プネウマ界
永遠の時が流れていた。
ここは純粋な気息の世界。
蒼い気息が満ちた世界だ。
その名を『プネウマ界』という。
ここには生命体が存在する。
それもより高度な知的生命体だ。
「ソフィエル、ソフィエル(Sophiel)……」
「はい、キュリオス(Kyrios)よ」
キュリオスは主を意味する言葉であり、彼の名はヤハウェという。
キュリオスには姿がない。
キュリオスは無限の光として顕現する。
天使ソフィエルはキュリオスを前にしてひざまずく。
ここではキュリオスは絶対であり、唯一の主権者なのだ。
「セラフィエル(Seraphiel)を派遣してから、時が発った。だが、忍耐強い私でもこれ以上は待てない。いったいセラフィエルはどうしたのだ?」
「はい、何かセラフィエルからの連絡はありません。セラフィエルは連絡を絶って、何も動きがありません」
ソフィエルは申しわけなく思った。
天使セラフィエルはソフィエルのつがいだった。
つまり、女性であるソフィエルの夫であり、パートナーだった。
ソフィエルはセラフィエルのことをよく知っている。
セラフィエルは任務を放棄するかのようなことをする人ではない。
「何か不測の事態が起こっている。おそらくウロボロス界でだ」
ウロボロス界――それは彼らにとって物質的地上世界、つまり我々が生きているこの世界を指している。
「セラフィエルの任務は人間の救済だった。だが、今だに人間たちは救済されていない。人間と世界この二つが救済されねばならない。私は主である」
「お言葉はごもっともです。主よ、あなただけがすべてを御存じです。キュリオス、怒りを抑えください」
キュリオスは怒っていた。
その怒りはセラフィエルの怠慢にあった。
セラフィエルはいったいどうしたというのだろう?
ソフィエルの胸に不安が宿る。
ソフィエルもおかしいとは思っていたのだ。
セラフィエルは怠慢な性格ではない。
彼は誠実だ。
そんな誠実なところにソフィエルは惹かれたのだ。
セラフィエルが音信不通ということは、セラフィエルの身に何かが起こったということだ。
セラフィエルは今いったいどこにいるのだろうか?
ソフィエルは今すぐにでもセラフィエルのもとに飛んでいきたかった。
「ソフィエルよ」
「はい、キュリオス」
「おまえが赴くのだ」
「? 私がですか?」
「そうだ。おまえはウロボロス界に赴き、セラフィエルを目覚めさせるのだ。セラフィエルの気息は地上にある。それは間違いない。おそらく、物質の闇に閉じ込められたのだろう。おまえはセラフィエルを解放し、共に人類の救済を行うのだ」
「っ!?」
ソフィエルは息をのむ。
キュリオスはソフィエルに任務を与えた。
それはセラフィエルを目覚めさせ、人類を救済することだった。
「人類は物質という闇に囚われている。私はセラフィエルが目覚めた時、この世界に究極の審判をもたらす。この審判では人間は物質から解放される。そして真に気息が支配する世界へと革新が行われるのだ。私は主。私以外に神はいない。私はウロボロス界に私の栄光を現す」
「主の栄光がほめたたえられますように! わかりました。私がウロボロス界に赴き、セラフィエルを助け出します」
「地球だ。地球に向かうのだ。すべてはそこで始められたのだから」
そうして、ソフィエルは地球に向かってはばたいた。
いったいどうしてしまったの、セラフィエル? あなたは任務をさぼるような人ではないでしょう?
ソフィエルは疑問を抱きつつも、地球を目指して旅立っていった。
地球、日本国の学校。
白音高等学校にて。
テンマは高校二年生。
今は教室で国語の授業が行われている。
テンマは退屈な気持ちでこの授業を受けていた。
毎日代わり映えのしない日常……テンマはそれにうんざりしていた。
テンマが求めているのは刺激だ。
テンマは優等生ではなかったが、劣等生でもなかった。
ごく普通の高校生にすぎない。
テンマは自分でもわからなかったが、何か刺激を求めているのが分かっていた。
自分は何か特別なことをするために生きてきたはずなのに今はただ、普通の学生に混じって授業を受けている。
テンマはあくびを出した。
「テンマ君、私の授業はそんなにつまらないかね?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
テンマはどぎまぎした。
テンマは授業をバカにしているわけではない。
来年はテンマも受験生だ。
テンマはただ、周りが大学を目指す人ばかりだから、単に惰性で大学を受験するにすぎない。
テンマには何かやらねばならなかったことがあったと思う。
だが、今のテンマにはまったく思い出せない。
自分は何か特別な使命があってこの世界にいるはずなのだ。
それが今はどうだろう?
集合的な生き方をしているだけだ。
別に親や教師が否定しているわけではない。
だが、テンマにはもっとほかにやるべきことがあったと思うのだ。
それが何かは分からないが、漠然とそんなことを考えていた。
授業は昼になって終わった。
テンマのもとに友人がやって来た。
「よー、テンマ、大変だったなあ?」
「なんだよ、カズヒコ?」
「国語のオオヤマに名指しされるなんていい身分じゃないか」
「もう、見てられなかったよ。ぼくはハラハラドキドキしたなあ」
「そんなに緊張したか、ユキオ?」
この二人はカズヒコとユキオ。
テンマの友人である。
とくにカズヒコは一見チャラそうだが、成績は非常にいい。
ユキオは学年トップの成績で運動ができないことをのぞけば、欠点はない。
それに対して、テンマは成績も平凡で、突出したものはない。
この二人とはテンマは馬が合った。
高校からの付き合いだが、なかなかいい奴らだ。
「それじゃあ、お昼ご飯にしようよ」
「そうだぜ。それにしても、テンマはマリヤさんの手作りご飯かあ。いいねえ」
「うっせ」
マリヤとはテンマの母親の名前である。
テンマの母は毎日お弁当を作ってくれるのだ。
「それにしても、そろそろテストだなあ」
カズヒコがパンをかじる。
どうやら、カズヒコの家はおカネだけ渡して何か買えということらしい。
憐れな奴だ。
ユキオは自分で作っているらしい。
ユキオは顔だけ見ると、女の子のように見える。
「ぼくは今回は手を貸さないからね?」
「そんなこというなよ、ユキオ様あ!」
カズヒコが情けない声を上げる。
これも高校生活かと思って、テンマはぼうっとしてきた。
おかしい。
違う。
こんなんじゃない。
もっと別にあるだろ。
俺がやるべきことは……なんだ?
テンマは考えられなくなっていき、しだいに弁当に集中した。