲をうかがう。
しかし、誰もテンマの声を聴いてはいなかったようだ。
雑音と判断されたのであろう。
ふう……まずかった。
テンマは自分が考えていることが普通ではないことを自覚している。
ただ、テンマには考えているだけでなく、口にまで出すという癖があった。
テンマは哲学者ではない。
哲学者ならしゃべらずに考え続けることができるのだろうが、テンマには無理だ。
テンマは胸の中心を抑える。
まただ。
テンマの中の何かがうづくのだ。
これはいったい何なんだ?
これはテンマが高校生になってから起こるようになった。
いつ、どこで、どうして起こるのか、それはわからない。
テンマは母にないしょで、健康診断を病院で受けた。
だが、結果は『医学的には』正常。
どこにも悪いところはなかった。
心理学者のカウンセラーのもとにも行ったことがあるが、特に異常はないと言われた。
テンマの常識ではまったく原因が不明なのだった。
(いったい、これは何なんだよ……なんでこんなものがあるんだ?)
そうこうしているうちに、電車はテンマが降りる駅に着いた。
「あ、行くか!」
テンマは慌てて電車の外に出た。
「ふいー、ただいまー」
「あらー、おかえりー」
テンマは家に帰宅した。
マリヤが出迎えてくれる。
家の明かりはすでについていた。
この家はマリヤのおカネで建てたのではない。
マリヤの祖父と祖母が医者だったので、使い道のない資産を家にしただけである。
テンマは自室に入ると、そこで着がえた。
軽いシャツになる。
それからテレビがついているリビングへ行った。
そこではマリヤが料理を作っていた。
「お、この匂いもしかして!」
「ふふ、気づいた? 今日はテンマの好きなハンバーグだよ」
「いやー、うれしーなー!」
テンマはテーブル付きのイスに座る。
マリヤの職業は看護師だ。
そのため、勤務時間が不規則だった。
夜勤もあるし、休日出勤もある。
そのため、テンマとは会えない日もあるくらいだ。
テンマの家は母子家庭である。
テンマの保護者は母親のマリヤだった。
テンマの父親は飲酒運転をした挙句の果てに、衝突して死亡している。
それ以来、マリヤは女手一つでテンマを育ててきた。
テンマはマリヤに感謝していた。
マリヤは仕事で成果を出しつつ、テンマを育ててきたのだ。
仕事と育児の両立は難しい。
マリヤもテンマにさびしい思いをさせたことがある。
これは職業上しかたない。
マリヤにはどうにもできないことだ。
テンマは小さいころは祖父母の家に預けられた。
祖父母がかわいがってくれたのを今でも覚えている。
「できたよー!」
「腹減ったよ。早く食べよう」
マリヤがご飯にみそ汁、そしてトマトソースがついたハンバーグを持っていた。
テーブルの上に芳醇なにおいが立ち込める。
テンマは匂いだけで食欲が刺激された。
もうかぶりつきたい!
マリヤは黒い髪を三つ編みにして垂らし、メガネをかけていた。
服は白いシャツに、ロングスカート、エプロンだった。
「母さん」
「何?」
「いつもありがとな」
「え? どうしたの、急に?」
「いや、その……つまりだな……」
テンマはしどろもどろになった。
テンマは日々のマリヤの献身に感謝を言いたかっただけなのだ。
感謝を言葉で伝えることは大切だ。
ただ、それだけのことなのにどうしてこんなに照れるのか……。
「テンマも言うようになったじゃない。もっと、尊敬しなさい! ええ! もっと!」
「何言ってるんだ?」
テンマはジト目になる。
この人は悪乗りする癖があるのだ。
「まあ、冗談はさておき、私もテンマが理解してくれるし、協力してくれるから今の生活をやっていけてるよ。私ひとりじゃこうはいかなかったからね」
「まあ、なんだ。ご飯が温かいうちに食べよう!」
「そうだね。いただきます!」
「いっただきまーす!」
テンマはむさぼるように食事を食べた。
ご飯も炊き加減がちょうどいいし、みそ汁も具材の味が出ている。
特にメインディッシュのハンバーグは最高だった。
肉はトロトロ、ソースがコクが濃くて舌に乗ってくる。
テンマはゆっくり食べることはできなかった。
「もう、もう少しゆっくり食べればいのに」
「いや、うまいよ! はぐはぐ!」
そうして、二人の夕食は過ぎていく。
後片付けはテンマの仕事だ。
さすがにただで食べさせてもらうわけにはいかない。
ちなみに、マリヤはテンマの小遣いを労働出来高制で支払っている。
つまり、家事をやったり、風呂を掃除したり、庭の草を刈ったり、洗濯したりすると、おカネが入る仕組みになっている。
「ふう……お茶もおいしいな」
「もう……今からそんなことでどうするの?」
「だってさー」
「ところでテンマ?」
「なんだい?」
「あなた、将来の進路はどうするの?」
「いや、それは……」
マリヤはふうーとため息を出した。
テンマはこの話題は苦手だ。
「いい? 私はあなたに大学に行ってほしい。大学に行けば、そこでさらに就職のことを考えらざるをえなくなる。私は二段階で考えればいいと思う。一つは高校中に、次は大学中に」
「ああ、わかってはいるんだ。ただ……」
「ただ? 俺は何かほかにやるべきことがあるんじゃないかって思っているんだ。それがなぜかはわからない。少なくとも、今やっていることが何か違うと思わせるんだ。俺はおかしいのかな?」
「テンマ……ごめんなさいね」
「?」
「私にはそれには答えられない。もしかしたら、あなたは普通の人と違う生き方をしなければいけないのかもしれない」
「いや、いいんだ。これは俺の個人的な思いだし」
テンマは自分が直面していることが自分にしか答えを出せないものであることを知っていた。
そしてそれは真に個性的なものになるだろう。