第89話 意外なる待ち人
「なんで?」
ドアを開けたかなめがそう言ったのも当然だった。足を棒にして一日歩き回って豊川警察署に与えられた部屋に戻るとそこには私服のかえでと執事服姿のリンが紅茶を啜っていた。彼女の座っているアメリアの席の端末は起動済みで彼女が誠達が集めた情報を先ほどまで見ていたらしいことがわかった。
「ああ、ごきげんよう、お姉さま、そして僕の愛する誠君。カルビナ巡査が加わったことで捜査も順調に進んでいるようじゃないですか」
かえでは涼しい顔でそう言うと用意した小皿に置かれたスコーンを口にした。
「もう日も沈んだんだ。オメエは使用人と乳繰り合ってりゃいいんだ。変態に用はねえ、とっとと帰れ」
かなめの皮肉にもまるで答えずかえでは平然として紅茶を飲み続けた。かなめとのこんな日常には慣れっこのラーナ以外はすでに口を開く気力も無くそれぞれの席に腰掛けた。かえでに自分の席を占拠されたアメリアもそれをとがめる力も無いというように空いていたパイプ椅子に腰を下ろした。
「でも……この数。256件ですか?データで見るのと一軒一軒訪ねるのはずいぶん違うんだろうね」
かえでは手にしたティーカップを置くとそのまま端末に鋭い瞳を送った。そこにはこれまで見たことの無い『斬大納言』の異名で知られる切れ者のそれがあった。
「でも僕達はこんなことをしていていいんですか?司法局本局からの出動要請とかがあっても……こんな状態じゃ対応できませんよ」
疲れから誠は本音を口にしていた。それを見て少しがっかりしたと言うようにかえではため息をつくと再びティーカップを手にして紅茶を飲んだ。
「ああ、クバルカ中佐からはその点では安心して良いという話だ。お姉さまの機体は一時的にアンが乗るということでサイボーグ用のコックピットから一般用のそれに換装してあるからね。どんな事態が起きても僕達第二小隊で対応できる。これまでもお姉さま方は一個小隊で事態に対応してきたんだろ?それなら僕にそれがこなせないわけがない。お姉さまも誠君も優秀な妹や『許婚』を持ってうれしいだろ?」
かえでの言葉にうなずきつつそのままかなめは自分の端末を起動させていた。かえでと誠達との会話の間もラーナは自分の席で聞き込みの最中に手にした情報を記録したデータを彼女が持ち込んだ小型端末にバックアップを取っていた。呆然とその有様を誠達は見詰めていた。
「ベルガー大尉。カルビナ巡査ばかりに頼らずに自分のデータはちゃんと自分の端末に落としておいた方が良い。これからもカルビナ巡査が居るとは限らないんだ。当然の話だろ?」
かえでは切れ者らしく妖艶な瞳でカウラにそう言った。
「日野に言われることは無いんだがな。最初からそうするつもりだった」
カウラはエメラルドグリーンの前髪を疲れたような手で軽く撥ね退けた後、皮肉を言うかなめに力ない一瞥を送った。そして机においてあったポーチから携帯端末を取り出すと、机の固定端末に接続してデータ移行を開始した。